カップの前夜祭で三大テノールが歌うなど、スポーツシーンで親しまれていた名曲なのですが、日本で爆発的に広まったのは荒川さんのおかげです。 余談ですが、この「だれも寝てはならぬ」は、意外な後日譚があります。オリンピックで使
ことから、今でも根強い人気があります。ストコフスキ・ファンの方は快哉の声をあげたのでは。 三者三様、納得の人選だったのはないでしょうか。 飯尾洋一(音楽ジャーナリスト) タグ:三ツ橋敬子 五嶋龍 山田和樹 藤岡幸夫 題名のない音楽会
本人のオープンなキャラクターが親しまれているからこそでしょう。 ネマニャが日本で一躍注目を集めることになったのは、2007年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」への出演がきっかけだったと思います。ゴールデンウィークの有楽町
だと思っていた方も多いのではないでしょうか。 クラシック音楽界で林英哲の名が国際的に知られるきっかけとなったのは、小澤征爾指揮ボストン交響楽団の初演による石井眞木作曲の「モノプリズム」。1976年に世界初演され、以後、日本
の「バンバババン」、「野球狂の詩」の「ルルル~」。どれも物語世界に即した性格のスキャットになってるんですよね。 おもしろかったのは、全編スキャットで歌われる「野球狂の詩」の発想の源が、スウィングル・シンガーズのバッハにあったというお
ごたえがあります。 イル・ディーヴォのようなオペラ的な歌唱をベースとした男声ヴォーカル・グループの先駆けとなったのは、1990年のワールドカップ・イタリア大会を機に結成された三大テノールだと思います。プラシド・ドミンゴ、ルチ
の才能ですよね。 これだけ才能に恵まれていたのですから、サン=サーンスがフランスの音楽界をリードする存在になったのは必然です。当時、フランスで交響曲や協奏曲といえば、もっぱらベートーヴェンなどドイツ音楽が演奏されて
トやベートーヴェンの時代にはこの楽器はまだありませんでした。サクソフォンの作品が盛んに書かれるようになったのは20世紀に入ってから。イベールの「アルト・サクソフォーンと11の楽器のための室内小協奏曲」はその先駆けと
:2018年10月06日 10:30 バンドネオンという楽器、みなさんはご存知でしたか。バンドネオンが日本で知られるようになったのは、90年代にアストル・ピアソラの音楽がブームになったことが大きいと思います。アルゼンチンのバンドネオ
とは! それにしてもあんなに超高速で滑らかなハノンは聴いたことがありません。 最後に池上さんが演奏してくださったのは、シュトックハウゼンの「ツィクルス」より。シュトックハウゼンは2007年に世を去った、戦後ドイツを代表する作