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特集

2019年4月26日

ブラジル移民に寄り添った天皇陛下

ブラジル移民に寄り添った天皇陛下

ブラジルに住む200万近い日系人は、天皇陛下の退位を特別な思いで見つめている。
2008年、天皇陛下は移住100周年記念式典で「私どもは皇太子の時に2回、即位後に1回、ブラジルを訪問し、大統領閣下をはじめ、ブラジルの人々から温かいおもてなしを受けるとともに、各地で日本人移住者とその子孫にお会いしてきました。移住者を取り巻く自然環境や病気も、未知の世界であり、そうした中で農業に取り組んだ人々の心身の苦労はいかばかりであったかと察せられます」と述べられた。そして、「日系の人々が様々な分野で活躍し、ブラジル社会に貢献していることを頼もしく感ずるとともに、これまでに努力を重ねてきた日系の人々の労苦に深く思いを致すのであります」と語られた。

ブラジル・サンパウロには多くの日系人が暮らしている。サンパウロ近郊では21日、秋の運動会が行われた。運動会は日本特有のもので、日系人は、どこか懐かしい“祖国”の文化を次の世代につないでいる。日系3世の男の子は「運動会は日本文化と触れ合えるし、楽しい」と笑顔で語る。日系2世の男性は「平成がなくなり、これから令和になる。こういうことも小さい子どもに伝えたい」と話す。ブラジルへの移住は1908年から始まった。日本は失業問題や食糧難の解決のため、国策として移民を奨励していた。65年の間に約25万人がブラジルへ渡った。しかし、待っていたのは、コーヒー農園での重労働など過酷な現実だった。国に捨てられたと感じた人も多かったという。あまり知られていないが、陛下は自身の強い希望で移民の苦労を見聞きされていた。1967年、皇太子だった天皇陛下は初めてブラジルを訪問された。このとき、お忍びで電気も水道もなかった移住地を訪ねられた。リオデジャネイロから100キロ以上離れた未開の地に6歳で移住した小松滋さん(63)は当時のことについて「皇太子殿下が来られるという連絡があったのは午前4時か5時ごろだった。嘘だろうと半信半疑だった」と話す。午前6時に到着された陛下は人々の生活について、次々と質問されたという。小松さんは「(公式行事の)慰霊塔への献花の時間があるので、それまでに戻らないといけないから、お付きの方が腕時計を気にされ『殿下、時間です。殿下、時間です』と言っているのに、殿下はほとんど聞く耳持たなかった」と振り返る。

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