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これを知っていれば、もっともっと歌舞伎が楽しめる!という、お役立ち情報&うんちくを集めてみました。
歌舞伎座などほとんどの劇場は昼夜2部制ですが、それぞれ3〜4つの出し物の見せ場だけをピックアップして並べた「見取り」式が一般的。始めから最後まで上演する、「通し」は意外と少ないのです。よって、見取り式の場合、面白くて華やかな場面を何種類も見ることができるわけですが、その一方でストーリーや背景がわかりにくいということも。もともとストーリーを知っていることが前提の歌舞伎ならではの楽しみ方なのかもしれません。故に、歌舞伎座などではイヤホンガイドが非常に有効。「この役者誰?」「今のせりふ、どういう意味?」など、さざまな解説を加えてくれるのです。通訳ではなく、「同時解説」というのは世界でも類を見ない珍しいサービス。役者によっては「こんなアドバイス入れておいて」と注文をつける人もいるとか。
銀座の歌舞伎座には初心者、そして通のための幕見席があります。1幕のみ見られるもので、専用席は4階。1階〜3階の席には立ち寄れないように、専用階段もあります。売店にも入れないのでご注意。ちなみにチケットは1000円前後で、当日売りのみ。しかも、本人のみのひとり1枚しか購入出来ません。1階からの高さ11メートルとかなりコワイ席ですが…。一方、歌舞伎座をゴージャスに楽しみたい人には桟敷席があります。掘りごたつ形式で座椅子に座布團、お茶までついていて、お弁当屋が注文をとりにきてくれます。ちなみにお弁当屋で人気なのは京都の名店「吉兆」。そのお値段は6000円。チケットの値段は1万5000円〜ですが、江戸時代の桟敷席はなんと7万5000円もしたとか。また、天皇陛下や海外からの賓客が座るのは、2階最前列。天皇陛下が座るときは専用のロイヤルシートに取り替えられます。ここは舞台の全体が見える上、花道も見易いという初心者にもお勧めの場所。その他お勧めの席は、「とちり」席。いろは…順の歌舞伎座でいう、7〜9列めです。役者をすぐそばで見たい人には花道脇。通称「どぶ」と呼ばれていますが、一番役者に近づけるのはここ。
大掛かりなセットも歌舞伎の魅力のひとつ。中でも「回り舞台」は、18世紀に作られた世界初の舞台機構。舞台の地下に心棒をつけ、こまのように人の力でまわしていました。後に、世界中でこの方式が真似されるように。発明したのは脚本家の並木正三。彼はセリなども開発した人物。
ちなみに、この回り舞台ができた背景には「大阪城落城」が関係しています…。廻り舞台のためには本格的地下室が必要となるのですが、これは、大阪城攻めのとき、加藤清正や福島正則が全国の穴掘り名人を集めて、大阪城地下まで穴を掘らせた経験が大いに役立ったそう。そのときの職人たちが残っていて、舞台用の地下室を掘ったのです。また、当時舞台地下(奈落)にいて、廻り舞台を回したり、せりを上げていたのは前科モノなどすねに傷持つ人たち。役者たちは安全にせりを上げてもらうためかなり彼らに気を使っていたとか。「縁の下の力持ち」という言葉はここから生まれたものなのです。
「見得」と並ぶ歌舞伎の花形芸に「六方」があります。これは弁慶が足を踏み鳴らしながら片手を振って花道を引っ込む、というような豪快に歩く芸。実はここに奇妙な特徴が。それは右手と右足、左手と左足をそろえて出すこと。実は昔、日本人はいまとは違い、右足のときは右手を出して歩いていた名残。ちなみに、見得を生み出したのは初代團十郎。「仁王像」を見て考えたそうです。
歌舞伎独特の文字といえば、勘亭流。これはもともと幕府の公文書にも使われていた御家流を思いっきりデザイン化したもの。文字を外にはねさせないで、内向きにするのは、「お客様が入ってくださいますように」との願い、そして隙間を空けずに書くのは、「立錐の余地も無いほど大入り満員になりますように」との気持ちを表しているそう。似ているけど、相撲文字や寄席文字とはちょっと違います。タイトルの文字数も、偶数だとふたつに割れるから縁起が悪い、という意識があり、奇数を好む傾向があるそう。
ブロードウェイミュージカルには数々のロングランがありますが、それも歌舞伎のロングランには遠く及びません。人気出し物のいくつかを見ると、「暫」の初演は1697年。「勧進帳」は1702年、「助六」は1713年。実に300年にわたって、人気演目の座をキープしてきたのです。歌舞伎は日本版ミュージカル、と言われますが、むしろ順序は逆!?
江戸時代、歌舞伎役者は座元(興行主)と、1年単位の専属出演契約を結んでいました。いまの歌舞伎役者は、実は松竹株式会社といわば終身雇用契約を結んでいます。この松竹株式会社、日本を代表する映画会社として有名ですが、本業は歌舞伎なのです。
歌舞伎界のことを梨園というのはなぜか。じつは語源は中国・唐の時代に溯ります。楊貴妃で有名な、白居易の「長恨歌(ちょうごんか)」に出てくる玄宗皇帝が、自らも歌舞音曲の才を誇り、宮廷内で多くの弟子達に楽(がく)を教えていました。その教えた場所が、宮廷の梨畑。そこから梨園が誕生したのです。
荒事の祖といえば、初代市川團十郎。この荒事(勧進帳とか助六)を家の芸として伝えているがゆえに、市川家は宗家として家元同様の別格扱いをされてきたのです。その荒事といえば、見得&にらみ。そこで、團十郎襲名の条件になるのが、目玉が標準よりも大きいこと! 言われてみれば、確かに歴代團十郎の目は大きいような…。
歌舞伎に無くてはならないものといえば「掛け声」。世界各地に舞台あれど、せりふの最中に観客が声をかけるのは通常あり得ません。しかし、歌舞伎では芝居を盛り上げる効果音として欠かせないものになっているのです。かける声は、「成田屋!」「成駒屋!」などといった屋号のほか、「神谷町」「紀尾井町」といった役者の住まいも。ほか「3代目!」「6代目!」「待ってました!」「親父さんそっくり!」などなど。「3代目」は時代物でしか使っちゃいけない、など細か〜いルールも。フリーパスをもらい、掛け声をかける専門家もいますが、一応女子の声は興ざめとされています。
歌舞伎界でもっとも多い名前は中村。この中村姓を名乗るすべての役者は何らかの形で歴代の勘三郎につながります。この中村勘三郎(1598〜1658)とは、江戸において初めて芝居の興行権&劇場の所有権を手に入れた人物(座元)。座元の中には役者を兼ねたものもいたのです。同じく座元から派生した一族としては、市村羽座衛門一派。そして森田座からは坂東一派が生まれています。ちなみに歌舞伎座などで使われる、黒・柿・萌葱色の幕はこの座元時代の幕からきています。色といえば、日本人の色感は古代から赤・白・藍と黒を基本としてきました。古事記・万葉集を通じて純粋に色彩語として認められるのはこの4つしかないのです。歌舞伎でもこの色を重視して、とくに化粧において活用されています。この色をつかった化粧によって、悪役なのか、いい人なのか、色男なのかかわかるようになっているのです。
歌舞伎役者は梨園の御曹司でないとなれない、ということはありません。国立劇場が歌舞伎俳優の養成を行っていて、これまでに70人以上が卒業、現在の歌舞伎俳優総数の27%にものぼっているのです。役者と同様、歌舞伎の新作を書いて、上演してもらうことだって可能。毎年国立劇場と松竹では新作脚本の募集を行っていて、過去に何作も上演されています。

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