

2009年12月16日
故人の人生を振り返りながら、その死を悼むシリーズ「さよなら」。今回は、日本の音楽界に新しい風を吹き込み続けた不世出の音楽家・加藤和彦さん、愛称“トノバン”。
1967年、京都のアマチュア・フォークグループ“フォークル”こと“ザ・フォーク・クルセダーズ”が解散記念として作ったアルバム『ハレンチ』の中の曲、『帰ってきたヨッパライ』が大旋風を巻き起こしていた。テープを早回して作ったコミカルな歌声、遊び心溢れる曲調が多くの人々に受け入れられ、280万枚のセールスを記録した。このグループの中心人物が加藤さんだった。プロの概念に捕らわれないアマチュアならではの型破りな発想。学生グループから一躍スターダムに登り詰めたフォークルは、アルバムから立て続けに第2弾のシングルを予定するが、店頭に並ぶ前日に発売中止となった。朝鮮半島の悲哀を歌った『イムジン河』。コミカルな『帰ってきたヨッパライ』とは全く違い、美しいメロディーの中に溢れるメッセージ。放送禁止という出来事は、さらにフォークル人気を不動のものにした。しかし、フォークルは、人気絶頂の中、わずか8カ月で解散した。生前の加藤さんは、フォークルの解散について「何月何日までって決めてたから、賞味期間が来た。非常に事務的だった」と語っていた。
その後、加藤さんは、当時まだ無名だったミュージシャンたちと、ロックバンド“サディスティック・ミカ・バンド”を結成する。ロックというジャンルが日本で認知されていなかったが、イギリスで高い評価を受け、日本での人気に火が付いた。しかし、このバンドも3年で活動を終える。この頃、加藤さんは、8歳年上の売れっ子作詞家・安井かずみさんと出会い、1977年に結婚。二人は、仕事上でもパートナーとして、歌謡界に多くのヒット曲を提供した。“洗練されたワーキングカップル”として、憧れの的にもなった。しかし、結婚17年目、安井さんが末期がんに侵され、余命1年と宣告される。加藤さんは、全ての仕事をキャンセルし、安井さんの看病に徹した。闘病生活でもライフスタイルは守られ、ベッドで過ごす余生より、今を生きる大切さを二人は選んだ。1994年3月、安井さんは亡くなった。安井さん亡き後、加藤さんは、映画音楽などのプロデュースをする一方、ザ・フォーク・クルセダーズをはじめとした、かつてのバンド活動を期間限定で次々と行っていく。