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1972年のパレスチナ・ゲリラによる「ミュンヘンオリンピック選手村人質事件」で救出に失敗したのを契機に、旧西ドイツが対テロ作戦を担う準軍事組織として創設したのがGSG-9。その装備体系と訓練方法は世界の警察特殊部隊の手本とまでいわれる彼らの姿を紹介します。
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1970年代の西ヨーロッパはイスラエルとパレスチナ及び周辺アラブ諸国との対立によるテロや、ベトナム戦争の反戦運動から先鋭化した反体制過激派によるテロが続発していた。1972年9月、ミュンヘンオリンピック開催でわきたつ旧西ドイツで、選手村にパレスチナ・ゲリラ「黒い九月」が侵入、イスラエル選手団を襲撃した。ゲリラは、11人の人質と引き換えにイスラエルの監獄に収容されている仲間250人の釈放を要求するが、イスラエル側は断固拒否した。旧西ドイツの治安当局は、対テロ作戦への準備不足から人質救出に失敗。全員が殺害されるという最悪の結末を引き起こした。これを機に、連邦内務省長官ディートリッヒ・ゲンジャーは、連邦警察内に対テロ特別部隊の創設を命じ、同警備隊にその編成を一任。1972年9月、GSG-9が誕生した。 |
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GSG-9の名を世界に知らしめたのは、1977年に発生したルフトハンザ航空ハイジャック事件だ。77年10月、バレアレス諸島のパルマからフランクフルトへ向かうルフトハンザ航空機ボーイング737型機が、4人のパレスチナ・ゲリラにハイジャックされた。出動命令を受けたGSG-9は、緻密な作戦を練った上で、ソマリアのモガディシュ空港に駐機した同機に強行突入。世界で初めてスタングレネード(特殊音響閃光手榴弾)を使い、強烈な閃光でテロリストの動きを一瞬封じ、その間隙をぬって3人を射殺、ひとりを逮捕したのだ。突入からわずか5分という鮮やかな救出劇だった。米国は、この事件で対テロ戦闘能力の重要性を認識し、デルタ・フォースの編成を決定したとも言われているが、GSG-9の活躍はそれほど衝撃的な事件だったのだ。 |
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GSG-9は連邦国境警備隊の中で、対テロ作戦を担う準軍事組織であり、その活動範囲は基本的に国内に限定されている。第一の任務規定は、いかなる作戦においても犯人を殺傷せず、逮捕するというもの。人質対応部隊としての活動の他、要人警護、大使館などの重要施設の警備なども担当する。編成は、四個急襲部隊から成り、それを支援部隊、情報部隊、技術部隊、武器部隊、装備研究部隊、整備補給部隊、訓練部隊がサポートする。隊員は、週50~70時間の訓練を行い、年2回のレベルチェック試験を受けることが義務づけられている。装備は、小火器に関してはある程度自由な選択が可能。拳銃は、グロッッグ19、H&K・P7、SIG228などから選ぶことが出来る。主要火器である短機関銃はH&K・MP5を使用。また、テロリストの重装備化に対応して、最新突撃銃H&K・G-36コンパクトを採用している。 |