スーへ到着。カレリア地方はフィンランドの人たちにとって一際、特別な地域。中世以来、統治国だったスウェーデンとロシアの戦いで何度も国境線が書き換えられたにも関わらず、フィンランド独自の民族文化が育まれてきた場所だ。
た。ローマの生まれじゃなかったんですね。幼少時からヴァイオリンとピアノを学び(どちらもかなり達者だったとか)、ロシアにわたって劇場でヴァイオリン奏者を務めるかたわら、管弦楽法の大家として知られるリムスキー=コルサコ
然一体となったプロコフィエフの魅力がひしひしと伝わってきました。 ラフマニノフもプロコフィエフもどちらもロシア生まれの作曲家です。ともに祖国を離れて活躍しましたが、両者がたどった運命は対照的です。 ロシア革命直後
を残した芸術プロデューサーとして、まっさきに名前が挙がるのがディアギレフでしょう。ディアギレフが主宰したロシア・バレエ団(バレエ・リュス)は当代随一の画家や音楽家も巻き込みながら、パリで大成功を収めました。ディアギレ
フの「ヴォカリーズ」も、シューベルトの「ます」と同様に、歌曲を原曲としています。こちらは「14の歌曲」作品34のなかの一曲。ロシアの名歌手アントニーナ・ネジダーノヴァに献呈されました。ネジダーノヴァはこの曲に歌詞がないことを残念
を挙げるとすれば、ヴァイオリンならワディム・レーピン、ピアノならエフゲニー・キーシンではないでしょうか。ともにロシアの出身で、少年時代より国際的な注目を浴び、そのまま順調にキャリアを積み上げて、現在は成熟した大人の音
ふれ出てくるのがヴェンゲーロフ。「タイスの瞑想曲」の抒情性と幻想味が存分に伝わってきたのではないでしょうか。 ロシアのレーピンとヴェンゲーロフ、セルビアのネマニャと、3人とも東欧出身なのは偶然です。でも、この地域は本当
れました。ラフマニノフは作曲と実演の両方で頂点をきわめたという点で、20世紀最大級の音楽家といえるでしょう。ロシアに生まれ、アメリカに渡ってからは当代一流のピアニストとして名声を築きました。あまりにもピアニストと
さんのキャリアは他にあまり例のないものだと思います。音楽一家のご出身ではないそうですが、6歳にして早くもロシアに渡り、ロシアで英才教育を受けて音楽家への道を歩みました。日本語よりもロシア語のほうが得意というほ
2015年10月 ツイート mixiチェック TOP 投稿日:2018年03月31日 10:30 今年は4年に1度のワールドカップ・イヤー。ロシアを舞台に6月中旬から約一か月にわたるサッカーの熱戦がくりひろげられます。本日はそんなワールドカップを彩る名曲