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チュニジア編撮影日記
チュニジア 撮影日記 1

02.Février (mercrdi)
夕方の飛行機で、モロッコを後にチュニジアに移動。スチュワーデスたちが、何やらそわそわしながら僕に視線を投げかけてくる。食事のサービスの時もやたらと愛想が良い。一体どうしたんだろうと思っていると、僕のことをデザイナーのKenzo TAKADAと間違えたようだ。自分ではまったく似ていないと思うのだが、白髪混じりの長髪の東洋人ということで、彼女たちにはそう見えたのだろう…。2時間半のフライトはあっという間に過ぎ、チュニス空港に到着。
ホテルにチェックイン後、新しいカメラを運んでくれることになっている、テレコムスタッフの宮内氏を迎えるため再び空港へ、ゲートで宮内氏と合流。通関手続きの関係で、カメラが税関を出るのは明朝になるとのこと。何はともあれ、わざわざカメラを運んでくれた宮内氏に感謝。

03. (jeudi)
朝9時、空港に向かい新しいカメラをピックアップ。郊外列車“TGM”から撮影を始める。“TGM”とは始発となるTUNISのT、途中の街LA GOULETTE(ラ・グレット)のG、終点LA MALSA(ラ・マルサ)のMを組み合わせたものだ。始発のチュニス・マリン駅は、切符売り場とホームを組み合わせただけのこじんまりとした駅だが、この国のシンボルとも言える白と青の彩色が施されており、なかなか洒落ている。
マリン駅を出発するとまず、湖と港の間に直線に引かれた線路を走る。右手には港、左手には湖が迫っており、水上を走っているかのような気分だ。ヨーロッパからのフェリーが発着する港町ラ・グレットを過ぎると、約1~2分間隔で駅に停車して行く。出発から8つ目の駅カルタージュ・サランボ駅から6つの駅は、全てカルタージュ(CARTHAGE/カルタゴの仏語)が頭についており、カルタゴ遺跡に向かうのに便利だ。沿線は大統領官邸もあるほどの高級住宅街で、残念ながら車窓から遺跡は見えなった。14番目に停車するのがシティ・ブ・サイド。純白の壁にチュニジアン・ブルーと呼ばれる鮮やかな青で扉と窓枠が塗られた家並みが続く。撮影を始めた時は小雨がぱらつく天気だったが、やがて雲が切れ、陽射しが差すと、街は輝きを取り戻し、眩いほどの美しさを見せてくれた。終点のラ・マルサは古くから別荘地として知られる街で落ち着いた雰囲気が漂っていた。海沿いの街を結ぶ郊外列車“TGM”、その走って行く姿を撮影しながら、ふと湘南を走る“江の電”を思い出した。

ディレクター 狩野喜彦

TGM入線
TGMに乗り込む学生たち
白と青の町並み
チュニジア撮影日記 2

04.(vendredi)
新しいカメラを運んでくれたテレコムスタッフ技術開発部長の宮内氏は優秀なカメラマンでもあり、今回の撮影にはデジタル写真担当として同行することになった。(次回のロケからは、写真がデジタル化されるため、そのデータ収集を兼ねている)

朝9時、チュニスの中心街にあるフランス門から撮影を始める。かつて、この門の両側には城壁が築かれており、メディナ(旧市街)を取り囲んでいたというが、今は門だけが残っている。東側にはカンヌやニースといった南フランスを思わせる大通りが続き、両側には迷路のように入り組んだアラブの街並みが広がる。“アラブと西洋の出会い”-どうやらこの国を読み解く鍵はこの辺りにありそうだ。

10時過ぎ、チュニス鉄道駅に向かう。この駅はバルセロナ広場に面しているためバルセロナ駅とも呼ばれ、時刻表等にはTUNIS VILLE駅と表記されている。駅舎は堂々とした近代建築で、中に入ると吹き抜けのホールが広がる。切符売り場は正面の両側にあって、向かって右がメインラインと呼ばれる長距離線路、左が近郊路線となっている。これから乗車するビゼルト行きの列車はメインライン。出発便と到着便に分かれた電光掲示板にはアラビア語と仏語で発着駅、時刻、ホーム番号が記されている。現在駅の一部が改修中の為か、中央にあるホームへの扉は到着用で、出発の改札口は右隅にあるのでちょっと解りづらい。

11時、定刻通りに列車は動き出す。6両編成の客車は最後尾1両が1等車で残りは2等車だ。出発から約25分の所で親切な老人が窓の外を撮影しろと指さすので目を凝らすと、ローマ時代の水道橋が通り過ぎて行った。その後なだらかな丘陵田園が続き、1時間20分位の所でイシュケナル国立公園の美しい山並みと湖が広がった。チュニスから1時間40分、終点のビゼルトの駅はちょっと味気ないが、Vieux Portと呼ばれる古い港と城壁は、なかなか絵になる場所だ。また城壁の中のカスバは人々の生活に触れられる場所で、この日は軒先で陽気なお婆さんが、ハリサという調味料を作るため、大きな赤唐辛子をほぐしていた。
「何が起こるのか、予測出来ない分、大変だけれど、興味深いロケですね」
夕食時『世界の車窓から』のロケに初めて立ち会った宮内氏がつぶやいた。

ディレクター 狩野喜彦
フランス門正面
TUNIS VILLE駅構内
ビゼルトの城壁と川
チュニジア撮影日記 3

05. (samedi)
朝9時、ビゼルトの俯瞰を、城壁の上から撮影後、イシュケウル国立公園へ向かい、数種類の水鳥、野生のバッファローを撮る。同行してくれた鳥類学者のレンジャーが親切に色々な事を説明してくれるのだが、僕の仏語会話力ではせいぜい50パーセント理解するのが精一杯。それでも、この公園の生態系がいかに重要かは何とか理解出来た。
湖畔を走る列車、田園を走る列車を撮影し、街道筋の焼き肉屋で昼食。宮内氏と小生はついついカメラ談義になってしまう。馬場さんに中年カメラ同好会だと言われてしまった。帰りがけにチュニス近郊の水道橋で、通過する列車を待つ。しかし、週末で時刻表とダイヤが違うらしく、予測していた時刻に列車は来ず。さてどうしたものかと思案していると、上下線とも立て続けに通過。慌ててカメラを回し、何とか撮影が出来た。夜は明日帰国する宮内氏のお別れ会。新しいカメラが届いて本当に助かった。

06.(dimanche)
宮内氏とホテルで別れ駅へ向かう。切符売り場から撮影しようと準備していると、コーディネーターのラサド君が大慌てでやって来る。聞けば今日も週末でダイヤが違うらしく、乗車予定のガルディモウ行き列車の出発まであと5分しか無いと言う。切符売り場の撮影をあきらめ、列車に駆け込む。何とか間に合ってやれやれだ。乗客たちはみんな気さくで。嫌な顔ひとつせず、被写体になってくれる。スカーフを頭に巻いたお婆さん。民族衣装の中年男性。みんなフォトジェニックだ。中でも列車で待ち合わせをしていた、赤ちゃんを含めた3代の父子の姿は心温まるシーンだった。
最初は天気が良かったが、次第に曇って来たのが残念だ。ベジャ、ジャンドゥーバを過ぎ、ガルディモウにつく頃には、山並みに白い雪が見えた。どうやらモロッコから寒波が流れて来ているようだ。終点ガルディモウはアルジェリア国境の町で、かつては、列車はアルジェリアまで走っていたのだが、現在はここでチュニスに引き返す。駅舎の煙突に住み着いたコウノトリを撮影し、隣のカフェへ。中は満席。この日はハンドボールのワールドカップの準決勝でチュニジアが、かつての宗主国フランスと対戦するとあって、人々の応援に力が入っている。普段はフランス贔屓の小生だが、ここはやはりチュニジアの応援に回るが、残念ながらチュニジアは負けてしまった。 草原の羊飼いと列車の走りを2つ撮ってジャンドゥーバのホテルにチェックイン。

ディレクター 狩野喜彦
ガルディモウ行き列車の父子
ベジャの鉄道橋
ジャンドゥーバ駅の市場
チュニジア撮影日記 4

07.(lundi)
ジャンドゥーバには、外国人が宿泊するホテルはなく、現地の人々が使うホテルに泊まった。ベッドはまあ清潔、お湯も出るということで、不便は感じなかった。しかし馬場さんは運が悪く、隣室の音が筒抜けで、困ったらしい。
8時半にホテルを出て駅へ。ガルディモウもそうだったが、駅舎を始め、町の電柱など、いたる所にコウノトリの巣がある。この一帯はコウノトリの繁殖に適しているのだろうか…。
線路際の市場を撮影しながら気になったのが、親爺さんたちが纏っているコート。みんな中々ファッショナブルだ。露天に並ぶ古着をよく見てみると、すべてフランスやイタリアのブランド品だった。
ブラ・レジアのローマ遺跡は、天気も良く、いいカットが沢山撮れた。中でも、地下住居に残されたモザイクは素晴らしい。最初は埃をかぶっていたため、そうでもなかったが、水をかけ埃を拭き取ると、鮮やかな色彩を放ち始めた。その後、遺跡を流れる湧き水を撮影。この水があったために、2000年以上昔に、ここに集落が出来たという。湧き水とモザイク。どちらも遥かな時を越えて、今も息づいていることに驚く。

08.(mardi)
午前中チュニスのメトロを撮影。レピュブリック駅から電車に乗り込む。乗客たちはみんな親しみやすく、美人も多い。午後、カルタゴの遺跡へ、空は晴れているが、風が強く寒い。おまけに、ここぞという風景の近くには、大統領官邸や迎賓館があって撮影禁止。ちょっと不満が残る。夜、伝統音楽マールーフを撮って終り。夜半から激しい雨と風。明日の天気が心配だ。

09.(merucredi)
嵐の中スースへ向かって出発。雨の雫で曇った窓ガラスの外を、風景が流れて行く。『雨も、また良し』と呟きながら撮影を続ける。車内では、隣国のアルジェリアからやってきたという若者たちが、チュニジアの人々と楽しげに会話していた。チュニジア、アルジェリア、モロッコはマグレブ3カ国と呼ばれ、同族意識を持っているそうだ。
途中、列車長が笑顔で話かけてきた。聞けば10年前にも、この番組の撮影に立ち会ったとのこと。その頃は平の車掌だったというから、番組の歴史を感じずにはいられない。スース到着時に雨が止む、昼食後、列車の走りを撮りに郊外へ。しかし、風が強く、列車のダイヤも乱れている。寒さに耐えながらおよそ1時間、何とか3本の列車を撮影。天気が悪すぎるため、町の撮影をあきらめてホテルへ。

ディレクター 狩野喜彦
ブラ・レジア遺跡のモザイク
チュニスのメトロ
スース行き列車内の鉄道員
チュニジア撮影日記 5

10. (jeudi)
朝、ホテルの窓から外を眺めると、嵐はまだおさまっていない。とりあえずスースの町へ。雨の中、城壁に囲まれた旧市街に聳える塔に登る。海の向こうから雲が切れ始めているのが見える。しばし待つと雲が風に飛ばされ、青空が広がって来た。「雨は不思議だ、降っている時は寂しいが、止めばすべてを輝かせる」いつか読んだ小説の一説ではないが、雨上がり、光を照り返す旧市街の街並は美しい。
天窓からの光が差し込む路地。陽気なカフェのお兄さん、パスタ屋、魚市場。撮影はリズミカルに進む。昼食に屋台のスープ・スパゲティを頬張る。値段は日本円で約90円。現地の人々が食べているものは安くて旨い。
午後、近郊列車でマハディアへ。通り過ぎて行く、高級リゾート地と素朴な村のコントラストが、この国の今を感じさせてくれる。マハディアは歴史ある港町。出港する漁船、岬に並ぶ白い家並を撮った後、刺繍の名人だという女性の家へ。細かい金属のビーズを縫い込む刺繍は、この地方の伝統工芸だ。彼女はその技術を買われ、イタリアで働いていたが、離婚を機に帰郷したという。この国では、まだ数少ない自立した女性だった。

11. (vendredi)
スース発8時7分の列車でガベスに向かう。陽光降り注ぐ澄み切った青空の下、エル・ジェムの遺跡、スファックスの町、広大なオリーブ畑など、次々にチュニジアらしい風景が通り過ぎて行く。コンピュータ好きの青年と知り合う。写真をメールで送ってくれとのことで、アドレス交換。この国でもインターネットはものすごい勢いで普及しているらしい。風景が礫砂漠に変わり、僅かに海が見えた所でガベスに到着。

12. (samedi)
ガベスから南へ約45キロの所にあるマトマタに自動車で向かう。
途中で『ATTENTION CHAMEAUX/駱駝に注意』の看板を見つけたので撮影していると、本当に駱駝の親子が道路を横断して行った。宇宙を思わせる風景の中にあるマトマタの村には、先住民のベルベル人が穴居住宅に暮らしていた。外敵からの攻撃を防ぐとともに、夏の強烈な陽射しを遮り、冬は保温に優れた穴蔵を利用した住まいは、なかなか住み心地が良さそうだ。
その後、砂漠地帯を横断し、オアシス都市トズールへ。昼食は、羊の頭。見かけは、グロテスクだが、クリーミーな脳みそも、ゼラチンたっぷりの頬肉も なかなか美味。気分はすっかり“砂漠の民”だ。広大な塩湖ショット・エル・ジェリドを抜け、夕方トズール着。

ディレクター 狩野喜彦
マハディア 刺繍する女性
ガベス行きの列車から
マトマタ ベルベル人とラクダ
チュニジア撮影日記 6

13. (dimanche)
深夜、スケジュールをチェックしていると、時刻表に7時30分にメトラウイ駅を発車する列車がある事を発見。準備段階では貨物列車との事だったが客車とある。6時に出発し、ポイントを探す。朝焼けに染まる空と山並。これは最高だと思ったのだが、列車が通る時だけ、太陽が雲に入ってしまった。残念!明朝、再トライすることにしよう。
メトラウイのカフェで朝食後、レザー・ルージュ(仏語で紅蜥蜴)と呼ばれる観光列車に乗車。列車は垂直に切り立つ黄土色の大渓谷を、その名の通り蜥蜴のように走る、この眺めは凄い。一日では撮りきれないため、これも明日再トライ。

14. (lundi)
朝の列車。今日はバッチリ決まる。レザー・ルージュもダイナミックな映像が撮れる。車内では、スケッチブックに熱心に筆をとる英国人画家に会う。彼は、この風景を世界中の子供たちに伝えたくて画集を作っているのだという。確かに地球の素顔とも言うべきこの風景には、その価値があるように思う。
午後からタメルザ峡谷へ。途中で砂嵐に遭遇。嵐が去った後の峡谷の風景が圧巻。この大自然の中で、屈服する事無く生きる人々を見ていると、“砂漠の民”に宿る哲学の崇高さを感じずにはいられない。

15. (mardi)
予定に無くとも、列車が走っている以上乗らなくては…。ということで、7時30分発の列車に乗車しスファックスへ向かう。昇る朝日が描き出す風景は期待通りだ。11時57分スファックス着。昼食後、城壁の中の旧市街と近代建築が混在する町を撮影。チュニジア第2の都市であるこの町は過去と現在が合体している感じで、エキゾチックな雰囲気に満ちていた。

16. (merucredi)
9時過ぎ、空撮を依頼している空軍の司令官からヘリコプターがスファックスへ向かったとの連絡が入り、空軍基地へ。列車の到着を見計らってテイク・オフ。パイロットは戦闘訓練を受けているだけあって、技術抜群。町を出て行く列車、海岸に遊ぶフラミンゴ、オリーブ畑を走り抜ける列車を、低く、高く、絶妙に追いかけてくれた。昼食後オリーブオイル工場を撮る。労働者たちの手が、オイルの効果でスベスベなのが面白い。その後畑へ、オリーブの間に植えられたアーモンドの花は桜そっくりだ。撮影中、農民が怖い顔をしてやって来た。何でも、百年も前から隣の農場と土地の所有を巡って紛争中で、僕らを隣家が雇った測量技師士だと勘違いしたとのこと。誤解が解けると笑顔がこぼれた。

ディレクター 狩野喜彦
レザー・ルージュ
英国人画家
オリーブ畑の空撮
チュニジア撮影日記 7

17. (jeudi)
朝ホテルを出発し、エル・ジェムへと向かう。途中で、ロケ車のクラッチが壊れる。困り顔の運転手アズース君を残し、タクシーを捕まえるが、この国では町が変わるとタクシーの営業権も変わるとのことで、市境でまた乗り換え。何とかエル・ジェムに辿り着く。その後も列車の走りを撮りに行く時、円形闘技場からモザイク工房へ行く時、そしてマハディアへ向かう時、スースに向かう時と次々に車を乗り換えながらの撮影になってしまった。数えてみると朝から乗った車は何と9台。円形闘技場は素晴らしく、モザイク工房で働く女性たちもチャーミングだったのだが、車の乗り換えばかりが印象に残り、つくづく列車の便利さを感じた日だった。

18. (vendredi)
アズース君とロケ車無事復帰。まずスース近郊の塩田で列車の走り、スースに戻り大モスク、海岸を撮ってビル・ブレグバ駅へ。この駅とナブールを結ぶローカル列車はリゾート地に向かう観光列車と思っていたが、乗っていたのは、帰郷の女性兵士や出稼ぎ労働者、そして地元の人々だった。ナブールは陶器の里らしく、駅前と大通りにあるモニュメントも巨大な陶器だった。陶器工房を撮っていると、屋根からバラバラと凄い音が、外を見るとそれは雹だった。

19. (samedi)
8時25分ローカル列車の走りを撮った後、ボン岬へ。風雨が強まり嵐に。天気が良ければ、シチリアが見えることもあるというが、水平線は霞んでいる。しかし、荒れた地中海もまた浪漫をかきたててくれる。来て良かった。
街道筋で、美味しい羊肉を食べて、チュニスへ戻る。天気が回復したので、TGMの並走、ラ・グレットの町と海岸を撮る。ちょっと欲張ってもう一つTGMの走りを撮ろうと思ったところで雨。天気は気紛れだ。今夜はチュニジア最後の夜。打ち上げということで、チュニス1と言われるレストランで夕食。

20. (dimanche)
夜明け前、外を見ると雨。困ったなと思っているとその後止む。8時にホテルを出て、昨日の撮り残しTGMの走りを撮りにチュニス湖へ。陽が差し、光もバッチリ。しかし、最後の撮影項目である大モスクに向かうと、また雨。ウーン最後まで気紛れな天気に翻弄されたロケだった。でも、考えてみれば、人々もこの天気の中で暮らしているわけで、これが現実なのだ。ホテルに戻り、荷物をまとめて午後の飛行機でパリへ。34日間のマグレブロケ これにて終了。

ディレクター 狩野喜彦
エル・ジェムのモザイク工房にて
ナブール駅前の陶器
ボン岬と地中海
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