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「マネー・in the ワールド:中級編」竹中平蔵ってどんな人? 〜竹中大臣の1日に完全密着
2001年、小泉内閣発足時に経済財政政策担当大臣に就任、第3次小泉改造内閣で総務大臣(郵政民営化担当兼任)に就任した竹中平蔵さん。そんな彼の生い立ちを紹介するとともに、大臣の多忙な1日に密着取材を敢行しました。
1951年3月3日、和歌山県和歌山市に生まれた竹中平蔵さん。3人兄弟の次男で、実家は小さな履物屋。地元の野球クラブに所属する、阪神タイガースが大好きな少年でした。そしてこのころ、両親をみていてふと芽生えた疑問が、後に竹中少年を経済の道へと進ませることとなりました。それが「お父さんは朝から晩まで一生懸命働いているのに、どうしてお金持ちにならないんだろう」というものでした。

そんな竹中少年は小中ともに成績は抜群で、県内一の進学校だった和歌山県立桐蔭高校に入学。ここでも常に学年でトップ3に入る成績を収めましたが、ガリ勉タイプというわけではなく、可愛らしい外見から、マスコット的な人気者だったそうです。「経済とは国を治め人を救う学問だ」。そう説いた高校時代の先生の影響もあり、竹中青年は経済を学ぶため一橋大学に進学、上京を果たしました。この時代、和歌山から東京の大学へ進学することはとても珍しかったといいます。一橋時代はマンドリンクラブに所属。この頃本気でミュージシャンを目指し、プロの先生についたこともあったほどで、その腕前はかなりのものだったとか。さらにこの頃からハマりはじめたのが谷村新司。当時大人気だったアリスはもちろん、谷村さんの曲は全て聞いているそうです。ちなみに一番好きな曲は「動天」。

谷村新司さん
「『動天』を知ってる人って、多分少ないと思うんです。それを知っている、っていうのは、かなり筋金入りだな、と思います(笑)。以前、カラオケで『いい日旅立ち』を歌ってくれたんですけど、ビックリしました。マイクを持つと、ご自分の世界に入っていかれて(笑)」


そして竹中さんがもうひとつハマっていた趣味が、鉄道です。国内ならどこに行くにも鉄道を使い、時刻表を眺めること、さらには駅や車両を見ることも大好きで、出張先で空いた時間に駅を見に行こうとして、秘書に止められたこともあったほど。さらには廃線となる路線を特集したビデオを見て、涙ぐむことも。

  一橋卒業後は「役所ほど窮屈でなく、公共のために仕事ができる」と、日本開発銀行へ。ここで転機が訪れます。客員研究員として、ハーバード、ペンシルバニア大学を訪れたのです。ベンジャミン・フリードマン、アンドリュー・エイベルら当時、新進気鋭の経済学者と接することで経済の面白さ・深さを再認識し、経済学者としてやっていく心を固めたのです。英語をものにしたのもこの時代。いまでは海外の要人との会談など、込み入った話も全て英語でこなしています。帰国後は大蔵省で主任研究官になり、そして再びハーバード大に、今度は客員准教授として渡りました。

アメリカ大統領経済諮問委員会前委員長・コロンビア大学学長グレン・ハバード氏

「当時同じハーバード大学に在籍していた時に知り合いました。とにかく彼は非常に頭が良く、実行力のある経済学者でした。経済学者としては間違いなく素晴らしいと思います。同じ経済学者として言えることは一つです。Keep up the good work.(これからも頑張ってください)」。

そんな竹中さんが広く知られるようになったのは1990年。普賢岳が噴火し、東西ドイツが統一された年で、SMAPは結成3年目、香取編集長は13歳でした。この年、39歳の竹中さんは慶応大学に新設された総合政策部の助教授として迎えられました。竹中さんの講義は600人入る大教室がいつも学生であふれるほどの大人気に。 この学部が話題になると共に、竹中さん自身も注目を浴びることに。

当時の学部長・加藤寛氏

「学生から見たら圧倒的な人気でしたね。つまり彼は分かりきっている事をきちんと説明して、そしてどういう風に経済というものは発展するものか、ということを話をしていた。だからもう、学生から見ると、本当によく分かった、という感じがしたでしょうね。竹中さんが去ってからね、後を引き受けた人がいたんだけども、集まった学生が30人くらいしかいなくてね。いかに彼の人気が絶大だったかわかりますね」


またこのころ、経済学者の中ではかなりわかりやすい物言いと、ソフトな雰囲気から、「ニュースステーション」などのニュース番組に頻繁に出演。さらに2000年に出版された、CMプランナー・佐藤雅彦氏との共著「経済ってそういうことだったのか会議」は経済書としては破格のベストセラーとなりました。そして翌2001年、小泉政権発足時に、人事の目玉として田中真紀子議員らと共に入閣。小泉総理から直接電話があったそうです。くどき文句は「一緒に戦場に行ってくれないか」でした。こうして竹中さんは「経済財政政策担当大臣」就任。まだ政治家ではなく、民間人としての入閣でした。2002年の秋に金融担当大臣を兼ねるようになった竹中さんは、バブル崩壊から積み残しになっていた不良債権問題に大ナタを振いました。しかし当時は反対の声も強く、「学者風情になにができる。うまくいくはずがない」と、仲間であるはずの政治家からもさまざまな圧力を受けたそうです。が、金融庁と竹中さんに追い詰められた銀行は不良債権の処理に着手。公的資金、税金の投入は賛否を呼んだものの、2002年3月には43兆円あった不良債権を(地銀含む)、3年で18兆円にまで減らすことができたのです。

そして2004年、参院選に出馬し、初当選を果たした竹中さんが次に取り組んだのが、郵政民営化。一度は廃案まで追い込まれたものの、小泉総理の解散・総選挙を経て、ことし10月、郵政民営化法案が成立したのです。そして先月、竹中さんは、第3次小泉改造内閣で総務大臣に就任(郵政民営化担当兼任)。予想されていた以上の重要ポストへの就任は大きなニュースとなりました。そんな竹中総務大臣にスマステーションは密着取材を敢行!分刻みでスケジュールが決められ、超多忙を極める大臣の1日とは・・・。

 竹中総務大臣の1日 〜11月25日金曜日
10:00 総理官邸で閣議。
閣議とは毎週火曜と金曜日に全閣僚が総理官邸の閣議室に集まり、日本をどう動かしていくのか、内閣の方針を決める、非常に重要な会議。この日はこれだけの案件が出され、審議されました。「証券取引法の一部を改正する法律の一部の施行に伴う関係政令の整備等に関する政令(金融庁・財務省)」「政治資金規正法施行令の一部を改正する政令(総務省)」「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令の一部を改正する政令(厚生労働省)」「消費者物価指数配布(総務省)」。これだけの案件を僅か15分でこなしたのです。
10:45 務省に戻り、定例の記者会見。
この日の会見時間は12分でした。
11:50 早めの昼食。
この日は大臣がよく訪れるという、六本木のカフェでサンドイッチとアイスカフェオレのランチ。もちろんこんな場でも、SPは片時もそばを離れません。
12:30 東京タワーに作られた「感どうする経済館」のオープニングイベント出席。
この経済館は、前回のスマステーションでも取り上げた「経済教育」のための博物館。いま日本がいくらの借金を抱えているのかひと目でわかるようになっている「日本経済の足音時計」や、1万円の価値を100通りで示したものなどが。例えば、1万円を稼ぐのに、松井秀喜なら90秒。インドネシアではタクシーに700キロ以上乗れる、など。これらは、「経済は難しい」「なんだかよくわからない」という先入観をなくし、もっと興味を持ってもらおうと、竹中大臣が、経済財政担当だったときに考案したものです。ちなみに、滞在15分。
12:50 同じ東京タワーの展望台上のパラボラアンテナ視察。
総務大臣はテレビ局や通信事業など電波の管轄も仕事のひとつ。この日は首都圏に地上派デジタル放送を送り出しているアンテナを視察しました。滞在5分。急いで総務省へと戻ります。
13:30 総務省、大臣執務室で待ち受けていたのは官僚からの「レク」。
これから大臣が決定を出さなければ行けない懸案事項について、担当の官僚が説明を行うというものです。この日は飛び込みのレクも多く、自分の日程のいくつかをキャンセルして、暗くなるまで対応に追われていました。
19:30 東京駅へ。翌日の仕事のため、大阪へ。

 竹中大臣・車内インタビュー
Q: いつもこんなにタイトなスケジュール?
A: そうですね。まあ今日なんかちょっと楽なほうかもしれませんね。まあ、でも仕方ないね、しばらくはね。
Q: 総務大臣になってより忙しくなった?
A: 自由にならない時間が増えたという意味ではそうかもしれませんね。とにかく大きな役所なんで、かつての3つの省庁が一緒になった役所なんで、ちょっと種類の違う、細切れの違う仕事がたくさんあるって感じですね。
Q: 睡眠時間も少ないのでは?
A: 出来るだけ取るようにはしてますけどね。その日によってかなり差はありますね。
Q: 肉体的にハードでは?
A: そうですね。病気できないっていうのがね。病気すると、もう本当に大変な事になるから。そうならないように健康管理はしないといけないんですよね。国会が始まると特にそうですね。
Q: 休みの日の息抜きは?
A: うーん、あんまりね、公然の自由がありませんから。だからそういう意味では移動中っていうのは息抜き、ある種楽なんですよ、まだ。
Q: ひとりの時間などほとんどない?
A: そうねえ、いまはないですね。なかなかね。
Q: 大臣の仕事の醍醐味をあげると何?
A: まあ醍醐味といえるかどうか、やっぱり本当に責任が重いということだと思いますね。責任が重いから、ひとつひとつの決定とか、ひとつひとつ色々指示を出したり、色々言うときに、やっぱり本当に徹底して考えないといけないですよね。徹底して考えて、色々言ったり、行動したりする、それがある種醍醐味かもしれませんね。普通やっぱり、なかなか突き詰めて考えないことって、間々あると思うんですけどね、やっぱりひとつひとつを突き詰めて考えないといけないですよね。

こうして超多忙なスケジュールを終えた竹中大臣。これでもまだまだ余裕がある方だとか・・・。
マネー in the ワールド「カトリのギモン」
「マネー・in the ワールド:中級編」 香取編集長が竹中大臣を直撃!
前回に続いて、香取編集長が竹中大臣にお金にまつわる疑問をぶつけてみました。
ギモン1 景気って、何がどうなると「良くなった!」って言うの?
■竹中大臣の答え
「いくつかあるんですけど、ひとつは私たちがもらえる給料が少し上がってきた、ボーナスが増えた、ということ。これはわかりやすいですね。もっとはっきり現れるのは、企業の利益なんです。大企業に関していえば、バブルのときよりも高い利益を上げられるようになってきましたし、不良債権が少なくなって、銀行もお金を貸し出せるようになってきたんです。(町を歩いていてわかるようなことでいうと)タクシーの混み方だと思います。それから比較的高いレストランやホテルも、以前に比べると混むようになってきていますよね。いま、新幹線のグリーン車も凄く混んでるでしょ?そういうところに現れつつはあるんですね。ただし、東京とか名古屋はいいんですけど地域によってはまだまだそうなっていないところもあります。実は、いま政府も気の利いたことをやっていまして、抽象的な統計だけじゃなくて、皮膚感覚で感じることの多い、スナックの経営者の方、タクシーの運転手の方、商店の経営者の方…そういう方々にモニターをお願いしていまして、景気が良くなった・悪くなった、というのを聞いているんですよ。景気ウォッチャーっていうんです。これ、非常に敏感に捉えることが出来るんです」
ギモン2 このまま現金がなくなっちゃうことってあるんですか?
■竹中大臣の答え
「クレジットカードを持っていればお金がなくても買い物が出来ます。これが今度、携帯電話でも出来るようになってきているわけです。その意味では、段々現金を持たなくても済むようにはなってきています。日本では小額の買い物をクレジットカードで支払うことはありませんけど、アメリカでは小額でもクレジットカードを使いますよね。これは、お金って何か、っていうことだと思うんです。1万円札はただの紙きれですけど、大事だって思うでしょ。それは、みんなが1万円だと思っているからなんです。つまり、お金っていうの『信用』なんです。みんなが価値があると思って『信用』しているから成り立つんですよ。私たちの国の経済とかお金は『信用』があるかないかなんです。『信用』が揺らぐとダメになるんです。不良債権があるときに、銀行の『信用』が揺らいで経済がダメになった。いまその『信用』が回復されてきたから経済も良くなってきているわけです。『信用』というのが最大のキーワードだと思います」
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