アナウンス部ch

  1. top
  2. アナウンス部ch.
  3. バックナンバー

2023/09/06 元球児アナに聞いてみた!

今年の夏、
慶応義塾高校が107年ぶりに
夏の甲子園で優勝を果たし
大きな話題を呼びました!

高校球児たちが魅せてくれる
奇跡や感動に、毎年多くの方が
心を奪われてしまいます。

そこで、今回のアナウンス部ch .では
元球児だったアナウンス部員に
野球の魅力についてたっぷり話を伺っていきます!

まずは・・・ ・・・
布施宏倖アナウンサー


そもそも布施アナが野球を始めたきっかけは??


布施アナ

父と六大学野球を観に行ったことがきっかけですかね!

ということは、神宮球場にも
よく足を運んでいたんですか?


布施アナ

そうなんですよ!

私自身、早稲田実業学校の初等部に通っていたのですが
その時から父に神宮球場へ連れて行って貰っていました。

当時の早稲田大学野球部は

現ソフトバンクの和田毅選手や元阪神の鳥谷敬選手、
現ヤクルトの青木宣親選手と元ヤクルトの田中浩康選手など、

強力打線が魅力的で
興奮しながら手に汗握って応援していました!

まさにスター選手が勢ぞろいしていた
ということですね!


布施アナ

いやー、本当にかっこよかったです・・・・・・。
そんな早稲田野球部の活躍を応援しているうちに
「僕も野球部に入って、早稲田のユニフォームに袖を通して
早慶戦に出たい!」と夢見るようになり、
小学生のころから私も野球を始めました。


布施アナは、その後大学時代まで
10年以上野球を続けてきましたが、
中でも思い出に残っている場面はありますか?


布施アナ

はじめてホームランを打った小学生の時、
春のセンバツ甲子園に出場した早稲田実業での思い出、
早稲田大学準硬式野球部で早慶戦を戦ったこと。

たくさんあり、一つに絞るのが本当に難しいですね!(笑)

でもその中でも特に印象的だったのが、

王貞治さんにバッティングを見てもらったことです!

えっ?!あの王さんですか!


布施アナ

そうなんです。(笑)

実は故・荒川博さんに
中学生の頃まで、打撃指導を受けていたこともあり、
その縁で王さんが野球部の見学に来てくださりました。

またいつか王さんとこの仕事を通してお会いできるのを
楽しみにしています。

物凄い貴重な経験ですね!!

今度はアナウンサーとして
布施さんが夢見る王さんとの共演が実現することを
私も楽しみにしています!

続いては
佐々木快アナウンサー


ズバリ
佐々木アナが野球を始めたきっかけは?


佐々木アナ

小学校1年生の時に
地元の宮城 に東北楽天ゴールデンイーグルスが
誕生したことが大きかったですね!

確かに楽天が誕生した時は当時話題になりましたよね!

私もテレビのニュースで見たことを
おぼろげに覚えています。


佐々木アナ

懐かしいですよね!!

実は父が野球好きだったので
フルキャストスタジアム宮城(現:楽天モバイルパーク宮城)に
よく連れて行ってもらいました。

初めて球場で試合を見た時の感動は今でも忘れられません。

レフトスタンドに飛び込んでくるホームランに、湧き上がる歓声。
勝った時の喜び。

当時、まだ本格的にスポーツはやっていませんでしたが、
「プロ野球選手ってかっこいいなぁ!」と胸が高鳴りました!


因みに、特に「かっこいい!」と思った選手はいますか?


佐々木アナ

岩隈久志さんです!

小学校には岩隈さんのグッズを身につけて登校し、
父とのキャッチボールでも
岩隈さんのフォームを真似て投げるくらい大ファンでした。

「いつかは岩隈さんのようなすごいピッチャーになって、
プロ野球選手として楽天でプレーしたい」と思ったのが、
野球を始めたきっかけです。

影響って大きいですよね。

私は剣道を続けてきたのですが、
当時強かった選手の打ち込み方や掛け声を真似て
よく稽古に臨んでいました。(笑)

そんな岩隈選手に影響を受けた佐々木アナですが、
野球をやっていて
思い出に残っている場面はありますか?


佐々木アナ

高校野球最後の試合、最後のバッターボックスです。

私は高校3年生の時、
夏の大会のメンバー入りが確約されている選手ではなく、
あと1席2席を争うまさに当落線上にいました。

そういった選手が最後にアピールができるのが、
背番号発表の前の週に行われる遠征試合なのですが、

私は9回2アウト、
あと1つのアウトを取られれば試合が終わるというタイミングで、
監督から「代打行ってこい」と告げられました。

「ここで打ったら夏の大会に出してやる」

そんな監督の想いが打席で全身を奮い立たせました。

相手は山形の強豪校の剛腕サウスポー。
どんなに打ちたいと願っても、140キロに迫るストレートに
バットは掠りもしません。

そして2ストライクと追い込まれた3球目。

私はバットを出すことができず、見逃し三振。
ボールがキャッチャーミットに収まる乾いた音が無情にも
私の高校野球人生に終わりを告げるゲームセットを宣告しました。

バットを振らずに終わった高校野球は、私にとって一生の後悔です。

だからこそ、人生はフルスイング!そう思って日々を過ごしています。


この仕事にも通ずるところがあるけど
与えられたチャンスをいかに活かすかって
本当に大切ですよね。

そして「やらない後悔」より「やる後悔」。
佐々木アナの言葉を聞いて、
改めて人生フルスイングで頑張ろうと思えました。

最後は
所村武蔵アナウンサー


所村アナなぜ野球を始めたんですか?


所村アナ

黄色いユニフォームに導かれ野球をはじめました。

黄色いユニフォーム?!


所村アナ

はい!(笑) 実家の近くに星稜高校があるのですが
野球部のユニフォームの色が黄色でして。

幼少期から父に連れられ、よくグラウンドに足を運んでいました。

憧れのお兄さんたちの中には
現在楽天でプレーする島内宏明選手や巨人の高木京介選手がいました!

そして当時の監督・山下智茂さんの
情熱的で厳しくて愛情あふれる指導を見て
星稜で野球をすると心に決めていました。

星稜高校野球部のモットー
「人間形成の野球道」は
私の人としての礎になっています。


“野球を通じて人間を形成していく。”
私がやっていた剣道(武道)と通ずるものがある気がします。

そんな憧れの星稜高校野球部に入部し、
大学卒業まで野球を続けてきた所村アナですが
忘れられない経験はありますか?


所村アナ

大学3年の秋、先輩との最後のリーグ戦です。
先発ピッチャーはその日誕生日だった親友。

9回まで完璧な投球で初めての完封勝利目前でした。

9回裏2アウト走者2塁、
私は敗戦につながるタイムリーエラーをしました。

私の運命、感情、野球観を変えた忘れられない一球です。

勝利があれば敗北があります、笑顔の裏には涙もあります。

全ての人に寄り添い、誰もが聞き返せる愛のある言葉を選ぶ伝え手を
私は目指しています。


その場面を想像するだけで
胸が締め付けられるような思いになります・・・・・・。

ただ、そんな所村アナだからこそ
紡ぎだせる言葉が沢山あるはずです!

では最後に
野球に携わることができる
アナウンサーの仕事の魅力を3人に伺ってみましょう!

まずは布施アナ!お願いします!


布施アナ

はい!

大好きな野球を一度は引退し離れましたが、
野球の魅力を体感する選手としてではなく、
魅力を発信していくアナウンサーとして、
これからも携わることが出来るのは本当に幸せな思いです。

特にテレビ朝日では
甲子園球場のアルプス席からリポートや
東京ドームでWBCの日本代表選手に取材など、
球児にとって憧れる舞台で心震わす瞬間に巡り合うことができます。

いつか自分が甲子園、WBC、オリンピックの決勝戦の中継を
任せて頂ける実況アナウンサーになれるように日々努力していきます!


ありがとうございます!

続いて佐々木アナ!


佐々木アナ

はい!

私は小学校の卒業文集に「夢はWBCに出ること」と書いたことがあります。


志半ばで夢破れたわけですが、
今年の3月、取材や中継でWBCに携わらせていただき、
「幼い頃の夢の舞台なの だ」ということを感じました。

もちろんそれで満足というわけではないですが、
この先、アナウンサーとして努力を続ければ、
10年間の野球生活で達することができなかった、舞台や瞬間、考え方に
出会えるのではないかとも感じています。

線路は違えど、夢の続きをまっすぐに走っているような、
そんな感覚で仕事をできるのはとても幸せに感じます。


ありがとうございます!

最後に所村アナ!お願いします。


所村アナ

はい!

私にとって青春をささげ、
心身共に鍛え上げてくれた野球に携われることは
限りなく幸せなことです。

同時に、様々な感情が交錯し
勝敗が決まる一球一瞬に関わることへの責任も感じています。

また野球を極められたプロや名監督の方々にお話を聞きながら、
一球一瞬に言葉を添えていく野球実況は私の夢です。

近い将来、私の恩師である星稜高校の名誉監督・山下智茂と共に
甲子園を駆け抜ける球児たちが、
星のように輝く言葉を紡げたらと思っています。

ありがとうございました!

「自分の“好き”を仕事にできる」
正にアナウンサーの仕事の醍醐味でもあります。

好きな野球の道からアナウンサーの道へ。

それぞれの思いを胸に
それぞれの夢に向かって
3人の元球児アナウンサーたちの歩みは
これからも続いていきます!