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特集

2019年8月15日

天皇家と“ひめゆりの塔”

天皇家と“ひめゆりの塔”

戦後生まれの天皇陛下は、上皇さまの“平和への願い”をどのように受け継いでこられたのか。その原点が、1987年に初めて訪問された沖縄の“ひめゆりの塔”にあった。
本土で唯一、地上戦が行われた沖縄では、住民の4人に1人が犠牲となった。沖縄には“天皇”に対する特別な感情がある。1975年、皇太子時代の上皇さまが初めて沖縄の土を踏んだ時、日本軍に看護要員として動員され、犠牲となった女子生徒などを慰霊する“ひめゆりの塔”で、火炎ビンが投げ付けられた。その日の夜、上皇ご夫妻は、沖縄県民に向け『払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません』とメッセージを発表された。この言葉通りに、上皇さまは、繰り返し沖縄を訪問されてきた。
そして、この沖縄への思いは子どもたちにも引き継がれていた。1986年、上皇さまは誕生日にあたっての記者会見で「私は、沖縄の戦争の時は知っているわけですけれども、浩宮(天皇陛下)にとっては、本当に過去の歴史になるわけですから、沖縄の人がへてきた道という問題は十分に知ることが大事だと話したことがある」と述べられた。

天皇陛下が、初めて沖縄を訪問されたのは、今から32年前の1987年9月、27歳の時だった。父親である上皇さまが初めての沖縄ご訪問で、到着されたその日にひめゆりの塔を訪れたのと同じように、陛下も初日にひめゆりの塔を訪れた。ひめゆり学徒隊240人のうち生き残ったのは104人。そのうちの一人、宮良ルリさんに「あなたの本を読みました。壕の中はどうだったんですか」と声をかけられた。陛下が読まれたという本の中に『命(ヌチ)ドゥ宝(タカラ)』命こそ宝という沖縄の言葉が出てくる。陛下の沖縄訪問初日のご感想の中にその言葉があった。「沖縄の人々が、先の大戦を通じて『ヌチドゥタカラ』(命こそ宝)の思いをいよいよ深くしたと聞いていますが、この平和を求める痛烈な叫びが、国民すべての願いとなるよう切望します」と述べられた。陛下のこの沖縄への思いについて、美智子さまは「この夏に、浩宮(天皇陛下)が沖縄訪問の折りに沖縄について述べた思いが、そのまま長年の東宮(上皇)さまのお気持ちを反映させたもので、私の気持ちもそれにつらなるものです」とされた。

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