担当者
-
- Reported by
布施宏倖
「海外旅行がしたい!!!」
コロナ禍で中々旅行は出来ず、
東京五輪の開催によって、
“海外欲”が、
増しているひともいるのではないでしょうか?
私(布施)もそのうちの一人です・・・・・・。
そこで!
今回は、海外旅行ができるようになった時、
みなさんの旅行計画の参考になればと思い、
海外暮らし経験のあるアナウンス部員に、
話を聞いてみました!!
まずは、
テレビ朝日の“ニューヨーク支局”で働いていた、
平石アナウンサーに聞きました!
NY支局に行こうと思った理由と
思い出に残っている取材は何ですか?
「行こうと思った」というより、会社側から声をかけていただきました。
ニューヨークに暮らしながら仕事もできるチャンスですが、
自分だけでは決められないことなので、家族とも相談のうえ、
翌日「行かせてください」とお答えしました。
思い出に残っている取材は、
まずはアメリカ大統領選挙です。候補者が広い国土を転々とするダイナミックな選挙戦を取材し、国民もしっかりと意思表明する選挙の熱を肌で感じました。
そして、イチロー選手の年間最多安打記録取材。
シーズン終盤の10試合に密着し、
グラウンドで、スタンドで、ロッカールームでつぶさに取材し、
記録達成への緊張と興奮を毎日、日本にお届けしました。
いまでもイチロー選手がスイングした打球がセンターに抜けていく
「記録達成の瞬間」は、スローモーションで脳裏に浮かびます。
イチロー選手取材
スペースシャトル取材
どちらも凄い瞬間に巡りあい取材が出来て、とても羨ましいです!!
日本ではなく、ニューヨークに行く決断をしたからこそ、
経験できたことですね!
ニューヨークでは、
どんな生活をしていたのか教えてください!
マンハッタン内に暮らしていましたので、
徒歩で、地下鉄で、バスで、あちこち出かけました。
ブロードウェイのミュージカルをみたり、
当時NYでは「ダブル松井」(ヤンキースの松井秀喜選手とメッツの松井稼頭央選手)の
活躍が注目されていましたので、取材も含めて、よくスタジアムにMLBも観に行きました。
やりたいことがありすぎて、1年ではやり尽くせなかったですね。
ニューヨークの街並み
ブロードウェイやMLBの観戦は、
ニューヨークならではの休日の過ごし方ですね!
私も観に行きたい・・・・・・。
ちなみに、ビジネス英語はいつ習得したのですか?
英語の勉強に最も集中し、そして、力も伸びたのは、
ニューヨークへ行くことが決まってから、実際に行くまでの半年間だったと思います。
英語ができないと仕事にならないと思うと必死になりますよね。
ニューヨークにいってからは、支局内では日本語での会話が多くなるので、
とにかく電話をとって、英語を使うようにしていました。
帰国する前には、英語で夢を見るようになって、
「これが英語で考えるということか」と感慨深いものがありました。
(でも、帰ってきたら、だいぶ忘れてしまった…)
いま思い返しても英語の勉強はしんどかったです!
もし、小中高校生や大学生のときに、
「将来、NYで英語で仕事をする」と明確にわかっていたら、
もっと真剣に勉強してたのに!と、英語で苦労するたびに感じていました。
確かに、追い込まれると必死になりますね。
私も学生時代にちゃんと勉強しておけば良かったと後悔しています・・・・・・。
電話を活用した英語の勉強法、私も試してみます!!
ニューヨークでの生活がいまどんな事に活きていますか?
さまざまな民族、宗教、そして、貧富の差などにふれ、
「自分は何者なのか」をとても考えさせられました。
自分がいま見ているものは、自分の位置から見えているもので、
見る角度や立場が変われば違って見えると、
NYでの経験を機に考えるようになったことは、日々のニュースを扱ううえで、
貴重な経験だったと感じています。
つい自分の視点からしか物事が見えなくなってしまいますが、
私もニュースを扱う上で、
様々な角度から考えて、伝えられるように心がけます!
続いては、
学生時代、“ベルギー”に住んでいた、
住田アナウンサーに聞きました!
ベルギーに住むことになった理由と
思い出を教えてください!
父親が転勤することになり、それがきっかけで一緒に行くことにしました!
中学3年の終わりから、高校卒業するまでの間です。
思い出については、妹の学校の関係で、母と妹が1年ちょっと日本に帰国していた間、
父と2人暮らしの時期がありました。
その時、金曜日は大体外食で、よく中華料理店に行って、餃子を食べていたんです。
その餃子の皮がもちもちで、肉汁がじわーっと広がって、本当に美味しくて。
その味がずっと忘れられずに、大学3年生で母と旅行で遊びに行った時に、
もう一度食べに行きました!
私の記憶では「一皿にスマートフォンより一回り小さいくらいのサイズの餃子が
5つ乗っている」というイメージだったので、2皿と、ヌードルを頼んだのですが……。
約4年の月日はメニューを変えたようで、
サイズは小さくなったものの、餃子が20個出てきました……。
母と2人で驚愕……。
でも、店主のおじさんが、私のことを覚えてくれていて、とても親切にしてくれたので、
残すわけにもいかず、2人で17個までは食べました!!
ベルギーで食べた餃子
ベルギーなのに、中華料理!?と最初は驚きましたが、
お話聞くと、お父さんとの餃子の思い出、とても素敵です!!
ベルギーならではの、
住田さんおすすめの料理はありますか?
私が一番好きだったのは「シュリンプクロケット」です。
エビとチーズのコロッケのようなものです。
外はサクサク!中はチーズがとろとろな上にエビのぷりっと感も楽しめて、
食べる時の幸福感と言ったらもう……
ブリュッセルにはグランプラスという広場があり、
「世界一美しい広場」として知られているのですが、
そこにあるお店で食べていた記憶があります。
クロケット
もう一つは「フリッツ」です。
これなしには語れません!
フライドポテトのことなのですが、ベルギーでは「フリッツ」と呼びます。
学校でもafter schoolに売っていました。
ケチャップとマヨネーズ、どちらもつけて食べるのがたまらないんですよね。
フリッツ
美味しそう!!!
普段私が食べている揚げ物料理より、
見た目も上品に見えます!
ビールにも合いそうですね(笑)
ベルギーでは、
どんな生活をしていたのか教えてください!
普段の週末は、お恥ずかしながら、睡魔に負けて昼頃まで寝て、
そのあとは課題に追われるという状態でした。
一週間ずっとVisual Artの作品を作っていたこともありました。
その作品は「気持ちが悪い」と言われ、結局ボツになりました(笑)
ボツになった作品
その代わり、長期休みは大体旅行に行っていました。
ヨーロッパは地続きですので、他の国に簡単に行くことが出来ます。
なんて贅沢なんでしょうか……(笑)
車でドイツに行って、シュツットガルトやミュンヘン、フランクフルトなど
様々な場所をまわったのは本当に貴重な思い出です。
車で別の国に行けてしまうなんて!!
流石ヨーロッバ!
日本では出来ないことなので羨ましいです……。
ベルギー生活の中で、
困ったことはありましたか?
話し始めたら書ききれません!(笑)
高校生の私にとって生活上一番困ったのは、
公共交通機関が時刻表通りに来ないことです。
バレエの練習の帰りに大雪になってしまったことがありました。
目の前でトラムが行ってしまい、仕方ないと思って待っていると、
時間になってもトラムはいっこうに来ません。
結局40分くらいしてやっと目の前にトラムが現れました。
そのころにはすっかり身体は冷えきっていて
家に帰って手を洗おうと思ったら、水が熱湯のように熱く感じられて、
しばらく洗うことができませんでした……。
車を一切使わない日。普段は車道の家の前の道路も歩くことができたので、バレエポーズ
日本では何事も時間通り!
という印象がありますが、
旅行する際は気を付けないとダメですね!
ベルギーでの生活がいまどんな事に活きていますか?
非常にフレンドリーになりました。
街の中も、学校も、バレエスクールも、
出会う人は国籍も、生まれ育った環境も、違う人ばかり。
私は東京都出身ですが、同級生に同じ土地出身の人は1人もいません。
しかし、同じコミュニティの中で生きていくためには、
完全に理解することは難しいにせよ、受け入れる必要がありました。
また、自分から誰かに話しかけなければ、友達もできない状況だったので、
不安やどうしようという気持ちは捨てて、
とにかく様々な人と話しました。
そのおかげで、職場などでも様々な人に話しかけられるようになったと思います。
誰にでも優しく接する住田さんは、
ベルギーでの生活が大きく影響していたんですね!
私もそのフレンドリーな雰囲気を大事に出来る人になります!
続いては、
学生時代、“ブラジル”に留学経験のある、
駒見アナウンサーに聞きました!
ブラジルに留学した理由を教えてください!
高校二年生の時から一年間ブラジルへ留学しました。それまでは勉強をして部活をして…。ごく普通の高校生活を送っていたのですが、
ある時「まだ出会ったことのない文化や人に触れてみたい!留学をしてみたい!」
という思いが込み上げてきました。
両親に相談すると快く背中を押してくれたので、自分の中でも直ぐに決意が固まりました。
ブラジルを選んだ理由としては、
「周りの人が留学先として選ばない場所に行きたい」という思いがあったからです(笑)
サンバカーニバル
素敵なご両親ですね!
そして駒見アナのブラジルを選んだ理由が
シンプルですが勇気のある決断だと感心しました。
ブラジル生活で思い出に残っていることは何ですか?
ブラジルに到着した翌日、ホストマザーからタキシードを渡され「今から出かけるから、これに着替えて!」と言われました。慣れない服に身を包み、車で移動すること1時間。到着した先は、なんと華やかなダンスパーティー会場だったのです!到着早々、純白のドレスを着た女性と社交ダンスを踊り、日本では中々味わえない経験に大きな刺激を感じました。
タキシード姿でダンス
私も海外の映画やドラマで、
そういったシーンを見るたびに素敵だなぁと思っていました。
日本でもそういった機会があれば良いのに!(笑)
ブラジルでは、
どんな生活をしていたか教えてください!
ブラジルの家には「シュハスケイラ」と呼ばれるシュラスコを作る窯が、必ずと言っていいほど設置されています。週末になると親戚や友人を家に呼んで、この窯でじっくり焼き上げたシュラスコを皆で味わうというのが、ブラジルならではの休日の過ごし方です。地元ブラジル産の牛肉は身がギュッとしまっており、赤身と脂身の絶妙な味わいがジュワっと口いっぱいに広がります!!
シュラスコの窯の前で
私、シュラスコ大好きです!!!
だから、家に専用の窯があるなんて羨ましい限りです!
いいなぁ……。(笑)
ブラジルでの生活がいまどんな事に活きていますか?
現地の公立高校に通っていたのですが、初めの3ヶ月は全くポルトガル語を話すことができずに苦労しました。そんな時、ホストマザーが子供用の絵本をプレゼントしてくれて、そこに出てくる簡単な単語を一つ一つ覚えていきました。そうすると徐々にコミュニケーションが取れるようになり、友達の輪が広がっていきました。「千里の道も一歩から」ということわざがありますが、何事もコツコツ取り組むことが大切だなと実感しました。
アナウンス部に配属されて半年が経過しましたが、お陰様で日々新しいものに挑戦させていただいています。ブラジルで培った地道に取り組む姿勢で、今後も自己研鑽に励んでいきます。
ブラジルで学んだことはとても素晴らしいことだと思うよ!
駒見がアナウンサーとして、
一歩一歩成長していく姿を楽しみにしている!
三人とも一定期間、
その土地で生活していたからこそ、
地元ならではの文化や生活様式などの、
エピソードがたくさんありましたね!!
皆さんの旅行を豊かにする情報として、
役立てば幸いです!
いまはまだ海外旅行ができる状況ではありませんが、
いつか出来るようになった時は、
三人が教えてくれたことを思い出して、
充実した海外での生活をお過ごしください(^^)/