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北朝鮮の座礁船、米海軍横須賀基地に続いて香取編集長が訪れたのは、日本の中にありながら、日本ではない場所――大使館。東京タワーに程近い一等地に位置するロシア大使館が、今回の目的地です。冷戦時代には「KGBの巣窟」として、スパイ活動の拠点ともいわれていました。別名・狸穴とも呼ばれたロシア大使館を香取編集長が訪ねました
 大使館といえば…世界各地で未だなくならない「駆け込み」。亡命を求める人々が目指した場所、それが「大使館」です。では、なぜ彼らは大使館に駆け込むのでしょうか。大使館とは母国から外交の一切を任された大使が治める場所。国交のある国のほとんどにおかれ、外交一般から市民交流の手助け、ビザの発給までを行います。大使館の敷地はあくまでも母国の敷地。その敷地内に一歩足を踏み入れれば、そこは外国であり、所在国の法律には一切縛られることはありません。そのため、亡命を求める人々が決死の覚悟で敷地内を目指して駆け込んでくるのです。ちなみに、大使館が所有する車も、すべて「外国」。駐車違反やスピード違反、さらにどんな事故を起こしても法に咎められることはないのです。
 世界最大の面積を誇るロシアの人口は1億4800万人。公用語はもちろんロシア語で、通貨はルーブルが使われています。この時期、モスクワの平均気温はマイナス10度と厳しい寒さが続きます。その寒さのせいか、結婚が早く、女性の平均結婚年齢は18歳〜20歳。そのロシアは、国境を接しているだけに、古くから日本とかかわりがあります。しかし、常に仲の良い隣国だったわけではありません。1904年、満州・朝鮮と侵略を続ける大国、帝政ロシアに日本が宣戦布告して始まった日露戦争。1年の戦いの末、日本が勝利し、国際的な地位を高めるキッカケとなりました。1917年、革命を経てソ連が誕生。その後、日ソ両国は第2次世界大戦、シベリア抑留、そして北方領土問題など、数々の暗い課題を抱えていくこととなるのです。さらにアメリカ対ソ連、という冷戦の構図がはっきりするに従って、日本とソ連との関係もますます冷たいものになっていったのです。しかし、ゴルバチョフ書記長の登場とともに冷戦は劇的に終焉。そして、ソ連からロシアへと変わったのをキッカケに、日本とロシアの関係にも雪どけが訪れました。更にその親交ムードに拍車をかけたのが、柔道が特技という親日家であるプーチン大統領の登場です。先日の小泉・プーチン会談でも、側近なしに自宅で飲み明かすなど、新しい日ロ関係を確実に築いているのです。そしてもうひとつ、ロシアを身近に感じられた出来事が、サッカーのワールドカップ。予選で日本とロシアが対戦、市民レベルでも大きな盛り上がりを見せたからです。
 大使館内では母国、ロシアのテレビ番組をリアルタイムで見ることができます。前回、香取編集長訪れた横須賀基地でも同じく母国のテレビを見ることができました。現在ロシアではプーチン大統領が大人気。知的な雰囲気に加え、決断力があること、そしてなによりスポーツマンであることが人気の秘密と言われています。3人組「パユーシェ・ブメスチェ」が、「プーチンみたいな人が欲しい」と歌う「タコーバ・カク・プーチン」というヒット曲もあるくらいなのです。ここロシア大使館で香取編集長は、本来はあまり見せてはいけない部屋というロシア大使の部屋や、大使館の敷地内にある学校を見せてもらいました。課外授業で日本語も勉強するというこの学校では、小学校1年から高校2年生までおよそ200人の生徒が学んでいるのです。敷地内にはこのほかに、病院、劇場なども完備されています。  この後、香取編集長は大使に続く立場の在日ロシア公使と会うことになりました。公使に案内され、2階のレセプションルームへ。そこにあったステンドグラスを作ったのはロシアで最も有名な芸術家「ズラブ・ツェレテリ」氏。ソ連時代の作品らしく題材は「赤旗」だとか。本来は国内外の賓客を招いてのパーティーに使われるレセプションルームで、公使は香取編集長をもてなしてくれました。壁一面にモスクワ市を描いた壁画が広がる室内で、大使専属の料理人が特別に作ってくれたロシア料理がふるまわれました。本場のピロシキとボルシチ、そしてウォッカが…
 香取編集長が、今回一番聞いてみたかったこと…それは「ソ連とロシアの違いは?」という質問でした。「体制が違います。旧ソ連と違って、ロシアは複数政党制に基づく民主主義の国です。そして、計画経済から市場経済になりました」と公使は答えてくれました。1991年6月、ソ連はロシアとなり、社会主義から資本主義に、計画経済から市場経済へと変貌しました。それまでのソ連では、どれだけ働いても、もらえる給料は同じ。しかしロシアでは努力すればしただけ、お金を稼ぐことが可能になりました。もちろん、仕事も自由に選ぶことができます。さららに、ソ連時代は配給制だった食料などの生活必需品もいまではスーパーや市場で自由に買えるように。町には、ソ連時代には一切無かった広告があふれ、多くのブランドショップも出店しています。しかし、市場経済の導入が貧富の差を広げたのもまた事実なのです。ほか、編集長は、「ソ連時代とロシア時代、どっちが暮らしやすいか?」「アメリカとイラクが戦争をしそうですけど、どう思いますか?」といった質問もぶつけました。それに対して公使は「私の考えでは、言論の自由…言葉だけじゃなく、実際に市民生活に使われる権利としての言論の自由があるので、暮らしやすいんじゃないか」「アメリカとイラクに関しては、国連安保理の決議に従って、平和的に解決できると信じています。武力行使では何も解決しない。ロシアのことわざに、『悪い平和はよい戦争よりまし』という言葉もありますから」と答えてくれました。
ロシアの首都モスクワでは他のヨーロッパ各国に遅れること10年以上、現在日本食ブームが巻き起こっています。モスクワのすし屋の数は実に120軒。これはロンドン・パリに次ぐ多さです。しかし値段が高く、平均月収1万円〜3万円ほどのロシアで、一食1万円以上するといいます。さらに、日本人客があまり訪れないせいか、メニューはロシア風にアレンジされています。いまの一番人気は、「フルーツ寿司」。海苔の代わりにチョコレートで作る細巻きだとか…。また、本屋で平積みにされているのは、村上春樹の小説。彼の作品は常にベストセラーの5位以内に入っているとか。
ロシア大使館の土地はロシアが所有しているので、当然家賃は発生しません。ちなみに現在モスクワでは、在ロシア日本大使館が建て替え中。総工費90億円、プール付きの豪華物件です。当初はテニスコートやサウナもつけられ、総工費100億円の予定でしたが、あまりの贅沢さに批判が相次ぎ、施設の一部は建設が中止されました。もちろん、この建設費用はすべて日本の税金で賄われています。地上5階、地下1階の白亜の御殿が完成するのは2005年の予定です。
――今回、ロシア大使館に行ってみて、一番印象に残ったことは何でしたか?
 ウォッカっておいしいんだな、って。『何だよ、そんなところかよ!』って言われそうな感じだけど(笑)。番組だったんで、ほんのひと口ふた口だったけど、もうあれならガブガブ飲めそうなくらい。凄い強いんだけど、凄い美味かった。何とも言えない風味がいい感じで…ま、ウォッカの話はいいや(笑)。う〜ん、印象に残ってることねぇ(と、しばし考える)。単純に、勉強になったってことかな。大使館ってもの自体、あんまり知らないまま連れて行ってもらったんだけど、他の国に行った時に、困ったことがあったら、大使館を頼ればいいんだな、って。旅行でトラブルが起きたら大使館に行く、っていうくらいは知ってるけど、あれだったら、本当に敷地に入るだけで落ち着くだろうな、って思った。

――やっぱり、見せられない部分というのが結構あるんですね。
 そう。でも、ボクの中にあまりにも情報がないから、『ここは見せられない』って言われても、ボク的にはそんなに気にならなかった(笑)。後で、『何で見せられないのかな?』っていろいろ考えたけど…。

――でも、普通にはなかなか行けない場所ですよ。
 そうそう。全然行けないところも見せてくれたんじゃないかな。そういう場所に、番組を通して行けて、社会科見学のような、社会勉強のような感じだけど、その奥にはまだ扉がある…あそこでレセプション・パーティーがあるとか、舞踏会が開かれるとか教えてくれて、ボクには縁のない世界に特別に入れてくれたけど、その先がまだまだある、っていうのは、『上には上が…』じゃないけど、世界は何て広いんだろう、って思いますね(笑)。

――次回は『はとバス・ツアー』だそうですが、見どころは?
 これは、楽しかったぁ。これは、ベラベラですよ。朝から、ほぼ1日のツアーで、本番前まで行ってたんだけど、全部終わって、みんなと別れるのが寂しかった(笑)。いろんな国の人と、日本の勉強をするっていうのが面白いよね。終わった時に、マネジャーさんと話したら『ボクノダカラ…』みたいな日本語になってたのは大爆笑だった(笑)。大人数で、あれだけ密に過ごせて、みんなのこと好きになったもん。すっげー楽しかったよ(笑)。だから、期待してください!
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