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8月26日 岡崎朋美さんへのロングインタビューです


■過去3度の五輪

宮嶋:13年目の実業団でのスケート人生。
これまで3度の五輪を経験されて、いろんな思いがあったと思うのですが、振り返っていかがでしょう。

岡崎:結構、現在最終段階に入っていると思うんですけれどね。94年のリレハンメルは最初のオリンピックでしたよね。これが最初で最後だ、オリンピックはもう満喫したという感じだったんですよ。富士急行に入社して、橋本聖子さんともずっと一緒だったんで、この五輪には絶対出なくちゃいけないというので必死でしたね。で、そこで五輪の楽しさというか,すばらしさを体感できて、そのあと、世界の大会とかに出始めて、スケートがすごく面白くなってきたんですね。
長野は島崎さんというライバルがいて、いい形で迎えられました。長野の年はすごく勝負の歳で、やっぱり自分の中では日本でのオリンピックのメダルというのは心に秘めた目標でしたからそこで銅メダルを取れて本当によかったな。
そしてソルトレークは、高速リンクなので、記録に挑戦でしたね。その分海外の選手もパワーがありますからね、すべるリンクでパワーを出してくると、どうやって勝ち目があるかと厳しかった面も沢山あるんですけれど、腰とかもやっちゃったし、ちょうど30歳のときのオリンピックだし、そこでどういうからだの動きができるかというのが面白かったし・・・

宮嶋:一昔前では考えられない30歳の体でのオリンピック。

岡崎:私と同級生の普通の女の子の動きを見ても同じには見えないと思うんですけれど、どうでしょう。25歳か26歳ぐらいは維持できているかな・・・なんて。(笑い)ちょっと無理かな・・・・

宮嶋:あのオリンピックを乗り越えて30歳と言う肉体に自信を持った?

岡崎:(笑い)・・はい!

宮嶋:日本のスケート界で最長老じゃないですか?

岡崎:ええ、そうですね、一応1番上ですけれど、私はあまり年齢を考えていないというか、周りは考えているようですけれど、世界を見たときに上はまだまだいるんで。
別にいいかなっと思いながらやっているんですよ。

宮嶋:ご家族は何か言っていなかったですか?

岡崎:何も言っていないですね。親戚とかは、もういいから嫁にいけって言う感じですけれど、両親は私がやるならやりなさいって言う感じ。実は、手術をして3年目ぐらいが結構いいと聞いたんですね。今年はその3年目に入っているので、まずは今年一年をいい感じでいければいいかなと思ってやっているんですけれど・・・

宮嶋:4年後にはトリノで冬季五輪が開かれますが、そのことは考えますか?

岡崎:巷では皆さん4年と思っていると思うんですが、4年って長いので、自分の中では今年、世界スプリントがカルガリーでありますし、ソルトレークでもレースがありますし、翌年も世界スプリントが長野のMウエーブであると聞いたので、そこらへんを目標にしようかなと。そこでまた次のオリンピックが見えてきたら、そこに目標を持っていこうかなと思っているのですが。

 

宮嶋:冬のオリンピックだけだと、なんだかもったいないですねえ・・・

岡崎:なかなかその辺はね・・難しいすね。

宮嶋:どうせだったら、ねえ、聖子さんも挑戦されたことだし、夏のオリンピックに自転車で出てみるというのはどうでしょう。

岡崎:練習の一環としては自転車に乗っているので、そこでいい練習ができればいいなというのはありますね。

宮嶋:まだまだオリンピックのこととなるとわからないと言う状況ですか。

岡崎:もう少し時間をかけてやっていこうと思っています。

山梨県境川の自転車競技場で練習する様子を取材したが、なかなかこれは見事なものであった。上半身がしっかり動かず、あの太ももから繰り出す馬力、天性の運動神経で、自転車をいともたやすく操る姿はスケートで見るよりも凛々しく感じたほどだ。私はアテネの青い空の元で新たなチャレンジをする朋美さんの姿を容易に想像できた。

 

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