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2018年3月26日

天皇陛下あす沖縄へ 戦争経験者が語る思い

天皇陛下あす沖縄へ 戦争経験者が語る思い

天皇皇后両陛下は27日から沖縄県の本島と与那国島を訪問される。43年前(1975年7月)の初訪問では、ひめゆりの塔で過激派に火炎瓶を投げつけられるという事件があったが、その後も沖縄を訪問され続けていて、今回で沖縄ご訪問は11回目となる。

終戦の5カ月前に、住民を巻き込んだ激しい地上戦が行われた沖縄。この戦闘で、住民の4人に1人が犠牲となった。このため天皇という存在に厳しい目を向ける人もいた。天皇に対して複雑な思いを抱いてきた彫刻家の金城実さん(79)は、火炎瓶事件の直前に実行犯の2人を自宅に泊めたことがあったことから、刑務所に差し入れに行く機会があった。後になって、実行犯のうちの1人が金城さんに「拘留中、夜な夜なサンドイッチとコーヒーを持ってくる沖縄の守衛がいる」と話したという。当時、実行犯に共感した人もいたという。火炎瓶事件の半年後、陛下は再び沖縄を訪問された。最初に訪問されたのが伊江島。沖縄戦では激戦地の一つとなり島全体が戦場となって、住民の2人に1人が犠牲となった。村では、陛下を迎えるに当たって『戦争のことは触れない』という取り決めがあった。伊江村の元総務課長・内間亀吉さん(80)は、当時のことについて「今の状況を説明して、過去は振り向かない。もし殿下の方から聞かれたらお答えしないといけないから『答えてください』と言った」という。内間さんは沖縄戦で、一緒に逃げた家族や親戚25人のうち12人を亡くした。内間さんは「正直な話、私たちとしては戦争のことは触れたくない。私は体験しているから答えたくない。これが本当の気持ち。殿下に対しても同じ気持ち」と話す。陛下が伊江島を訪問されたときに沖縄の言葉で詠んだ“琉歌”が島に残されている。
【広がゆる畑 立ちゆる城山 肝乃志のはらぬ 戦世乃事】(畑も山も島の風景は、平穏そのものだが、ここでの戦争のことを思うと心が張り裂けんばかりだ)
陛下は、独学で沖縄の言葉を学ばれていた。陛下が詠まれた“琉歌”について知らなかった金城さんは「あの事件をきっかけに逃げるのではなくて、当時の皇太子が真剣に向き合おうとしていた。皇太子として、直接的に沖縄の人たちに申し訳ないという『心』を、この歌に託して、表現したものだと思う。だから、そこがものすごく誠実」と話す。

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