バックナンバー
#966
2025年6月15日
「全力坂」20周年
【番組司会】山口豊(テレビ朝日アナウンサー)
八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
【VTR】吹越満(俳優・ナレーター)
【ゲスト】佐藤太一プロデューサー(全力坂 歴20年)
関根 玲プロデューサー(全力坂 歴11年)
小川直哉ディレクター(全力坂 歴11年)
山本 魁プロダクションマネージャー(全力坂 歴1年)
八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
【VTR】吹越満(俳優・ナレーター)
【ゲスト】佐藤太一プロデューサー(全力坂 歴20年)
関根 玲プロデューサー(全力坂 歴11年)
小川直哉ディレクター(全力坂 歴11年)
山本 魁プロダクションマネージャー(全力坂 歴1年)
“この坂もまた実に走りたくなる坂である”
毎週月曜-木曜深夜1時20分放送の「全力坂」が20周年を迎えました。
そこで番組に携わるスタッフ4人に撮影の裏側や魅力を語ってもらいます。
毎週月曜-木曜深夜1時20分放送の「全力坂」が20周年を迎えました。
そこで番組に携わるスタッフ4人に撮影の裏側や魅力を語ってもらいます。

<2005年放送開始「全力坂」撮影の裏側>
AM7:40
撮影の日は早朝荷物の積み込みから始まります。
本日最初の坂に到着したのは約30分後、カメラマンやディレクターなど各所スタンバイを開始します。
撮影の日は早朝荷物の積み込みから始まります。
本日最初の坂に到着したのは約30分後、カメラマンやディレクターなど各所スタンバイを開始します。


そんな中、一人目の走者(出演者)に車両の中で
女性スタッフがマイクをつけていました。
ポイントは全力で走っても落ちないように装着すること。
走り出す前にオープニングの撮影。
角度や映像のサイズを変え何カットも撮影していました。
女性スタッフがマイクをつけていました。
ポイントは全力で走っても落ちないように装着すること。
走り出す前にオープニングの撮影。
角度や映像のサイズを変え何カットも撮影していました。


そしていよいよ走りの撮影なのですが、「全力坂」は
1度走るだけで出来上がるものではありませんでした。
坂が魅力的に映るポイントにカメラを何度も移動しインサート撮影。
1度走るだけで出来上がるものではありませんでした。
坂が魅力的に映るポイントにカメラを何度も移動しインサート撮影。


走者(出演者)は距離は違えども、何度も同じ場所を全力で走り抜けます。
この坂では数えること10カット以上の全力疾走を重ねていました。
重要なゴールシーンは走った本人も一緒に確認。
無事OKが出て、この坂は終了と思いきや…まだまだ続きます。
登りきった坂を若手のスタッフと共に小走りに降りていき…
小さなカメラを取り出し一緒に走っては、
顔などのアップを何度も撮影していました。
この坂では数えること10カット以上の全力疾走を重ねていました。
重要なゴールシーンは走った本人も一緒に確認。
無事OKが出て、この坂は終了と思いきや…まだまだ続きます。
登りきった坂を若手のスタッフと共に小走りに降りていき…
小さなカメラを取り出し一緒に走っては、
顔などのアップを何度も撮影していました。


短いダッシュを重ねるだけではなく、
YOUTUBE用のコメントや告知で使用する写真の撮影をし、
1本目の坂は終了しました。
この日のロケは日没前まで続き
約7時間、3名の走者で合計7本の坂を無事撮り終えました。
YOUTUBE用のコメントや告知で使用する写真の撮影をし、
1本目の坂は終了しました。
この日のロケは日没前まで続き
約7時間、3名の走者で合計7本の坂を無事撮り終えました。


小川直哉 ディレクター (全力坂 歴11年)
天候が雨でもひどくない時はロケを決行します。
夏は日が長いので、もう1本坂が増え8本になることもあります。

山本 魁プロダクションマネージャー (全力坂 歴1年)
併走は7本目の坂になってくると、きつくなってきます。
― 2005年に番組が始まって、これまで放送は何回?
関根 玲プロデューサー (全力坂 歴11年)
もうすぐ3700回です。
2本坂走る人と3本走る人がいるので正確ではないんですけど
約1800人が出演しています。
併走は7本目の坂になってくると、きつくなってきます。
― 2005年に番組が始まって、これまで放送は何回?
関根 玲プロデューサー (全力坂 歴11年)
もうすぐ3700回です。
2本坂走る人と3本走る人がいるので正確ではないんですけど
約1800人が出演しています。
― なぜ坂を走ることになった?
佐藤太一プロデューサー(全力坂 歴20年)
構成作家の人が番組の企画会議に来る前に、
渋谷の駅から事務所に向かう坂道をリクルートスーツを着た女性が
血相を変えてものすごい勢いで走って登っていくのを見て。
その話を僕らが会議の席で聞いて、それでこういう企画みたいな形で出させていただいて…そこから生まれたんです。
佐藤太一プロデューサー(全力坂 歴20年)
構成作家の人が番組の企画会議に来る前に、
渋谷の駅から事務所に向かう坂道をリクルートスーツを着た女性が
血相を変えてものすごい勢いで走って登っていくのを見て。
その話を僕らが会議の席で聞いて、それでこういう企画みたいな形で出させていただいて…そこから生まれたんです。

― 全力坂っていう番組タイトルは?
ラテ(ラジオ・テレビ)欄が2文字から3文字に増えた時だったので
「全力」 だけでなく 「全力坂」になった“そんな日本語ないよね”みたいな話もあったんですけど、“でも分かりやすくていいんじゃない”という感じで決まっていきました。
ラテ(ラジオ・テレビ)欄が2文字から3文字に増えた時だったので
「全力」 だけでなく 「全力坂」になった“そんな日本語ないよね”みたいな話もあったんですけど、“でも分かりやすくていいんじゃない”という感じで決まっていきました。
<特徴的なナレーション>
全力坂に欠かせない俳優 吹越満さんのナレーション
その様子をのぞいてみると…
その様子をのぞいてみると…

MA室に到着するとは缶コーヒーを飲み始めます。
普段はスタッフとしばらくお話をするとのことですが…
取材のカメラが入っているせいか、すぐさまナレーションブースへ入っていきました。
月曜から木曜まで放送しているため、一度に8本分のナレーションを収録。
終了後、ナレーションを吹き込む際のこだわりを伺いました。
普段はスタッフとしばらくお話をするとのことですが…
取材のカメラが入っているせいか、すぐさまナレーションブースへ入っていきました。
月曜から木曜まで放送しているため、一度に8本分のナレーションを収録。
終了後、ナレーションを吹き込む際のこだわりを伺いました。

吹越 満
番組が始まった時は20年も続くとは思っていなかったんですけれど。
他のナレーションの依頼があった時に、他では絶対要求されないだろうなというトーンがこの番組にはいいんじゃないかなと思ったのと、
「全力坂」っていうタイトルなのに『全力じゃない』という方がいいのかな
みたいな…。
番組が始まった時は20年も続くとは思っていなかったんですけれど。
他のナレーションの依頼があった時に、他では絶対要求されないだろうなというトーンがこの番組にはいいんじゃないかなと思ったのと、
「全力坂」っていうタイトルなのに『全力じゃない』という方がいいのかな
みたいな…。

― 20年続けていると感じること
吹越 満
今日ディレクションの平山ディレクターは最初アシスタントやって数年、
ディレクターを一人で任せられるようになって約3年。
そうなる前に終わる番組もある中で、何か一緒に成長していくところまで
見える時間を過ごせるというのは、なかなか貴重な体験だなと思っております。
吹越 満
今日ディレクションの平山ディレクターは最初アシスタントやって数年、
ディレクターを一人で任せられるようになって約3年。
そうなる前に終わる番組もある中で、何か一緒に成長していくところまで
見える時間を過ごせるというのは、なかなか貴重な体験だなと思っております。

佐藤太一プロデューサー(全力坂 歴20年)
あのトーンのナレーションに落ち着いたのが、放送200本目くらいだったと
思います。最初はナレーションなしでただ走っている画があって、音が聞こえているっていうだけだったんですけれど、少しずつ工夫を一緒に考えて
出来上がっていきました。

― 番組に向いている坂は?
山本 魁プロダクションマネージャー (全力坂 歴1年)
坂に関しては、インターネットの情報を参考にしたりすることが基本的に
多いですが、ロケハン時であったり撮影日当日の移動中なんかにもたまに
見つけることがあります。
撮影のことや演出のことを考えると
「距離的に長い坂」や「景色の良い坂」や「急勾配」他には、
「名前がついている坂」などは番組に向いているのかなと思っています。
山本 魁プロダクションマネージャー (全力坂 歴1年)
坂に関しては、インターネットの情報を参考にしたりすることが基本的に
多いですが、ロケハン時であったり撮影日当日の移動中なんかにもたまに
見つけることがあります。
撮影のことや演出のことを考えると
「距離的に長い坂」や「景色の良い坂」や「急勾配」他には、
「名前がついている坂」などは番組に向いているのかなと思っています。

― 名前が付いてない坂は出てこないですか?
名前がついている坂は、戦前に開発されたものが多いです。
名前がついていない坂の場合、私たちとしては「◯△□ 何丁目の坂」と
いうような形で表示をさせていただいてます。
名前がついている坂は、戦前に開発されたものが多いです。
名前がついていない坂の場合、私たちとしては「◯△□ 何丁目の坂」と
いうような形で表示をさせていただいてます。

<吹越さんにお気に入りの坂>
吹越 満
これまで観てきた中でというよりも「自分が走った坂」っていうのがあって、3000回記念に「世田谷区成城にある丸坂」をサンダル履きで走ったんです。
これまで観てきた中でというよりも「自分が走った坂」っていうのがあって、3000回記念に「世田谷区成城にある丸坂」をサンダル履きで走ったんです。
関根 玲プロデューサー (全力坂 歴11年)
最初からあのサンダルで走りたいっていうのを聞いていたので、ガムテープとか用意しておいたんですが、結局何も使わずに軽快に走って。
ステッキなどの演出も自身で考え“さすが役者さん”って感じでした。
最初からあのサンダルで走りたいっていうのを聞いていたので、ガムテープとか用意しておいたんですが、結局何も使わずに軽快に走って。
ステッキなどの演出も自身で考え“さすが役者さん”って感じでした。
<20年を振り返って>
小川直哉 ディレクター (全力坂 歴11年)
10年前ぐらいは、そんなに声をかけてくれる人もいなかったし、出演される子たちもどういうことなのかっていうのがよくわからないってことが多かったんです。だけど最近は出てくれる方もどういうコンセプトの番組かっていうのも、本当にみんなわかって来てくれているし、ロケ中に子どもとかでも「あ!全力坂だ」って言ってくれ、すごくピースフルな感じで撮影ができるようになってきたと最近思います。
山本 魁プロダクションマネージャー (全力坂 歴1年)
やっぱり通りすがった方々に「全力坂 観てるよ~」って応援するよみたいな感じで言っていただける機会が多いんですけど、それが結構若い世代の方だったりするので、それがすごい嬉しいなと思います。
10年前ぐらいは、そんなに声をかけてくれる人もいなかったし、出演される子たちもどういうことなのかっていうのがよくわからないってことが多かったんです。だけど最近は出てくれる方もどういうコンセプトの番組かっていうのも、本当にみんなわかって来てくれているし、ロケ中に子どもとかでも「あ!全力坂だ」って言ってくれ、すごくピースフルな感じで撮影ができるようになってきたと最近思います。
山本 魁プロダクションマネージャー (全力坂 歴1年)
やっぱり通りすがった方々に「全力坂 観てるよ~」って応援するよみたいな感じで言っていただける機会が多いんですけど、それが結構若い世代の方だったりするので、それがすごい嬉しいなと思います。
<「全力坂」とは>
とても大きな存在 佐藤 太一
日常生活の一部 関根 玲
リセットされる撮影 小川 直哉
何かを全力で頑張りたくなる 山本 魁
日常生活の一部 関根 玲
リセットされる撮影 小川 直哉
何かを全力で頑張りたくなる 山本 魁