大好きな作家のひとりが髙村薫さんである。30代の頃、書店の本棚に並んだ分厚い「照柿」という本の背表紙に惹かれて購入したところ、面白くて一気に読み終えたのが始まりだ。 髙村さんの小説は登場人物の心理描写や人間模様、周囲の情景描写などがとても繊細でかつ自然であり、細部の取材も精密だ。
この「照柿」に連なる刑事・合田雄一郎(もう警察大学校の教授になっている)シリーズの「我らが少女A」という作品が文庫化され、さっそく購入して読み始めた。
最初の方に、同棲中の俳優志望の女性を殺して逮捕された男の心理描写のシーンが出て来る。警察の聴取に対し、「男は奇をてらうつもりなどないが、何をどう答えたらよいのか分からない」。そして「ささいなことはいくつもあるが、どれも殺す理由にはならないし、そもそも殺したいと思ったこと自体、ないのだ」。
事件小説のジャンルにおいて金字塔を打ち立てた髙村さんが、そのような描写をするくらい、犯罪の「動機」というものは、ときに犯罪者自身にとっても不可解なものなのかもしれない。実はそうした事例を、僕たち報道する側もいくつも目にしている。特にこのところは。
5月7日、東京メトロ南北線の「東大前」駅で、43歳の男が電車に乗り込みざま刃物を振りかざし、若い男性が負傷するという事件があった。ここは僕が学生時代を過ごした野球部の寮のすぐ近くである。
あの頃、南北線はまだ開通しておらず、僕らは千代田線の根津駅から長い坂を上がるか、丸ノ内線の本郷三丁目駅から本郷通り沿いをひたすら北に向かって歩くか、いずれにしても徒歩約20分を要してようやく寮にたどり着いたものだ。
卒業後、やがて南北線が通るようになって、「東大前」の改札を出て初めて地上に出たときは、なんだかとても呆気ない思いにとらわれた。「東大前」という駅名にも妙にあっさりした印象を抱いた。その駅名が、先日の事件の動機につながった可能性がある。少なくとも、男の供述を信じる限りにおいては。
男は「親から教育虐待を受けた。中学時代に不登校になった」と供述したという。男は事件前に東大の敷地に立ち入るなどしており、「教育熱心な世間の親たちに、度が過ぎれば子どもが犯罪を起こすことを示したかった」、「(この場所なら)教育虐待を連想しやすいと思った」という趣旨の供述もしているという。
僕はそれを初めて聞いたとき、しばし考え込んでしまった。意味が分からないとは言えないが、どうにも腑に落ちない。そして、とりあえずの結論を出した。「これは明らかに論理の飛躍だ」と。もちろん、男の供述について、われわれが知り得るのは警察からの取材による伝聞ではあるのだが、それを差し引いても明らかに論理が飛躍している。加害者が、突然被害者に転じて語っているのだ。
僕も東京大学の出身である。新潟の県立高校を卒業した後、1年浪人して文科三類というところに合格したのだが、現役受験のときも一浪の時も、模擬試験の偏差値で見れば合格は厳しいと指導教員に言われていた。そんな自分にとって東大受験はそもそも「挑戦」であって、「落ちてもともと」という、ある種の気楽さがあったのは否めない。
ところが、東京で予備校暮らしをしているとき、自分とはちょっと違う雰囲気を持つ人たちの存在も感じた。東大に進めなければ(ましてやすでに一浪だ)、それまでの人生は何だったのかと思い詰めるような切迫感を持った人たち。この人たちにとって、東大合格は「挑戦」ではなく「義務」に近いものだったのかもしれない。
「東大前」駅で刃物を振り回し、他人にけがを負わせた男の供述にも、その切なさを連想させるものがないわけではない。男は「点数が悪いと親に叱責された」とも供述しており、それが彼の言う「教育虐待」なのだろうか。
だが、こうした一連の供述からは、自身のつらい体験が犯行の背景にあったのだとアピールしたい気持ちは伝わってきても、犯した罪の大きさへの反省は伝わってこない。場合によっては人命を奪いかねなかった凶悪犯罪であるにもかかわらず、供述に表れる男の胸中は、自己保身と責任転嫁で占められているように見える。「直接の動機は何か」と警察は聴取したと思うが、ひょっとしたら、男はその答えに窮したかもしれない。それくらい、男が育った「背景」と、最終的な犯罪行為との脈絡が欠けていると感じるのだ。
かくも人間の心理とは複雑なもので、犯罪の動機を一筆書きで説明しようとしてもそれは傲慢な行為なのだろう。せめて、法廷において可能な限り動機の開示が行われ、適正な裁きが行われることを期待したい。同時に、理由もなく刃物で襲われた被害者の、身体と心の傷が一日も早く癒えることを祈る。
それにしても、ゴールデンウィークの前後、凶悪犯罪のニュースを伝えることが多かった。さいたま市で女子高校生が刺殺された事件では、逮捕された男が「殺害する女性を探していた」という趣旨の供述をしていたという。大阪市で小学生7人をはねて重軽傷を負わせた事件の容疑者は、事件前に複数の小学校を物色していたと報じられている。さらに、千葉市で中学3年の少年が老女を刃物で殺害したとされる事件では、刺し傷は複数個所に及び、肺や心臓に及ぶものもあったという残忍さだった。
そこにはどのような動機があったのだろうか。「東大前」駅の事件と同様、取材を通して聞く限り、犯人たちの行動には明らかに論理の飛躍がある。鬱屈し、屈折した思いを抱いていたのは想像できるが、だからと言って、お年寄りや子どもといった、自分よりも弱者と見られる人たちを手にかけるという、凶悪な行為に至る経路の想像がつかない。
これらもまた、今後の法廷での展開を待つしかない。言い訳めくが、ニュース番組が扱う題材は目まぐるしく変わる。昨日の大ニュースもすぐに今日のそれにとって代わるのが宿命であり、真の動機の解明は司直の取り組みに委ねたい。
法廷と言えば、2022年7月、奈良市で安倍晋三元首相を銃撃し、殺害した罪に問われている山上徹也被告について、奈良地裁は10月28日に初公判を開くことを提示した。あの衝撃の事件が、3年以上を経て法廷の場で審理に付されることになる。
これまでの供述などから、山上被告が旧統一教会の信者を家族に持ち、多額な献金などによって家庭崩壊の不遇をかこっていたことが分かっている。殺害された安倍元首相が、同教会と比較的近い関係にあったとされることも。
だが、それだけで動機を分かった気になるのは早計だ。なぜ、標的は安倍元首相でなければならなかったのか。手製の銃まで作って執念深く機会をうかがったその理由はどこにあるのか。
日本中を震撼させた事件の真相に迫るときが、まもなくやってくる。
(2025年5月19日)