

2009年2月2日
東京タワーは去年12月23日、50歳の誕生日を迎えた。東京タワーから50年間、テレビ各局の放送電波が送信されてきた。テレビの歴史の陰で、電波塔としての東京タワーを心から愛した男たちがいた。
昭和30年代、街頭テレビに映った力道山の勇姿に人々は夢中になった。当時、テレビ局(NHK、日本テレビなど)はそれぞれ、自前のアンテナ塔を建てていた。このままでは東京は鉄塔だらけになるということで、大きな塔を建てて、アンテナをまとめることになった。
東京タワーを設計したのは、日本が誇る塔博士の内藤多仲博士。関東一円に電波を送るため、必要な高さは300メートル以上。しかも博士が目指したのは、エッフェル塔を超える高さだった。内藤博士の助手だった早稲田大学・田中彌壽雄名誉教授(79)は、「(内藤先生は)世界一の高さというのは相当意識した。そして(東京タワーは)一切の無駄がなく、力学的に非常に素直で構造美に輝く建物になった」と話す。昭和32年6月に始まった東京タワーの建設。手作業で工事が進む中、鉄骨をつなぐ"ビョウ"は熱いうちに打たなければならなく、ビョウをまるでキャッチボールのように投げ渡し、鉄骨に打ち込んでいった。また世界一の高さを支えるには、頑丈な鉄が必要だった。朝鮮戦争の休戦によってアメリカの軍事物資が民間に払い下げられた戦車を解体し、その鉄もタワーの鉄骨として使用された。着工から1年4ヶ月。先端部分が据え付けられたことで、鉄塔は完成。しかし、最も重要な工事、家庭にテレビ電波を送るアンテナの取り付け作業が残っていた。アンテナの開発からすべてを仕切ったのは、新米ばかりの若いチームだった。鈴田豊次さん(77)はその一人。「先輩は、当時ラジオ放送のアンテナをやっていたので、会社には若手しか残っていなかった。(若手には)責任感があった。これぐらい心注いで、惚れこんだところはない」と笑顔で当時を振り返った。開発されたアンテナは、上から80メートルの部分。そこに各テレビ局の場所が割り当てられた。テレビ朝日の場合、一つの面に10本のアンテナを4つの面に合計40本を設置。足場もない中、新入社員も作業に加わり鉄塔の外に出て設置していった。そして昭和33年12月23日、電波塔としての東京タワーが竣工。