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2011年5月24日

屋上まで水没、“津波避難ビル”住民の安否は・・・

屋上まで水没、“津波避難ビル”住民の安否は・・・

これまで幾度も津波に襲われ、壊滅的な被害を受けてきた宮城県南三陸町。町は、5年前、防災対策の象徴として町営団地『松原住宅』を建設した。海沿いに津波避難ビルとして建てられた松原住宅は、耐震性の強化はもちろん、基礎を強化するために、通常よりも3割も多い杭が高さ15mの建物よりも深く打ち込まれている。南三陸町は海岸から3kmの内陸部まで津波が押し寄せ、多くの命が奪われたが、松原住宅は原型を留めた。しかし、ここで暮らしていた48世帯107人の住民たちの安否は、どうなったのか。

松原住宅の自治会長・畠山武人さん(73)は、被災後、名古屋に住む息子夫婦のもとで暮らしていた。畠山さんは、屋上に逃げ難を逃れた。畠山さんによると、松原住宅の15世帯23人の住民が一緒に屋上に避難したという。屋上に避難した住民たちの証言により、避難時の様子がより鮮明にわかってきた。4階に住む須藤正彦さん(47)は、地震発生時、自宅にいた。3階まで津波が来たため、須藤さんは、屋上まで駆け上がった。このとき、近くの公民館で部活動をしていた高校生など住民以外の21人も屋上へ避難していた。南三陸町職員の石澤友基さん(28)は、「松原住宅は津波避難ビルとして指定されているので、高校生に上がるように話をした。瞬時にここしかないと考えた」という。しかし、津波は15mある松原住宅の建物を越え、屋上まで達した。屋上に柵があったため、そこにつかまり、避難した人たちは流されずにすんだという。屋上に避難していた菅原武人さん(18)は「第2波で『もっと高い波がくるかもしれない』と言われ、さらに上へ登れと言われた」と話す。そのときの状況を捉えた写真には、懸命に津波から逃れようとする住民たちの姿が写っていた。雪も降り出し、氷点下まで気温が下がるなか、屋上に避難した44人は、翌朝、無事全員が救出された。須藤さんは「屋上に逃げれば16mくらいあるから大丈夫だという意識が働いた。いったんは車で逃げようと思ったけど、結局、留まったから生きている」と話す。

一方、屋上に避難しなかった住民は、どうしたのか。地震発生時、3階に住む臼井恵美さん(35)は、自宅にいたが、屋上には避難せず、松原住宅の外へ逃げた。毎日、海を見ていたのが影響したという。「屋上に逃げようか迷ったが、大きく潮が引いていくのを見て、怖くなった」と話す。

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