

2011年5月27日
2004年5月27日、イラクで取材していた戦場カメラマン・橋田信介さん(当時61)は、助手として同行していた甥の小川功太郎さん(当時33)とともに、武装グループの襲撃を受け、殺害された。あれから7年。橋田さんの妻・幸子さん(57)は、夫婦で交わしたある約束を果たすため、息子の大介さんとともに初めてイラクの殺害現場を訪れた。
ベトナム戦争からイラク戦争まで、30年以上、戦場を駆け巡ってきた橋田さん。常に、攻撃される人々の側に立って取材してきた。2003年4月、バグダッドが陥落。この時、橋田さんは「あるイラク人が『お前、年寄りなのによく頑張った』と言って花をくれた。疲れたが満足感でいっぱい」と笑顔で語っている。イラク戦争が終わって8年。本当に戦争は終わったのか。幸子さんは、かつて激しい銃撃戦があったイラク中部の都市・ファルージャに向かった。いまだ危険だということで、武装した護衛を同行。街に向かう途中、爆破テロがあったという現場に出くわした。女子中学校の正門前で、爆弾が仕掛けられた車が爆発。午前11時、授業中に起きた。この爆発で7人が死亡、27人が負傷した。イラクの治安部隊は、「一般市民を狙ったテロ行為。目的はわからない」という。
橋田さんは亡くなる直前まで、ファルージャで、アメリカの空爆で左目を負傷したモハマド・ハイサムくん(当時10)を取材していた。橋田さんは、彼を日本へ連れて帰り、目の手術を受けさせようとしていた。その遺志を幸子さんが引き継ぎ、モハマドくんを日本に呼び寄せた。手術は成功。彼はイラクへ帰っていった。幸子さんは、17歳になったモハマドくんとの再会を果たした。残念ながら、彼の左目の視力はなくなっていた。イラクでは、手術後のケアがうまくできなかったという。左目は治らなかったが、モハマドくんには、医者になって人を助けるという夢がある。橋田さんの想いがいま、芽吹こうとしていた。幸子さんは、モハマドくんとの出会いをきっかけに“橋田メモリアル・モハマドくん基金”を立ち上げ、イラクの病院に保育器を寄付するなど、支援活動を行ってきた。戦争が起こる前は一カ月に一人くらいだった未熟児の誕生が、いまでは一日に2、3人生まれるという。劣化ウラン弾の影響か。