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2022年12月5日(月)
「開業150年 鉄道遺産」

東京シティガイド検定とは東京の歴史や文化、観光地などの知識を測る検定です。来年1月、第20回の検定試験が行われます。東京シティガイド検定の合格者が集まる「東京シティガイドクラブ」の井上さんに、新橋駅周辺の鉄道遺産を案内してもらいました。
今年は、日本に鉄道が開業して150年の節目。新橋駅周辺には開業当時を偲ぶことができる様々な鉄道遺産があります。JR有楽町駅と新橋駅を結ぶレンガ造りの高架橋は、110年以上前に造られ、関東大震災や第二次世界大戦にも耐え今も残っています。線路を挟んだ反対側の通り「銀座コリドー通り(コリドー街)」は、フランス語で“回廊”という意味の“コリドー”から名づけられました。「銀座の端の回廊」という意味です。
汐留シオサイトには、150年前の開業当時の新橋駅を復元した「旧新橋停車場」があります。日本初の鉄道は新橋と横浜を繋ぐ路線でした。建物の裏手には当時のプラットフォームと線路も復元されています。この線路上には「0」と書かれた杭、「0哩(ゼロマイル)標識」が立っています。これは鉄道の測量の起点となった杭で、日本の鉄道の始まりのポイントとして当時と同じ場所に復元されています。
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
HP:https://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/
2022年12月6日(火)
「新宿区 神楽坂」

JR飯田橋駅から徒歩1分の「神楽坂通り」は、月曜~土曜の正午~午後1時まで歩行者専用になります。
神楽坂通りの1本うらに、かつての風情が残る「芸者新道」という通りがあります。神楽坂周辺はかつて武士の屋敷が多く並んでいましたが、明治時代に政府公認の花街となり、料亭などが集まり賑わうようになりました。芸者新道は当時、宴会の席に向かう芸者さんが駆け上がっていった通りと言われています。道を進むと、道幅が狭い石畳の通りが現れます。かつては両側に多くの料亭の入り口があって、通る人が突然姿を消すことから、「かくれんぼ通り」と名付けられました。この通りの石畳の中には、ハート型や星型、ひし形の石が隠されていて、形の違う石を探しながら通りを歩く楽しみもあります。
更に進むと、「神楽坂若宮八幡神社」があります。かつてこの神社の神楽の音は、神楽坂通りまで響いていたと言われています。
2022年12月7日(水)
「世田谷区 等々力渓谷」

東急大井町線の等々力駅から徒歩3分。谷沢川に沿って続く約1kmの遊歩道は、渓谷の崖に生い茂る高い木が街の雑踏を遠ざけ、野鳥の声が響く憩いの空間になっています。
等々力渓谷周辺は複数の古墳があり、渓谷の中だけでも6基以上が見つかっているほか、周辺には「野毛大塚(のげおおつか)古墳」や「御岳山(みたけさん)古墳」などが現存しています。
「不動の滝」と呼ばれる、湧水が崖の上から流れ落ちているスポットもあります。かつては現在より多くの水が流れ出ていて、滝の音がとどろいていたそうです。
滝の上には渓谷を見下ろすことができる展望台があります。等々力渓谷では、例年、12月上旬頃に紅葉の見頃を迎えます。
等々力渓谷公園
HP:https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kusei/012/015/001/004/d00004247.html
2022年12月8日(木)
「武蔵国の中心 府中市」

京王電鉄・府中駅から徒歩1分のところにある「ケヤキ並木」は、国の天然記念物に指定された並木が約500m続いています。並木道の途中には、源頼朝の先祖にあたる源義家の像があります。960年前、奥州平定の成就を祝い、義家がここにケヤキの苗木を寄進したことが並木の始まりだと伝えられています。(諸説あり)
ケヤキ並木を抜けると、「大國魂(おおくにたま)神社」があります。七五三など季節の行事ごとに人が集まる、地元にとって大切な神社です。
その大國魂神社の隣に、「史跡・武蔵国府跡」があります。「武蔵国(むさしのくに)」は大化の改新をきっかけに定められた現在の埼玉県、東京都と、神奈川県の一部を含めた地域です。当時、国の中枢機関がある場所を「国府」と言い、大國魂神社周辺がその国府の中心でした。武蔵国府跡は「国司館(こくしのたち)」と呼ばれる、今でいう市役所のような建物があった所で、敷地内には10分の1のスケールで再現した国司館が展示されています。
国史跡 武蔵国府跡(国司館地区)
HP:https://www.kankou-fuchu.com/?p=we-page-entry&spot=239773
2022年12月9日(金)
「国分寺市 武蔵国分寺跡」

JR国分寺駅から徒歩約20分。「史跡・武蔵国分寺跡」の敷地には、約1300年前、聖武天皇の詔(みことのり)により建造された「七重塔」の基礎になった石が当時のまま残されています。当時は疫病が多く、人々の生活が苦しかったため国を鎮めるために七重塔が建てられたと伝えられています。
近くには「お鷹の道(おたかのみち)」と呼ばれる遊歩道があります。実はきく姫さんは幼い頃国分寺市内に住んでいて、このお鷹の道でよく遊んでいたそうです。この辺りは江戸時代、尾張徳川家の鷹狩りの場所で「鷹場(たかば)」と呼ばれていました。これを由来に国分寺市が「お鷹の道」として遊歩道を整備しました。
お鷹の道の途中には「武蔵国分寺跡資料館」があります。ここには、10分の1のサイズで復元された七重塔が建っています。これは1993年に国分寺市内の宮大工が造ったもので、数年前に色を塗り替えリニューアルされました。
武蔵国分寺跡資料館
HP:https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/kouen/1005196/1004239.html
東京シティガイド検定
HP:https://www.tcvb.or.jp/jp/cityguide/
東京シティガイドクラブ
HP:https://tcgc.jp/