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特集

2019年5月1日

新皇后・雅子さまと新たな皇室像

新皇后・雅子さまと新たな皇室像

新皇后となられた雅子さまは2003年に体調を崩して以来、今も療養生活を続けられているが、最近では、徐々に公務の数も増えてきたという。令和という新しい時代に、雅子さまは、どのような皇后を目指していかれるのか。

お妃候補として雅子さまの名前が挙がったのは1980年代後半。ハーバード大学出身の元外交官、女性の社会進出が急速に広がっていた時代、雅子さまは、まさにキャリアウーマンの象徴だった。婚約内定の記者会見で、当時の皇太子さまは「これから先、苦労があった場合には、私がそばにいて全力で守って助けて上げたいと思っています」と述べられた。雅子さまは「6年近く勤めた外務省を去ることに『寂しさを感じない』と申しましたら嘘になると思います。でも、昨年の秋、本当にいろいろと考えた結果、今、私の果たすべき役割というのは、殿下からのお申し出をお受けして、皇室という新しい道で自分を役立てる事なのではないかと考えましたので決心した訳です。今、悔いはございません」と語られている。雅子さまの皇室入りに国民は「皇室に新しい風を吹かせてくれる」と期待。ご成婚パレードでは、19万人が沿道を埋め尽くした。豊富な海外での経験を生かし、国際親善などへの期待も高まった。早速、結婚された翌年からお二人で中東4カ国を歴訪し、そのキャリアを存分に発揮される。しかし、それ以降、国際親善の機会は、ほとんどなくなった。一方で、お世継ぎへのプレッシャーがのしかかっていく。ご結婚から8年が経った2001年、愛子さまが誕生する。しかし、“男子の出産”という、お世継ぎ問題の重圧はその後も続いた。体調を崩されたのは2003年のこと。翌年に発表された病名は、複数のストレスによる『適応障害』だった。このあと皇太子さまは「新しい生活の中で、外からはわからないのですが、東宮御所での生活の成り立ちに伴う様々な苦労があったと思います。世継ぎ問題についても様々な形で大きなプレッシャーがかかっていました」と述べられた。そして「雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言をされた。

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