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2009年1月23日

キューバ革命から50年〜革命家チェ・ゲバラとヒロシマ〜

キューバ革命から50年〜革命家チェ・ゲバラとヒロシマ〜

かつて本気で世界を変えようとした男がいた____
50年前の1959年、フィデル・カストロらと共にキューバ革命に成功したエルネスト・チェ・ゲバラ。ゲバラは、キューバ革命を成し遂げた半年後、来日し、広島を訪れている。彼はヒロシマで何を見、何を感じたのか・・・。

1928年6月14日、アルゼンチンの裕福な家庭に生まれたゲバラ。彼の原点は旅にあった。医学生だった23歳のゲバラは、モーターサイクルに乗って、南米大陸1万キロを旅する。そこで目にした貧しい人々の現実が、彼を革命家と導いた。

当時のキューバは、アメリカを後ろ盾とする、バチスタ政権の独裁だった。人々を解放するため、ゲバラはカストロの右腕として、ゲリラ戦を戦い、革命を起こす。そして革命成功後も権力者として居座ることなく、次なる革命の道を求めた。

そんな革命のシンボルとなったゲバラは、革命から半年後の1959年7月、キューバの経済使節団長として、31歳で来日。日本に砂糖を売り込み、自動車工場などを視察していた。この時、彼は、急遽予定になかった広島に向かった。そして、原爆が投下されたその場所に立った。

当時日本では、ゲバラを知る人はほとんどいなかった。ゲバラの広島訪問を伝える記事には、名前guevara(ゲバラ)が“グウエーラ少佐”となっている。誰も注目していなかったゲバラに、ただ一人取材した記者がいる。元中国新聞の林立雄さん(75)。当時25歳だった林さんは、「広島になぜ来たんだと尋ねたら、『日本に来て広島を見ないわけないだろう』と。声高に“反米・反核”とは言わなかった」と話す。しかし、原爆資料館でその惨状をみたゲバラは、『こんなひどい目にあってなぜ腹を立てないのか。日本国民、広島市民はなぜそのアメリカの原爆投下責任を問わないのか』とポツリと本音を漏らしたという。
ゲバラと一緒に広島を訪れたオマル・フェルナンデスさん(79)は、この時のことを鮮明に覚えている。ゲバラは、フェルナンデスさんに『これからは広島を、そして広島の人々を愛していこう』と言ったという。広島滞在中、医師でもあるゲバラは原爆病院も訪れた。帰国後、カストロに広島で目にしたことを話した。その後、キューバの歴史の教科書には、広島・長崎の原爆の悲劇が載せられ、誰もが知ることになる。

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