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――今回は日本の方言を取り上げましたが…。
僕は福岡出身で、その後いろんな所に住んでるから、ちょっとずつ方言が混じってるんだけど、基本的には福岡訛りが抜けないんですよ。だから実は僕、最初テレビ出演の誘いを受けた時に、一旦は断ったんですよ。でも、その時にテレビ朝日の上の方の人に「鳥越さん、今は訛りも味なんですから」って言われて…。この一言で僕は「そうか!」と(笑)。ちょうどその頃「ニュースステーション」が始まってて、立松和平さんが栃木訛りで「あー、いいんだよねー。人間はー」って言ったりするのを聞いてたんです。で、訛りって最初は変だけど、だんだん聞いてると忘れられなくなるな、って思ったんです。妙に懐かしい味になって、クセになってくる。そのクセが個性なんですよ。その点、標準語はクセがなくてツルンとしてるから、“クセにならない美人”っていうのかな(笑)。方言は“クセになる女性”って感じですね。
――鳥越さんは方言で苦労された経験などありますか?
やっぱりテレビではいろいろと苦労しましたね。最初に出た時も「なんで訛りのあるアナウンサーを使うんだ!?」ってクレームが来て…。僕はアナウンサーじゃない! って言いたいんだけどね(笑)。東京の人からすると許せないんだろうね。「訛りのある人をテレビに出すのは、良くない」って思ってるんですよ。でも、言葉っていうのは文化だから。“正しい文化”も“正しくない文化”もないでしょ。標準語は共通に分かり合うために人工的に作ったんだから、それはそれでいいんですよ。ただ標準語と同時に、長年日本の歴史の中でちょっとずつ育まれてきた方言は大切にしたいよね。テレビに関わる仕事をしてる僕が言うのも変だけど、テレビやラジオがそういう地方の個性を奪っていく現実は悲しいですよ。
――ところで先日イラクへ行かれて、フセイン元大統領が隠れていた穴に入った、とおっしゃってましたが…。
あの中によく入ってたなぁ、と思いましたよ。あんな中にずっといたら、閉所恐怖症になっちゃうってくらい。だから、フセインも非常時の時だけ入ってたと思うんだよね。とにかく狭いんだから! 体ひとつ入るのが精一杯で、棺桶みたいだし、圧迫感はありましたね。でも、それ以上に「やった! 来たぜ!」っていう気持ちの方が大きかった(笑)。だってイラクまで行くまでが、本当に大変だったんです。家族から「危ないところだから絶対に行くな」ってずっと言われて、内証で行ったくらいですから。
――イラクの雰囲気はいかがでしたか?
もちろん米軍がいっぱいいて警備していて物々しいし、戦時下であることは間違いないですね。あちこちで、しょっちゅう爆発が起きたりしますし。だからと言って、どこもかしかも危ないわけではない。僕も銃を持ってる人や戦車のそばを通るなんてことはあったけど、危ないと思ったことは一度もなかったですから。だって一般の国民は普通に生活してるんです。フセインがいなくなって良かったな、っていう開放感もありましたしね。ただ同時に、米軍が来てウザったいな、っていう雰囲気もあるんじゃないですかね。
――滞在中に一番衝撃的だったことは何ですか?
誤爆で目が見えなくなったり、足がなくなったりした人たちにインタビューした時は言葉を失いましたね。何の罪もない住宅街にクラスター爆弾が落ちて…誤爆なのに、アメリカは何の保証もしてくれないんです。アメリカが何と言おうと、普通の市民を殺害して傷つけたということを事実として見て、本当に辛かったです。
――実際に訪れたことで、イラクに対する見方に多少変化も生じました?
基本的には変わりませんけど、イラクは豊かな国なんだな、と実感しました。緑が多くて、牛や羊やニワトリ、ラクダもいっぱいいる。それに石油もある。本当ならばイラクは凄くリッチな国なんですけど、それをよその国が狙って攻撃してきたから、未だにイラクは幸せではない。豊かゆえの悲劇ですよね…。 |
(鳥越俊太郎さん・談) |
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