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身長
172cm
出身地
大阪府高槻市
出身校
慶應義塾志木高校→
慶応義塾大学文学部
入社年月日
2002年4月1日
星座
牡羊座

5月14日 西武ドームで実況するということ

4月15日(日)、今シーズン初めてプロ野球の実況をしました。
BS朝日で放送された、西武-オリックス。

球場は西武ドームです。

聖地、という言葉があります。
高校球児にとっては甲子園球場でしょうし、大学野球では神宮球場。
日本サッカーだと国立競技場、だと思います。

いずれにしても、
いつか辿り着きたい憧れの場所、選ばれし者だけがそこに立つことを許される、
という意味で聖地と呼ばれているんだと思います。



「野球実況をしたい」その思いを原点にアナウンサーを志し、縁あってテレビ朝日に入社した。
そんな人間にとって、西武ドームの放送席は、まさしく聖地と呼べる場所です。

そして、そんな人間というのは僕のことです。


テレビ朝日は以前から西武戦を中継することが多く、
屋根がなかった西武球場時代から、幾多の熱戦を放送してきました。


僕が入社したころ、CSで放送されていた西武ライオンズのホームゲームは、
すべてテレビ朝日のアナウンサーが実況していました。
入社2年目の4月、初めて実況席に座ったときのことは鮮明に覚えています。
テロップで「実況 清水俊輔」と出たときの感動。
そのテロップに、「祝・初実況!」と加えてくれたスタッフの優しさ。


同じ年の2003年7月13日。
初めて地上波で野球実況をしたのも西武ドームでした。
西武―ダイエー。
先発は西武・松坂、ダイエー・新垣。
リーグを代表する若手エース格の投げ合いに、
スタッフからも「運いいね!いい試合になるよ!」と言われました。

ところが・・・、西武・松坂投手がまさかの大乱調。
1回途中、7失点で降板するという展開に。

実況アナウンサーにとって、一方的な試合展開ほど辛いものはありません。
試合が接戦であれば、試合展開や球場の雰囲気に助けてもらうことができます。
序盤から大差がついてしまった場合、自分でポイントや話題を探し、
実況中継を作り上げていかなければいけません。
入社11年目の今でもうまくできないのに、2年目の僕にできるわけがありません。

1回表が終わったあと、CM中に解説の東尾修さんが言った一言。
「もう準備してきた資料は役に立たんな!オマエの力が問われるぞ!!」
東尾さんらしいお茶目な笑顔を浮かべながら肩を叩かれたこと。
と言いながら、1回裏以降、苦しむ僕を解説で大いに助けてくださったこと。
今でも忘れません。


プレーオフが導入された2004年、西武-日本ハムのファーストステージ第3戦。
9回表、西武の絶対的守護神・豊田投手から、
日本ハム・木元選手が放った同点ホームランの弾道は、今でも脳裏に焼きついています。
放送の最大延長時間でも試合終了までお伝えすることができず、
「この試合を最後までお伝えできないことを、心からお詫び申し上げます。」
入社3年目なりに搾り出した言葉でした。

帰って録画した放送を見ました。木元選手の同点ホームランの実況。
自分の声の、弱いこと弱いこと。薄いこと薄いこと。歓声に負けている。カッコ悪い。
あのとき感じた恥ずかしさや悔しさは、間違いなく成長の原動力になりました。

その後も何度も何度も西武ドームの放送席に座りました。
2008年の日本シリーズでは、おかわり君・中村選手の豪快な3ランを実況。
4年前とは明らかに違う、少しは力強い実況ができた瞬間でした。

この10年間、全国各地で実況する機会に恵まれました。
札幌ドーム、クリネックススタジアム宮城、QVCマリンフィールド、東京ドーム、
神宮球場、マツダスタジアム、福岡ヤフードーム、ハードオフエコスタジアム新潟・・・。
アメリカや台湾でも実況しました。
どの球場にも思い入れはありますが、
西武ドームの放送席は、定期的に僕の実力をチェックするかのように、
目の前に現れるのです。


今回の実況も、その日のうちに自分でチェックしました。
「ちょっとサボってたんじゃない?」と、言われた気がしました。


その場所で実況できる幸せ。
その場所で教えてもらう、自分の力のなさ。


そんな西武ドームという場所があることのありがたみを、改めて痛感した一日。
そして、これからもできる限り数多く西武ドームで実況したいと切に願った一日。


これ以上、野球実況のチャンスが減りませんように。

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