世界の車窓から世界の車窓からFUJITSU
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撮影日記1 「雨とウニコ」

太陽の国スペイン、なかでも南端に広がるアンダルシア地方をローカル線で巡る旅とくれば、(まだまだ3月だから時には肌寒いとしても)ポカポカの春の車窓にはスペインの大地を照らす太陽が常にあって、その下に陽気なスペイン人の乗客たちがワイワイいて楽しんでる…という単純なイメージを抱いていた。悪天候に悩まされるなんていう発想すらなかったのだ。それが、出発地マドリッドでガタガタ震えながら閑散とした街を歩く人達を見ていたときは、「こういうときもあるさ」と自分に言い聞かせる程度で済んでいたものの、セビーリャまでの高速列車AVEの撮影が終わる6日目頃まで雨模様が続いた日には、もう泣きそうになっていた。

何しろそこにあったのは冬のイギリスのような重く憂鬱な風景だったのだ。雲はそこにどっしりと腰をおろして動く気配がまったくない。おまけに雨まで降り出した。しかもどしゃぶりだッ!!「今日はどしゃぶりの南スペインを紹介します」とでも言わんばかり。
考えてみれば、これから暖かくなる初春だからこそ、温度差によって天気が不安定になるのだろう。自分の抱いていた期待の甘さを知り、もう駄目かもしれないと落ち込んで、ロケ車のなかではだんだんと無口になっていった。

弱り果てている僕を見かねたコーディネーターの難波さんが、撮影後、気晴らしにワインショップにでも行って見ませんか?と誘ってくれた。面白いワインを見つけたんですよ…。スペインといえばワインの葡萄の栽培面積が世界一なことで知られている。ガソリンスタンドでさえワインが置いてあるほどだ。旧市街の一角にあるお店の中に入ると、店員がすでにそのワインを用意してくれていた。スペインワインの最高峰ウニコである。ウニコと聞くと変な名前だが、スペイン語では「唯一」という意味で、王室の宴席、そしてほんの一握りのレストランでしかお目見えしなかったといわれる凄いワインらしい。樹齢100年にもなる古木から造られて、しかも良いビンテージで最高の条件のものが10年以上の熟成を経て、ようやく出荷されるという。値段も相当なものだ。日本にはほとんど売ってないらしい。買うのに迷ったけれど、藁にもすがりたい気持ちだったのかもしれない。こういうときこそ思い切ったことをして運の風向きを変えてみようと買ってしまった。

そして、7日目。ようやく雲の隙間から光が差し込んだ。ワインのおかげだとは思わなかったけど、確かに晴れた。考えて見るとワイン作りも天候にとても左右される。でも天気が悪い時でも、人間の努力次第で逆に素晴らしいものが出来る点で車窓のロケに似ているのかもしれない。

ディレクター 立川修史
雨のマドリッド プエルタ・デ・アトーチャ駅
プエルタ・デ・アトーチャ駅内 植物園風待合室
スペインで最初に乗車した列車 AVANT
撮影日誌2 「AVEの時間とスペインの生活時間」

ところで高速列車AVEの凄さについて少し書こうと思う。何が凄いかというと、たとえば今回乗車したマドリッド発セビーリャ行きのAVEは、「到着が5分以上遅れた場合は切符代を全額払い戻し」になることだ。マドリッドとセビーリャ間は400キロ以上離れているというのに、この自信はどうだろう。この区間に比べてまだ開通が新しいバルセロナ~マラガ間は更に距離が遠いためか、さすがに「15分遅れで50%払い戻し」。だが、それでも日本の感覚からすると大したものだなと思えてしまう。AVEには何回も乗車したけれど、確かに1度も遅れることがなかった。それどころか5分~10分前に到着してしまうので、ホームへの到着シーンの撮影を狙っているぼく達にとっては計画が狂いやすかったほどだ。
運転席に乗車することになって客車から機関車に移動する途中エンジンルームを通りぬけたのだが、時速250キロで走るスピードを体感したのは、まさにそのエンジンルーム。窓が無いため、空気の流れが速すぎて息が出来ないのである。売店付きのカフェテリアで出会ったスペイン人の乗客は「AVEは遅いよ。250キロなんて大したことない。もっと速い列車を持つ国はいっぱいあるし、どうせなら世界一を目指さないと」と言っていたが、彼もエンジンルームに乗ってみたら考えが変わるかもしれない。けれど、AVEにも色々種類があって、昔の新幹線のような形、アヒルのような形、少しだけ流線型…など区間によって機関車が違い、最高速度も変わってくる。マドリッド~セビーリャ間の古い新幹線型機関車は、今後はより速いマラガ~バルセロナのアヒルタイプに置き換わっていくのだという。
 
それにしてもそんなAVEの時間へのシビアさとは対照的に更に凄いのが、スペイン人の生活時間についてである。10時ぐらいから働き始めて、昼食とシエスタが大体14時から16時、そのあと少し働いて19時には仕事を終え、夕食が早くて20時半ぐらいに始まる。1時間~2時間とのんびり食べ、22時ぐらいにサッカーを見に行き、24時に試合が終わったあとは、バールで1杯引っ掛けながら良いところで帰宅して眠りにつく。遅い遅いとは聞いていたが、22時にサッカーの試合が始まるなんてどういう感覚なんだろう?選手達もそれが普通だから別に大変じゃないのだという。遅い夕食の時間は、僕達にとっては撮影終了後にホテルに荷物を置いてからだから時間的に丁度良かったけれど、列車の撮影で朝が早かったためホテルで朝食がとれないような日に、遅めの朝食をとろうとファーストフードに立ち寄ってみると、店が閉まっている。ドアには「12時開店」、愕然とした。

ディレクター 立川修史
マドリッド~セビーリャ間 AVE走り
AVEの運転席
セビーリャのフラメンコ
撮影日記3 「スペインの風」

スペインは今、環境エネルギーにものすごく力を入れている。たとえば、ソーラー発電の導入量は、ドイツに次いで世界で2番目の規模になっているそうだ。一昔前は、日本も上位に位置していたけれど、ここ数年で追い抜かれてしまったという。その原因はスペインの自然風土が環境エネルギー発電に合っていることもあるだろう。晴れの日が一年300日以上つづくような地域が、特に南スペインにはたくさんある。だからどのローカル線の沿線にも、たくさんのソーラーパネルが車窓から見え隠れしていた。太陽のほかには、風エネルギーも相当多い。太陽の国というよりむしろ風の国といって良いほど、どこもかしこも物凄い強風が吹き荒れている。だから車窓にちょっとした丘が現れると、丘の上には風力発電が現れる。昔は強風を利用した粉引き用の風車がよく作られて、今回訪れたラ・マンチャ地方に行けば、今も伝統的なものが残っていたりするけれど、現代においてより人々の生活に密着しているのは、間違いなく風力発電だろう。でも余りに風が強すぎて、風車の羽根が壊れている発電所もかなりたくさんあった。あれは、どうやって直すんだろう?苦労しそうだ。ちなみに現地で聞いた話だと、風力発電1基立てるとその土地の持ち主に、電力会社から月々土地使用料が支払われるらしい。だからその高額な土地使用料を狙って、風の強い土地をわざわざ購入しようと躍起になる人々が増えているのだという。なんだか不思議な話である。
それにしても、風が強いことは撮影においては、必ずしも良いことじゃない。何しろ強すぎて重さが20キロ近い三脚がバタっと倒れてしまうぐらい強い。もう映像が揺れているどころじゃなくて、映すことも出来ない状態なのだ。しかも三人がかりで三脚を押さえてもガクガクである。猛烈な強風の中、大の男達が三脚にしがみついている姿を見て、スペイン人の運転手は気の毒そうな表情を浮かべるばかりである。

ディレクター 立川修史
ラ・マンチャ地方の風車群
ソーラーパネル
南スペインの風力発電
撮影日記4 「ふたりの運転手」

ところで、車窓のロケにおいて、運転手の持つ役割と責任はかなり重要な部分だ。列車が走っているシーンを撮るには、列車で到着した駅から車で移動し、なるだけ綺麗な撮影ポイントを探してたどり着かなければならない。それも列車の時間通りに。そんなとき、試練を受けるのが、運転手である。素晴らしい景色の中を走る列車を撮るには、普段、彼らが行かないような道だったり、地図に載ってない小路を時間に追われながらガンガン走らなくてはならない。場合によっては、「やっぱりここは駄目だけど、あと10分で列車がきてしまうから、すぐUターンして、あの丘の向こうへ行こう!」ということも珍しくない。
今回のスペインロケで出会った二人のドライバーは、本当によく頑張ってくれた。前半部分を担当したアントニオは、小路を急いで走っていてナンバープレートを無くしてしまったり、カーナビの精度が悪くてしょっちゅう道を間違えていたりしたけれど、昼食をレストランでとることが出来ないぐらい忙しい日が多い中、朝はやく起きて、時間を見つけて買っておいた食材を使って、サンドイッチを作ってくれたりして、本当に心が温まった。後半部分を担当したエミリオは、前半になかった大きな試練を受けた。ジブラルタルで、海峡の向こうのアフリカ大陸が曇っていて見えなかったため、スケジュールを変更し、セビーリャから再びジブラルタルに向かって走り、その日のうちにもう1度戻ってくるという、往復500キロ以上の長距離移動の撮影に挑戦。普通クタクタになってしまうところだけれど、エミリオはこちらが想像したよりも全然タフ。僕達と夕食を食べた後、地元セビーリャの友達と深夜まで飲み明かしたという。ものすごい体力だなあと思う。
今回、南スペインを回った走行距離は、1ヶ月間のロケで合計1万1000キロにもなった。何かに比較しないと分からない距離だなと思い、ネットで調べてみると、日本を1周すると大体1万キロになるらしい。それとか「渡り鳥がアラスカからニュージーランドまで太平洋を縦断した」というニュースがあったが、これがちょうど1万1000キロだということ。うーん、渡り鳥…相当な距離を移動したんだなあと実感する。

ディレクター 立川修史
アルカーサル・デ・サン・ファン駅ホーム
車内で出会った二姉妹
アルハンブラ宮殿内
撮影日記5 「タベルナス砂漠の映画村」

ロケのルートを決めるとき、グラナダからアルメリアまでの小さな路線が気になって、是非行って見ようと思った。ここにはヨーロッパ唯一の砂漠と言われているタベルナス砂漠があるし、シエラネバダ山脈も車窓から見えるだろうから、きっと綺麗な路線だろうと考えていた。実際、乗車してみると万年雪の積もった山脈、アーモンドの木々、風力発電が森のように立ち並ぶ箇所、そして砂漠へと突き進み、最後は南国の雰囲気が漂う家並みが見えてくる。
タベルナス砂漠では風景がアメリカ西部に似ていることから、多くのマカロニウェスタンの映画のロケ地となり、映画のために作られた村が今でも観光地としていくつも残されている。今回はセルジオ・レオーネが「夕陽のガンマン」を作った映画村をたずねてみた。クリント・イーストウッドが賞金首の男を狙って泊まっていた宿、保安官の事務所、強盗たちが爆弾をしかけて襲ったエルパソ銀行などが派手なペンキで塗られてしまってはいたけれど、ちゃんと残されていて嬉しくなる。ここではウェスタンショーが行われていて、映画の撮影地の雰囲気もあるし、エンニオ・モリコーネの音楽を流しながら行われ、アクションもかなり本格的だ。村の近くでは、イーストウッドや鷲のような目をしたリー・ヴァン・クリーフが馬で駆け抜けた砂漠の山々の風景も見られて、なお嬉しい。マカロニウェスタンが好きなら是非、この村を訪れるべきだと思う。ちなみに番組では紹介できなかったけれど、アルメリア行きの路線の線路上にも、映画のために作られた小さな駅が存在する。同じくレオーネ監督の「ウェスタン」では、そこに蒸気機関車を運んできて走らせている。1つの映画のために、こんな僻地に蒸気機関車を持ってきたり、村を作ったりするその努力には頭が下がる。今回は春のロケだったから全然楽だが、おそらくレオーネが撮影した時期というのは、相当な猛暑で苦しんだに違いない。
ところでこの路線で乗車した列車は、スペインでよく見かけるオレンジの旧式のものではなくて、デンマーク製の縦長の列車が最近導入されたものだった。振子式で、カーブでもスピードを落とさずに走れるという優れもの。車内も快適で、揺れも少ない。番組にも何回も登場するが、もう旧式列車は、今年いっぱいぐらいで廃止に向かい、スペイン全土でこの振子式列車に取って代わられるそうだ。換気システムが壊れているせいか、どの列車もディーゼルの匂いが立ち込めていたあの旧式とお別れできると思うと、嬉しい限りだけれど、同時にスペインローカル線の「味」が消えてしまうかもしれないと、少し残念にも思う。

ディレクター 立川修史
タベルナス砂漠の映画村
映画村内 博物館
菜の花畑を走る振子式列車
撮影日記6 「においの記憶」

スペインの旅で一番印象的なのが何なのかと言われると、強烈な匂いだと答えてしまう。当然、匂いは映像に映らないけれど、撮影した映像を見ると様々な場面の匂いの記憶が蘇ってくる。毎日スペイン料理を食べるわけだから、こってりしたオリーブ油の重たい匂いが胃に染み付く。ローカル列車に乗れば、換気が効いていないために蔓延しているディーゼルの匂いが頭を麻痺させる。列車を撮影するとき、ぐんぐん車を走らせれば運転手が、ウォッフー!と唸りだす。気持ちは分かる。牛だか馬だか羊だかの糞尿の匂いが放牧地全体を包んでいるからだ。窓を閉めても駄目。開けても駄目。叫ぶしか無い、ウォッフー!フラメンコの撮影では、ダンサーの衣装を選ぶために化粧部屋に入ってみた。シワシワのおばあさん、おそらくダブラオの実務や踊り子達の世話なんかを全部仕切っているような感じの方が、見たことの無い器具で煙草を吸っている。極彩色の衣装が並ぶ中、何の匂いか分からないくらい混じった香水の香りに呆然としていると、フーッと煙を吹きかけられた。何故わざわざ顔を狙ってかけるのか?そして一番ズシンとくるのが闘牛場だ。ここは特に「獣」だと一息で分かる匂いが外まで臭ってくる。闘牛の観客達は、煙草ではなく、葉巻を吸うのが通らしい。金属質で乾いたシガーの匂いが、獣の匂いと合わさって、脳にまで届くようだ。こういうのも人を興奮させるための儀式の一部なのだろうか。そして真実の瞬間、闘牛が血にまみれて地面に倒れる。血の匂いは観客席まで届かないだろう。でも、その赤い色が本能を刺激して、まるで血の匂いの中にいるような気分にさせられる。アンダルシアは、洗練というイメージとは余りにかけ離れた土着の文化に溢れていて、都会人にとっては、受け入れにくいけど惹かれる、嫌だけど好き、という種類の魅力が満載の土地なのだと僕は感じた。

ディレクター 立川修史
アンダルシア料理 ガスパッチョ
遠くに見える牛の群
闘牛と闘牛士
撮影日記7 「アンダルシアの上空」

世界の車窓からのロケでは、毎回1つのシリーズごとに1度は空撮を行っている。ヘリやセスナなどで空から列車を追いかけて撮影すると、車窓から見える風景・乗客の目線とは違う、云わば鳥の目線でその国の風景を眺められることができる。今回の南スペイン編は、アンダルシア地方を東西に横断するグラナダ~アルヘシラス間のラインを空撮することになった。延々と続くオリーブ畑の丘陵地帯、山の中腹に点在する白い村々など、このラインは最もアンダルシアらしい風景が見えるだろうと思ったからだ。けれど、人々がゆったりとした生活時間を送る南スペインのローカル列車は、大抵、時刻通りに来ない。20分、30分、遅れることはザラ。その列車に合わせて上空で待っていると余りにも燃料が減ってしまうので、何か方法を考える必要があった。そう、今回のヘリは3時間分の燃料しか積むことができないのだ。だからその3時間内でヘリポートと空撮ラインを往復する時間も計算に入れなくてはならない。一番確実なのは、この列車に誰かに乗ってもらい、列車の中から携帯電話で「列車が確実に出発したこと・今どの位置にいるのか」などをヘリに連絡してもらい、タイミングをはかって飛び立つという作戦なのだが…。すると、観光局でアルバイトしている大学生にグラナダから乗車してもらうことになった。準備が整い、列車が来る時刻に、路線の途中にあるヘリスペースに着地して、連絡を待つ。アンテケラより少しグラナダ寄りのロハという街に列車が来るタイミングを狙って飛び立つという段取りがうまく行き、絶好のポイントで列車を捉えた。緊張感が一気に高まった。なるだけ低く飛んで、旋回したり、追い越して待ち伏せしたりと色々試してみる。見失わないように、常に列車の姿を確認する。パイロットは凄い腕前で、列車のタイミングと後部座席のカメラとを考えてヘリを操ってくれる。それに見た目には近くにいかないと全く分からない高圧電線をかなり遠くから見分けてコースを決め、かなり慎重に、かつ撮影に具合の良いように進めてくれている。けれど、ロンダ近くの山岳地帯に差し掛かるとヘリが急に揺れた。相当な強風地帯で、ふわりとしたかと思うと、列車に近づけないぐらい遠くに吹き飛ばされてしまった。一旦、体制を整えて、もう1度挑んだけれど、あまりのひどい揺れに列車の撮影がうまくいかない。カメラマンの杉下さんが懸命に安定させようとしているのが分かる。安全を考えて撮影をやめ、コルドバの飛行場へと戻ることになった。とにかく山岳地帯を除けば、空撮は無事成功し、ほっと安心した。天候や地形、パイロットの腕、距離やタイミングの計算など、空撮の難しさを思い知った一日で、へとへとに疲れてしまった。

ディレクター 立川修史
空撮 列車走り
スタッフとパイロット空撮後の記念撮影
マラガの街
撮影日記8 「エクストレマドゥーラ地方の動物たち」

僕は動物が好きなので、スペインを訪れたら、色んな動物も撮影したいと思っていた。アンダルシアの周遊が終ってエクストレマドゥーラ地方に入り、マドリッドに向けて北上するルートは、国立自然公園の中を通るので、特に動物達が多い場所だ。まず目に付くのがコウノトリである。車窓から見える電柱の上には、板が取り付けられ、コウノトリが巣を作りやすいようにしたりと大事に扱われて保護されている。15年で数が2倍になり全土で3万組以上のコウノトリが生息しているのだとのこと。一度は野生個体が絶滅してしまった日本とは、かなり状況が違うようだ。ローマ時代の遺跡の上などにもたくさんの巣があって、もうそこらじゅうにいるという感じ。その次に、たくさん見えるのが、闘牛専用の牛牧場である。僕たちは列車の撮影ポイントを探している間に、この闘牛牧場を発見し、中に入れてもらおうと試みた。闘牛の中を走る列車を撮影しようというわけだ。行ってみると、入り口に赤い字で、闘牛がいるから危険!立ち入り禁止のマークがある。やっぱり物凄く危険なのだ。牧場主に連絡を取って入れてもらうときも、分厚い鉄の板が取り付けられたトラックで牧場内を移動した。獰猛な遺伝子だけを代々に渡って残してきただけあって、牛たちは相当ヤバイ雰囲気だ。こちらをじっと睨みつけている。角も物凄く尖っていて、刺されたら即死に違いない!牛たちは群れで生息している。群れでいると安心するらしく、1頭で孤立させるほど怯えてしまい、すぐ人に襲いかかってしまうという。だから闘牛場で牛が1頭だけで離されると、もう怖くてしょうがないので闘牛士に襲いかかってしまうのだという。牧場内には、赤い板が取り付けられた丸い小さな闘牛場があり、そこで訓練された牛が、正式に闘牛場に出場するのだという。スペインの国技だけあって、闘牛は今でも高い人気を誇り、専門の番組もあるのだという。どの牛が強くて、今どんな状態なのか?どの闘牛士とやるのか?などのデータが細かく教えられるらしい…。
最後に、イベリコ豚。エクストレマドゥーラ地方には、豚が食べるどんぐりの木がたくさんあり、豚たちがたくさん森の中で放し飼いされているのだ。どんぐりを何日間食べたか?によって、細かくランクが付けられ、3年ほどの熟成を経て、市場に出回る。現地で食べさせてもらったイベリコ豚は香り高く、舌の上でとろとろに溶けてしまう…生ハムにも関わらず。肉と言えば牛丼屋でずっと生活してきた僕にとって、生きてきた中で一番美味しい肉だと感じてしまった。

ディレクター 立川修史
エクストレマドゥーラ地方 イベリコ豚の森
イベリコ豚の生ハム
エクストレマドゥーラ地方 サフラ駅
撮影日記9 「銀の道を北上する」

南スペインを巡る旅も後半に入っている。セビーリャからポルトガル国境近くの街ウエルバを経て北上し、サフラへ。ここから終点マドリッドを目指すのだ。サフラからの列車は真っ青な空の下、車窓には菜の花、桃の花など綺麗な花々が見えるのに、なんと乗客ゼロ。ついてないなぁと思いながら、撮影を始める。運転手も僕たちの状況が分かったようで、笑っている。同情したのか、窓を開けて撮影させてくれた。そうそう、車窓ロケで大事なことの1つは、「窓を開けて」撮影すること。これができるかどうかで、流れる風景の映像の綺麗さが段違いになる。最近、特に先進国の列車の窓には、紫外線カットのフィルターが分厚くかかっている。国によって結構フィルターの色も違うのだが、スペインの場合は“黄色“が非常に強い。車内の乗客達の顔まで黄色くなってしまうほどだ。また、窓には車内の蛍光灯の光なんかが映ってしまい、肝心の風景をきちんと捉えられなくなる。しかも、近年に作られた客車は窓がはめ込み式で開けられない場合が多い。だからこそ、毎回乗車するときには、列車の車掌さんや運転手に交渉し、運転席や車掌室の窓を開けて撮影したいところなのだ。乗客がゼロだったものの、窓を開けさせてくれて、不幸中の幸いだった。乗客も1組だが、途中で乗車してきたし。

ところで、今回乗車したこの路線は、「銀の道」と呼ばれる街道に沿って進んでいく。 (しかし、線路はカセレスを過ぎたことろで東に曲がり、それ以上北には続いていないのだが…。)セビーリャからイベリア半島を縦断し、北端のアストリアス州のヒホンまでを貫くこのルートは、ローマ時代に整備され、街道沿いの豊かな資源を運ぶ交易道路として古くから利用されてきたという。もちろん名前の由来である「銀」あるいは、金・銅など、このあたりで産出された鉱物を運んでいたに違いないが、その他にもスペインを代表する“美味しい実り“も目当てだっただろうと思う。この南北の街道にはイベリコ豚、チーズ、さくらんぼ、桃、高級ワインなど、たくさんの特産物があるのだ。アンダルシアも料理は旨いが、今回のロケで毎日の食事が最も美味しかったのは実はこのルートである。また、この沿線には「銀の道」の中継都市として発展したカセレスやメリダといった見どころもあるので、もし南スペインを旅するなら是非、お薦めするルートだ。

ディレクター 立川修史
桃の花と列車
中世に迷い込んだような街 カセレス
ローマ遺跡が残る街 メリダ
撮影日記10 「南スペイン周遊の旅の終わり」

ロケも4週目後半になり、もうすぐスペインの旅が終わる。メリダから400キロ先のマドリッドを目指す特急列車タルゴに乗車する。交易路「銀の道」を離れ、東に進路を変えると左手の車窓に、まだ雪の積もったグレドス山脈が横たわる。この山脈が過ぎればマドリッド、終点である。仲良くなった車掌さんが、またスペインに来たら良いと言ってくれた。嬉しくも寂しくもある。

最後にマドリッド郊外にある、セロ・デロス・アンヘレス(天使の丘)に立ち寄ることにする。ここはイベリア半島のちょうど真ん中に位置し、巨大なキリスト像がマドリッドの街を見守っている。最初は撮影するつもりはなかったけれど、旅の途中、列車の中の乗客が是非訪れた方がいいよと教えてくれたのだった。そういうことでスケジュールを変更することもたくさんあるのだ。
 
キリストと一緒に夕暮れのマドリッドを眺めながら、今回の旅を振り返ってみる。イスラム王朝時代に作られた古き遺産、その遺産と融合するかのようにレコンキスタ後に作られた建築物、それらより遙か以前に築かれた数々のローマ遺跡など、この国の深い歴史・文化を余すところなく巡ってきた気がする。一方で、その歴史・文化を育んできた南スペインの自然が、列車の前に広がっていた。自然の多くは、想像以上に過酷で、アメリカ西部に似た荒涼とした砂漠、カラカラに乾いた赤土の荒野、馬でさえ前に進めないほど吹き荒れる強風、灼熱の太陽とそれを反射するために作られた白い街並み…。でも、春だからこそ、その過酷な自然に訪れた、わずかな間の牧歌的な風景が目を楽しませてくれた。車内の乗客達は、最初出会ったときは大きなカメラに戸惑っていたけれど、日本から来て南スペインをずっと旅していることを伝えると、多くの人々が温かい笑顔で接してくれた。夕陽が落ちて、マドリッドに夜が訪れる。またいつか必ず訪れたい…旅が終わり、南スペインの魅力にどっぷり取り憑かれている自分がそこにいるのに気付いた。

ディレクター 立川修史
プエルタ・デ・アトーチャ駅ホーム
グラン・ビア
マドリッド 夜景
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ザンビア・タンザニア編の撮影日記が、中村ディレクターから届きました!
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