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スイス編撮影日記
「スイス撮影日誌1」

スイスに着いて、まず驚いたのは、あのー、かなり暑いんですけど?こちとら、日本の暑い夏におさらばしてスイスでルンルン、てな心構えでやって来たのに。こ、こんなハズでは・・・

夏にスイスに取材に行くという状況は、なかなか複雑なものがあります。もちろん、ハイシーズンなので飛行機もホテルも高くて満員、という経済的・物理的な諸問題もありますが、それよりも大きいのは、やはり何かとかなりの羨望と嫉妬の的という状況が発生するわけで、出会う人に片っぱしから「スイスですかぁ、いいですねぇ・・・(ため息)」「おお、スイス!死ぬ前に一度は行ってみたい・・・(ため息)」などと言われてしまうわけです。これが、熱帯ジャングルの奥地で伝染病が蔓延していたりしそうなところに行く場合ですと、一種の憐れみを込めて「ジャングルですかあ、また大変ですねぇ・・・(にやり)」で済むんですけど。スイスはヤバイです。そうなると、とりあえず一生懸命否定する必要を感じてしまうわけでして「毎朝アルペンホルンを聞きながらチーズばかり食べるのもねえ」とか「私は高所恐怖症だものですから」などと言い訳をしてみたりなんかするわけですが、どういうわけか効果があったためしがありませぬ。
どうしてスイスはこのように高得点なのでありましょうか。何故誰もがおとぎの国的理想郷チックなロマンを抱いてしまうのか。1.国土が小さいから 2.山だから 3.上から読んでも下から読んでも同じだから 4.国旗が赤十字と似ているから 5.直接民主主義 など考えてみましたが一向に合点が行きませぬ。何か非常に有効なイメージ戦略が成功したのであれば、是非学んで帰りたいものです。

さて、スイスですが、九州と同じくらいの国土に、総距離5000キロ以上の鉄道が敷かれているという、これはスゴイです(それと人気とは関係ないと思うけど)。だから、ルートの組み方も無限に近くあるんだけど、今回はまずドイツ国境方向に向かってみることにしました。アルプスは後半のお楽しみにとっておきます。

ディレクター 中村博郎

チューリヒ駅
ライン川の滝
ライン川にかかる橋を渡る
「スイス撮影日誌2」

今回スイスロケのコーディネーターをお願いしている安東さんは、グリンデルワルト在住!う、うらやましいぞ。冬はちょっと寒そうだけど…でもスキー滑り放題みたいだし。いったいどうやってグリンデルワルト在住に至ったのか?職業柄、つい突撃取材をしてしまいました。すると、驚くべき返答が・・。何でも若い頃、世界中を旅して回った安東さんは、たまたまグリンデルワルトを通りかかり、その瞬間「ああ、ここが自分の住みたい場所だ!」と衝撃的な確信を得たそうです。もちろん、後年それを実現しちゃったところもスゴイんですけど、最初の閃きがスゴイよなあ。私なんていつも家賃と通勤の便と間取りの相互関係によって住む場所が自動的に決定されているだけで「ここだ!」なんて啓示があった試しがありません。
うーん、この話はしかし、何かと似ているぞ・・と思っていたら、ザンクトガレンですよ!この町の誕生の逸話と微妙に類似していたのでした。612年、布教のためにスイスを放浪していたアイルランドの修道士ガルス(ガレンの名前の由来)さんが、現在のザンクトガレンの地を通りかかった際に、荊の茂みに転んだのだそうです。「おお、これこそ此処の地で教えを広めなさいという神様のお告げに違いない」というわけで、ガルスさんは腰を据えて、修道院など建設し、やがて町が興ったというわけなのでした。あんまり似てなかった。

さて、ザンクトガレンを中心とする、ドイツ国境に近いこの辺りは、中世には繊維産業でものすごく繁栄したのだそうです。リネンをヨーロッパ中に出荷していたとかで。それにしても、何だか世界中で「繊維産業で栄えた」という話を聞きますよね。まあ、それは毛織物だったり、綿織物だったり、絹織物だったり、いろいろあるんですけど、そうか、繊維ってそんなに儲かるんだ!とよく分からない感心をしてしまいました。日本にもかつてそういう時代があったわけですものね。で、まあ、そんな富があればこその、修道院、大聖堂、図書館というのが、ザンクトガレンの見所なんですけど。印刷技術が誕生する前は、書物というか、読み書きというか、それが力と直結していたんだなあ、などとここでもまた変なことに感心している間に、どんどんルツェルンへ。

ディレクター 中村博郎
ザンクトガレン大聖堂
ザンクトガレン修道院図書館
アッペンツェラー鉄道
「スイス撮影日誌3」

スイス料理は何か絶滅危惧種みたいになっているらしい・・・。
いえ、いつも唐突ですけど(笑)。ロケで何週間も滞在すると食べ物って重大関心事になるんです。スイスに行けば、スイス料理?それってチーズとソーセージとジャガイモなのか?フォンデュとラクレットなのか?酒を飲む時の氷は氷河の氷?などという疑問が次々と走馬灯のように浮かんでは消えていきます。ところで来てみると、このようなふざけた疑問とは違う意味での発見が・・・スイス料理は近頃スイス人もあまり食べないらしい?理由は、まあ、そのやっぱり味が単調なんじゃないですかね。そして匂いの問題もあるみたい。フォンデュの客は壁で仕切られたフォンデュ部屋に隔離される店も多いみたいで。そうしないと店内全てがむせかえるような芳醇なチーズの香に満たされてしまうのです。こりゃ自宅でやるなんて論外でしょう。そう、例えば日本の焼き肉店のような卓ごとの換気設備でもあればよいのやもしれませぬが。そんなわけでスイス名物料理シリーズ、今では特別な機会に食されるという感じになりつつあるそうで、何かそれっておせち料理みたいな扱いかなあ。それともお赤飯。鮒鮓。朴葉味噌。何か違うけど。
じゃあ、代わって主役になっているのは何よ?ということですけど、街のレストランのほとんどは「イタリアン」でありました。なるほど恐るべし。世界を席巻するイタメシ現象。スイスの場合、元々イタリア文化圏が国内にあるし、二重に納得。

スイス東部から、ルツェルンへと移動しました。ルツェルンは、何だかとても雰囲気のよい町です。やっぱり交通の要衝だったから昔から様々な文化が流れ込んできたり?加えて湖や川の存在でしょうか。青い空、流れる雲が、広い水面に映り、光が揺れ動く、そんなところに町があるのはいいですねえ。

ディレクター 中村博郎
ルツェルンの街
フィアヴァルトシュテッテ湖
ルツェルン駅に停車中の列車
「スイス撮影日誌4」

さて、前哨戦を終えて、いよいよディープ・スイスへという感じですが、まずはフィッツナウ・リギ鉄道です。スイスはご存知登山鉄道だらけ。山国だから当たり前と言ってしまえばそれまでですが。ここに来る前は、高い訳でもないリギがどうして名所なのかよく判らないなあ、と思っていました。だってスイスの地図を見ると、もう、ほとんど全ての山に、山頂行きのロープウェイやケーブルカーや鉄道が建設されているんですよ。何だかものすごいです。一日一山登り続けても一年くらいは過ごせそう。それでみんな経営が成り立っているわけだから、世界観光市場におけるスイスってものすごいプレミア的存在と改めて感心。

でもルツェルンに着いて、リギが特別なことは非常によく判りました。町のすぐ近くに見える大きな山がふたつ。それ、すなわちリギと後日登る予定のピラトゥス。とにかく大昔から旅人で賑わうルツェルン。町の近くにどどーん、と目立つ山があるから一丁登ったれ〜!ということだったのでありましょう。
しかし、歩いて登るのはなかなか大変だったようで、作家マーク・トウェインが1880年に登った時には、何だか三日かかったみたいです。もちろん、彼が特別に歩くのが遅かった可能性はあると思います。そんなわけで、鉄道ができる前は、徒歩、馬、或いは人が担ぐ台のようなものに乗ってリギ登山は行われていたようです。

今は電車で30分。急勾配を登るとどんどん視界が開けてくるので、つい、嬉しくなって大人げなくはしゃいでしまったりします。頂上に着くと、眺めは大変によろしいです。リギは周辺に他の山がないので、開放感が抜群。ロケ後半で行く予定のベルナーオーバーラントの山々まで見ることができます。しかしユングフラウには雲がかかっていました。何か前途を暗示する一抹の不安が・・・。

ディレクター 中村博郎
フィッツナウ・リギ鉄道
フィッツナウ・リギ鉄道の車掌
リギ・クルム駅付近にて
「スイス撮影日誌5」

スイスはものすごく風景が美しいのですが、それを撮影するのは簡単ではありません。こんなに手強いとは思わなかった。少なくとも見慣れた美麗な写真集のように撮れると思い込んでおりました。目で見て美しいものがそのように撮れないというのは、フラストレーションの溜まることこの上ないです。

ひとつには、山が非常に高くて近い。目で見る分には大迫力でものすごくよろしいわけですが、画面に入れるのは大変です。じゃあ広角レンズを使いますか、ということですけど、そうすると全体がフレームに入るとは言え、何だかこじんまりとした映像になりがちで、さらに、山の前を通過する列車なんぞ撮った場合には、列車が豆粒のように小さくなってしまってこれまた“正しく”伝わらない。では、作戦を変更。望遠を使って部分部分のクローズアップを組み合わせると迫力は出るのですが、今度は広がり感が伝わらない。U字谷の深くえぐれた感じ、両側に迫る岸壁や山、谷間に点在する村、その合間をぬって走る線路。この独特のスケール感の組み合わせが、キレイさに加えて何だか地球の歴史と自然の力と人間の生活とのせめぎ合いみたいなことを印象づけるのだと思う。それをテレビで何とかしようと思うのは無謀なのだろうか。もちろんズームとかティルトとかパンニングとかで補ったりはするし、今はハイビジョン収録だから以前に比べればはるかによくなってはいるんですけど。

強敵の二つ目は日差しの強さ。スッキリ晴れた時の光線の強さが半端ではなく、コントラストが強すぎてキレイに映らないことがままある。すなわち、光の当たっている部分は真っ白になり、日陰の部分は真っ黒になってしまう。それに加えて山国ですから、山の陰、谷間の暗さということで影響が大きいです。

そして三つ目は、いわゆる「山の天気は変わりやすい」。ほとんど毎日雨具が使用されています。夏は晴天の日が多いということだったのだが、晴れている日でもやっぱり雨が降る。もちろん、人や機材は、雨でも働けないわけではありません。だけど、スイスでは山をもっぱら撮影するわけですから、レンズを上に向けないとならないわけでありまして、そこに水滴がぽつぽつ落ちて来たら、もうおじゃんです。
結局、この悩み多き撮影の結果はどうなんだろ。それは放送される時に白日の下に明らかになることでありましょう。

ディレクター 中村博郎
グレッチから見えるローヌ氷河
レアルプからグレッチに向かう
フルカ蒸気鉄道の機関車
「スイス撮影日誌6」

観光業というものは、19世紀、スイスのおかげで興ったとも云われるほどで、スイスといえば観光地の代表格。最近は、インド、韓国、中国からの観光客も増えていて、白く輝くアルプスの山々の恩恵です。しかし当然、観光地としてブレイクする以前には、険しい山と厳しい自然は苦しい生活をもたらしていたので、これでイーブンということかもしれません。でも観光ばかりでなく何というか全体的に優等生なイメージありますけど。思いつくだけでも、金融、保険、製薬、機械、食品、化学などの分野には大きな会社がぞろぞろありそうだし。一人当たりGDPとか、当然日本よりいいです。

それから、番組に関係する部門でいうとトンネル。これまた長さ57キロ(世界一)になるゴッタルド・ベース・トンネルが2015年完成予定。時速57キロだと通過するのに1時間ですね。当たり前だけど。山あるところ当然トンネルということなんですけど、番組の撮影上はあんまり好ましくないです。トンネル内では「車窓」もへったくれもありませんから。新フルカトンネルによって氷河急行の車窓からローヌ氷河が消えたように、あんまりトンネル化が進むとちょっとなあ。まあ、こちらの身勝手な都合に過ぎないのですが。
スイスって、西にフランス、北にドイツ、南にイタリア、そして東には中欧の国々という位置にあるので、これらの国の間を行き来するのにスイスを通過するルートというのが大昔からある。いえ、もちろん、山を通らずに迂回するとか、そういう道もあるのだと思いますけどね。例えばアンデルマットだと東にオーバーアルプ峠、南にゴッタルド峠、西にフルカ峠というように、重要な交通路であった。領主様(?)は、うまく峠の行き来をコントロールすれば儲かったのかもしれないですね。現在は、ドイツ・イタリア間の交通量が多いようで、例えば夏休みとなれば、一斉に南に向かう自動車でゴッタルドトンネルは大渋滞になります。でも、渋滞を避ける妙手というのか、列車に車ごと乗っかって移動するシステムもあります。フェリーのような要領で、運転してそのまま列車に乗ってトンネルを通過。何だか便利。もちろん車の数がすごく増えちゃえばどのみち待つことになるわけですけど。それに車に乗ったままだから、あまり長い時間は耐えられない。

ディレクター 中村博郎
ゴッタルド峠付近を走る列車
ゴッタルドトンネル
車ごと列車に乗ってトンネルを抜ける
「スイス撮影日誌7」

今回のスイスロケの命運を握ると言っても過言ではないユングフラウヨッホへ向かう日がいよいよやってきました。これが不調に終わった場合、もう日本には帰れないかもしれません。
それにしても標高3454メートルまで鉄道で上がるというのは、どんな感じなのでしょうか。しかも、1912年に開通しているというのは、どういう先見の明によるものなのか?このようにいろいろと気になるユングフラウヨッホまでの電車。
ああ、しかし!昨日から大雨なんです。どうしよう。様子を見つつ午前9時。とりあえず小降りになったところで、安東さんから「今行くべき」との提言あり。終点までは3つの電車を乗り継いで2時間16分。撮影しながらではさらに1時間かかると考えると、これ以上遅らせてはたとえ晴れても満足のいく撮影は望めない。はい、おっしゃる通りです。安東さん冷静ですね。

意を決して出発。一本目の電車は、インターラーケン・オストからラウターブルンネンまでのベルナーオーバーラント鉄道。乗客はもちろんほとんどがユングフラウヨッホを目指す観光客。厚い雲がかかった空と山を心配そうに見あげています。ラウターブルンネンで、黄色い車体のヴェンゲルンアルプ鉄道に乗り換え。ここからが「登山鉄道」という感じです。出発を待っている間に、突然に雲が切れて日が差し込んできました。
そして、真っ白だったところに立ちはだかるような岩壁が姿を現わします。おおお、これは期待が持てそうです。クライネ・シャイデックで乗り換える直前には、ユングフラウ、メンヒ、アイガーの3つの山が車窓にくっきりと姿を現わしました。三役そろい踏み、みたいな。いやー、さすがに世に聞こえしベルナーオーバーラントというのか、これまでのスイスも風光明媚だったけど、これは見事。長生きしてよかった。クライネ・シャイデックにすぐに着いてしまうのが残念です。

ディレクター 中村博郎
ヴェンゲルンアルプ鉄道
クライネシャイデックへ向かう途中の景色
ユングフラウ
「スイス撮影日誌8」

いよいよユングフラウ鉄道に乗り換え。今度は山に直角に向かっていく感じで、それが何だかわくわくします。これって変?あ、それから、ここはシュトループ式という、ちょっとレアなラックレールなのでこれも撮らなきゃ。多分シュトループファンという人たちもいるだろうから。山に辿り着くと列車はそのままトンネルの中へ。この先終点まで7.1キロはトンネルです。さっきまでの景色があまりに素晴らしかったので、車内はちょっとテンションが下がり気味。トンネル内には2つ駅があります。ダイナマイトでアイガーの壁をぶち抜いて作った展望窓のアイガーバント駅、そして氷河が見えるアイスメーア駅。どちらも10分程度の停車なので、降りて展望窓まで行って、もしお手洗いなんかに行くと見ている時間はあまり残っていません。一台待つつもりであれば別ですが。

こうして約40分でユングフラウヨッホ駅に到着です。たった7.1キロなんですけど、スピードは出せないので。ホームも地下だから、3454メートルの実感を味わうのは、エレベーターで展望台に上ってからになります。でも、いきなり寒い。そして空気が薄い。

うーん、ここまで来るとユングフラウもメンヒも頂上はすぐそこに見えています。実際登っている人の姿も見えているし。でも、おいそれとは行けないんですけどね。何でもユングフラウ鉄道、当初は頂上まで建設する予定だったとか。何だか惜しいなあ。でも世の中、手が届かないからよいということは多々あります。そして目の前にはヨーロッパ最大のアレッチ氷河も。ここから氷河トレッキングに行くこともできます。

建物から一歩外に出ると雪原です。ソリやゴルフ(ホールインワンで賞金が出る)なんかのアトラクションもあって、誰もがこどものようにはしゃいでいます。いやいや。手ぶらで帰らずに済んでよかった。山に理由もなく感謝。

ディレクター 中村博郎
ユングフラウ鉄道
ユングフラウヨッホ駅
アレッチ氷河
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