世界の車窓から世界の車窓からFUJITSU
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撮影日記1

旅の始まりは、スイス最大の都市・チューリヒ。今回のメインはハンガリーの旅だが、まだ
『車窓』に登場していない国際夜行列車「ウィンナー・ワルツァー号」に乗車しようということで、ここからハンガリーの首都・ブダペストに入ることになった。

僕にとって初めての『世界の車窓から』のロケ。25年以上も続いている番組をつくることへの興奮とプレッシャーがないまぜになったまま、チューリヒ国際空港に到着した。こちらも『車窓』初撮影のカメラマン・戸田さん、助手の松村君と「番組を観る人たちに楽しんでもらえるように、僕たち自身も旅を楽しんで、楽しく撮りましょう」と話し合い、1ヶ月のロケに臨む。よろしくお願いします!

早速繰り出した晩夏のチューリヒは、こぢんまりとして整理整頓されている印象。メインストリートのバーンホフ通りには、お洒落なカフェやブティック、そして高級時計店が並ぶ。街行く人々はと言えば、ファッション・ブランドの広告から出てきたような紳士淑女が颯爽と歩く。腕には、もれなく高級時計。さすがは時計で有名なスイス一の街だ。通りの終点はチューリヒ湖とくっついていて、天気に恵まれた湖畔でくつろぐ人々が、なんとも画になる。街の中にこんな湖があるなんてうらやましい限りだ。東京の中心地ってどうして気軽に楽しめる水辺が無いんだろう。

夜、いよいよチューリヒ中央駅へ。ブダペストに向かうウィンナー・ワルツァー号は、10時40分発。国際夜行列車という響きに、なんとも言えない旅のロマンを感じる。ここは、列車がホームに入ってくる「入線」のシーンからおさえたい。駅員に確認すると、入線はだいたい発車の15分前、早くても20分前、ということだったので、30分前からホームで待機することにしたのだが・・・。切符売り場や構内にあるカフェ、列車を待つ人々を撮ってから30分前にホームへ行った瞬間、ウィンナー・ワルツァー号が到着した! 地団駄を踏んでいると、ホームの端でサブ・カメラを回す助手・松村君の姿が。列車に積み込む撮影機材を整理して先に待機していたところ、ウィンナー・ワルツァー号とおぼしき列車がやってきたので、慌ててサブ・カメラで撮影したとのこと。いやー助かった!

『車窓』ロケの軽い洗礼を浴びた撮影隊を乗せて、列車は上品なネオンに輝くチューリヒを後にした。

ディレクター 川口 善己
トラムが走るバーンホフ通り
憩いの場・チューリヒ湖
チューリヒ中央駅から出発
撮影日記2

いよいよ始まった、ハンガリーの旅。まずは首都・ブダペストから、海の無いハンガリーにあって「ハンガリーの海」と呼ばれる大きな湖・バラトン湖へ向かう。

ハンガリーという国について、皆さんあまりイメージが湧かないのではないだろうか。僕も今回の撮影が決まるまではあまり知識が無かったのだが、とても興味深いところだ。国は中央ヨーロッパに位置するのだが、周辺の国々と決定的に異なるのが、民族の出自がアジア系ということ。9世紀末ごろウラル山脈地方からやってきた騎馬民族が、現在のハンガリー人の祖先とされている。客観的な日本人との類似点は、名前の順番が「姓」→「名」であること、そして赤ちゃんのお尻に蒙古斑があるということ! どこかでチャンスがあれば赤ちゃんのお尻を狙いたいところだ。人々の顔を眺めてみると・・・アジア系直球、とは感じられないものの、どことなく西欧の人よりも顔立ちが柔らかい気がする。ハンガリー在住14年のコーディネーターによると、ハンガリーの人は大体シャイでおだやかで、親近感を感じるとのこと。知り合いのお宅を訪ね、手土産を渡すときには「つまらないものですが・・・」と(ハンガリー語で)言うらしい。うーん、面白い。

さて、晩夏のバラトン湖へ向かう、ハンガリーで最初の旅。青や赤のペンキが塗られた、なんだか懐かしい飾り気のない列車で出発し、目を付けた乗客たちに「撮らせてもらっても良いですか?」と聞くと、少し恥ずかしがりながら了承してくれる。ハンガリー、良い感じに撮れそうだな・・・。と思っていたら思わぬ落とし穴が。   

線路脇に異様なほど木が生えている・・・。実はブダペストを発った瞬間から思っていたのだが、まあそういうところもあるだろう、とあまり気にしないようにしていた。バラトン湖が見えた! と思った瞬間に、木がザーッ。木が無くなった! バラトン湖だ! と思ったら2秒後にまたザー。美しい(と思われる)バラトン湖はほとんど木に遮られたまま、最初の目的地、シオーフォクに到着してしまった。

どうして景勝地の線路脇にこんなに木を植えるのですか・・・。車掌に聞いてみると、「ハンガリーの車窓はだいだいこんな感じだよ」という。理由を聞いてみたが、よく分からないらしい。文句を言っていてもしょうがないので、木々たちとも辛抱強く付き合っていくしかない。

ディレクター 川口 善己
ブダペストのシンボル、くさり橋
シオーフォク駅
シオーフォクのバラトン湖畔
撮影日記3

出発前に心配していたことの一つが、食事。撮影に直接は関係無いものの、ほぼ一ヶ月に及ぶハンガリーロケで、もし食べ物が全く合わなかったら一大事である。ハンガリーは海の無い国、肉食が中心になるに違いない。あまり脂っこいものが好きでない僕にとってはアウェーかもしれない。パンパンのスーツケースにインスタントの味噌汁、雑炊などを詰め込んでハンガリーへ向かったのだった。

ところが、ハンガリー料理の美味いこと。なんといっても野菜の味が濃い。ハンガリーは、ドナウ川の恵みも豊かな農業国。日本と同じように豊富な種類の野菜の中で、代表選手はパプリカだ。ミニ・トマトのようなものから瓜ほどの大きさのものまで、その種類は100を超える。味も、生で齧れる「フルーツ・パプリカ」から、香辛料として使う激辛のものまで様々だ(唐辛子は、ハンガリーでは「とっても辛いパプリカ」と呼ばれていた)。
料理のメインはやはり豚や羊、牛などの肉になるが、味付けはそんなに濃くなく、飽きずに食べられる。しかしやはり量は多い。僕とカメラマン、カメラ・アシスタントのアラサー日本人は、申し訳なく思いつつ4分の1くらい残してしまうのだが、50歳のハンガリー人ドライバー・イムレさんはいつもデザートまでペロリと平らげていた。

イムレさんの食事で驚いたのは、ボリュームだけでは無かった。バラトン湖畔のリゾート地・バラトンフュレドでのこと。宿泊したのは大きなリゾートホテルで、夕食を摂りに食堂へ行くと、セルフサービスのビュッフェだった。色々な料理を盛った2つの皿とスープを手に席へ付くと、イムレさんは1杯のスープのみを前にして僕らを待っている。それしか食べないの? 具合でも悪いんですか? と心配して尋ねると、「ハンガリーの正式な食事は、必ずスープを飲むことから始めるのだ」というお答え。へー、と思いながら眺めていると、ゆっくりとスープを飲み終わったイムレさんは、おもむろに席を立ち、料理を取る列に並び、今度はオードブルを優雅に盛り合わせてきた。それをまたゆっくりと食してから再び席を立ち・・・という手順が、サラダ→メイン→デザート、そしてコーヒーと繰り返される。1皿ごとに取ってくるなんてめんどくさ・・・と思ったが、どんなに夕食が遅くなった日でも崩されないそのスタイルと、毎日アイロンが効いたワイシャツを着ることは、ハンガリー紳士の流儀なのだった。

ディレクター 川口 善己
晩夏のバラトン湖畔を走る
ドライバーのイムレさん
素朴なハンガリー料理
撮影日記4

なんといっても列車に乗車しているシーンがメインになる『車窓』だが、折々列車から降りて、街に立ち寄る。街を紹介するからにはなんらかの視点が必要なのだが、ハンガリー西部の街・ジュールには、どうもピンと来る情報が見つからなかった。

まあ、行ってみれば何かあるだろう、と街を歩き出す。とりあえず目抜き通りや中心の広場の様子を撮影するが、特に目につくものはない。大聖堂へ入れてもらった。立派な建物なのだが、これというエピソードはない。街自体はこぢんまりと上品で、普通の旅であれば「あーなんか良い街だなー」なんてのんびりとしていれば良いのだが、もちろんそうはいかない。撮影隊を広場に残し、コーディネーターと街のインフォメーション・センターへ行ってみる。情報は・・・ハンガリー第6の都市である。ふーむ。大きな大聖堂がある。うーん。古い鉄道車両の工場がある。おっ! しかし内部を撮影することはできない。

いよいよピンチである。この後に乗車する列車の出発まで、あと3時間を切った。じりじりと焦りながら広場へ戻ると、カメラマンの戸田さんが思いがけないことを言い出した。「なんかアイスクリームの店が多いですね、この街」。見回してみると広場の中に2つのアイスクリーム屋、1本通りに入れば、また2軒。店の人に尋ねれば、さほど広くない旧市街におよそ20軒ものアイスクリーム屋があるという。しばらく見ていると、アイスクリームを舐めながら歩く人がかなりいる。こんな風景は今までの街で見たことが無い。これだ! それからは迷うことなくアイスクリームを狙って走り回ったのだった。

撮影させてもらった店がお土産に持たせてくれたクランベリー・アイスを、ジュール駅に向かうロケ車で舐めると、濃密な甘酸っぱさが疲れた体に滲み渡る。グルメなカメラマン・戸田さんも、キウイ・アイスの味にうなっている。果物も豊富なハンガリー、アイスクリームのレベルはけっこう高いのかも知れないですね。そんなことを話していると、車は渋滞にはまり、列車の出発予定時間ぎりぎりに駅に到着。ホームへ急ぐと、まさに列車が滑り込んできた。予想以上に正確なハンガリー国鉄のダイヤが勝手に恨めしくなる。ちょっとくらい遅れてもいいじゃないか。乗客が列車に乗り込むシーンを撮るため、戸田さんはカメラを抱えて再び走り出した。

『車窓』のロケは日が落ちるまで気が休まらないことを、思い知った一日だった。

ディレクター 川口 善己
ハンガリー西部の街・ジュール
ジュールのアイスクリーム
ホームを走る戸田カメラマン
撮影日記5

世界でも有数の合唱大国である、ハンガリー。その中心地が、南部の街・ケチケメートだ。この街で生まれた音楽家、コダーイ・ゾルターンは、録音機を手に国中の村を訪ねて民謡を収集し、それらの民謡の合唱を中心とした音楽教育法を広めた。20世紀の初めに開発されたコダーイ・メソッドは、現在でも国の音楽教育の基本になっているのだという。
ハンガリーの民謡って、いったいどんな響きなのだろう・・・。ケチケメートのコダーイ音楽学校の生徒たちによる合唱を、撮影させてもらえることになった。

実は、今回のコーディネーター・近藤さんは、日本の音楽大学を卒業した後、コダーイ・メソッドを学ぶためにケチケメートに留学してきたのだそうだ。現在でも、この仕事と並行して合唱の指導や指揮をされているという、非常にユニークなコーディネーターさんである。本当に色んな人生がある。

さて、コダーイ音楽学校は撮影に快く了解してくれたものの、撮影前日にちょっとした問題が発生した。ケチケメートの街で行われる秋祭りでのパフォーマンスを撮る予定にしていたのだが、先生がどうしても学校のホールでも撮影して欲しいという。ホールの音の響きが自慢らしい。どちらのパフォーマンスを使うかは後で選んでくれれば良いと言う先生に負け、学校を訪ねた。

少女たちによる合唱は、ときに可憐で、ときに恐れを感じさせる、不思議な響きだった。でもなんだか懐かしさもこみ上げる。近藤さんに尋ねると、ハンガリー民謡は日本の民謡と似ている「5音音階」でつくられているのだそうだ。

最後に、我々へのプレゼントとして『ふるさと』を歌ってくれた。ウーサーギーオーイシ、カーノーヤーマー・・・。エキゾチックで美しい『ふるさと』を聴いていると、ふいに涙が出そうになる。歌が終わると、先生は少し哀しい顔をして、こう言った。「日本が大きな災害に見舞われたことに、心を痛めています。私は日本へ行ったことはありませんが、とても美しい国だと聞いています。日本の皆さんが、また美しい“フルサト”の風景を取り戻すことを、ハンガリーの人たちは皆応援しています」。

先生の言う様に、学校でのパフォーマンスも素晴らしかったのだが、編集の都合でどうしても入れられなかった。でも、ハンガリー民謡『ナジサロンタの祝い歌』の音を、BGMとして使った。力強く、また優しい少女たちの歌声を、お聴き下さい。

ディレクター 川口 善己
ケチケメート駅
コダーイ音楽学校のホールにて
コダーイ音楽学校の先生と生徒たち
撮影日記6

ブダペスト郊外のセーチェニ山を走る「子ども鉄道」は、少年少女が運転士以外の全ての仕事を担当している、全長11キロの可愛らしい路線だ。創設は1948年、ハンガリーがソ連の支配下におかれ、社会主義国だった時代。この頃、子ども達の職業訓練の施設として、社会主義各国で子ども鉄道がつくられた。今でもハンガリーの他、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどに残され、微笑ましい子どもたちの勤務風景が人気を呼んでいる。

子ども達の集合時間に合わせて、朝6時半から撮影を始めた。秋の冷たい空気が肌を刺す中で、それぞれの持ち場へ散っていく制服姿の子どもたち。その日は日曜日、休みの日の朝早くから“仕事”に出るなんてえらい、と関心してしまう。ブダペスト子ども鉄道には10歳から14歳の子ども達がおよそ500人も所属していて、それぞれが月に2回のローテーションで勤務している。皆列車が大好きなのだろう、線路のポイント切り替えや列車の誘導を行う顔は、なんだか誇らしげだ。

と思ったら、どうも仕事に気が乗っていなさそうな、所在なげに佇む10歳くらいの男の子が目に付いた。仕事は楽しい? と聞くと、「お母さんに行けって言われて来てるけど・・・ちょっとめんどくさい」。お母さんは子どもの頃にここで働いたそうだ。ちょっと内気な息子を鍛えるために、通わせることにしたのだろう。

終点の駅で撮影を終えようとしていると、構内アナウンスの係の少年が、熱心に日本の鉄道事情を聞いてきた。ハンガリーの鉄道雑誌を愛読していて、日本の記事を見たのだという。「たくさんの人がホームできれいに並んでいる凄い写真を見たんだけど、あれってホントなの? 駅も列車も綺麗だよね、ハンガリーにはまだ冷房が付いてない列車も多くて、夏はすっごい暑いんだ!」。ハンガリーの列車も、ちょっとレトロで、旅情があって良いよ、と返したが、鉄道少年はしきりに日本の列車を羨ましがる。行く先々でお礼に配れるように持っていた新幹線の携帯ストラップをプレゼントすると、大きな歓声をあげて喜んでくれた。
確かに日本の鉄道の快適さは素晴らしいと思うが、ピカピカな車体はちょっと味気ない。社会主義時代から使われているものも多いという、たまにペンキがはげていたりするハンガリーの列車の温もりが、少し羨ましかったりもする。

ディレクター 川口 善己
子供鉄道の“職員”
月に1日、蒸気機関車も運行する
雨模様の車窓でも、子どもは楽しそう
撮影日記7

ハンガリーで一番苦労したのは、列車の「走り」の撮影だ。列車が走る姿を外から撮るこのカットは『車窓』には欠かせないものだが、先輩スタッフたちに聞くところ、大体どの国でも手を焼かされてきたらしい。待てど暮らせど列車が来なかったり、線路を見渡せる場所がなかなか見つからなかったり。

ハンガリーの問題はというと、まずは線路脇にびっしりと生えている木。線路は一直線に伸びているのに、生い茂る木々に隠れてほとんど列車が見えない・・・という事態が頻発したのだ。撮影した映像がとても使えるものではなく、後日スケジュールの合間を縫って撮り直し、ということが何度もあった。のんびりした列車の旅情を描く『車窓』だが、もちろん現場では全くのんびりできないのである。しかし、一体なぜ執拗に線路脇に木が植えられているのか? ロケ中にはついにその理由は判明しなかった。気になるので現在も調査中である。

さて、もう一つの難関は、地形。ハンガリーは海が無く、国土のおよそ7割が平地である。基本的に平原や畑の景色が続き、バラトン湖やドナウ川沿いの景観の他は代わり映えがしない。平地を真っすぐに走る列車の姿も画になるのだが、さすがに飽きてくる(一ヶ月もハンガリーで列車を追いかけているこちらの勝手な文句だが)。朝日や夕陽を絡ませたり、新しいアングルを探したり、変化を付けることに苦心した。列車と一緒に撮れるところに花が咲いていたりなんかすると、小躍りしたものだ。

でも、車内で出会う乗客たちは優しく、気持ち良く撮影させてもらった。多くの人は控え目だが、しばらく話していると、ころっと優しい顔をしてくれる。シャイに見えて意外と話好きという人も多く、身の上話に火が点いたおばあちゃんなんかは、なかなか止めることが出来ず、迫る到着時間にハラハラしたりもする。沿線にブドウ畑が広がる路線に乗車した時には、何人もから山盛りのブドウをもらってしまい、降りるときには2回に分けてホームに荷物を運ぶという大変なことになってしまった。

列車の「走り」に苦戦したこともあったが、やはり旅の醍醐味は人との出会い。

ハンガリーの人たちの控えめな優しさが、画面から伝わったら嬉しい。

ディレクター 川口 善己
良いポイントを探してさまよう撮影隊
木々の合間から撮る「走り」
笑顔がまぶしい高校生
撮影日記8

ハンガリーの車内でついつい見つめてしまったのが、ハンガリー美女(噂に違わずキレイな人が多かった)と子ども(男の子も女の子も本当に可愛かった)、そしてロマの人々である。インドを発祥の地とし、7世紀から各地へ移動を始めたと言われる“流浪の民”・ロマ民族。現在全人口は1000万人から1200万人と言われ、ヨーロッパを中心に世界中で暮らしている。最も人口が多いのはルーマニアで、ブルガリア、スペイン、ハンガリーと続く、と言われる。言われる、言われる、と歯切れが悪いのは、彼らの多くは住民登録の届けを出さないため、正確な数が把握できないからだ。しかしロマがもたらした文化も数多く、ハンガリーは特に音楽が有名で、ブラームスの『ハンガリー舞曲』もリストの『ハンガリー狂詩曲』も、ロマ音楽を取り入れたものだ。

長い手足、真っ黒な髪に浅黒い肌、そして大きな瞳。彼らの姿には、むき出しの生命力のようなものが溢れていて、思わず目を奪われる。両親と何人もの子ども、という大所帯の家族によく出会った。つまり子ども達は学校に通っていないということだろう。当たり前だけど、日本の家庭に生まれ育つのと、ハンガリーのロマの家庭で生まれ育つのでは、全く違う人生だなあ・・・とロマの子ども達を見る度に思った。

一番印象的だったのは、東部の都市・デブレツェンから大平原“プスタ”の中心地・ホルトバージへ向かう車内で出会った一家。30代〜40代と思われる両親と、小さな男の子と女の子が一人づつ、そして生まれて間もない赤ん坊も連れていた。山高帽に鳥の羽根をあしらったお父さんは、ホルトバージで牛や馬の飼育係をしていて、その日はピクニックを兼ねて一家で職場に向かうのだという。彼は話を聞き始めても無表情でちょっと怖かったのだが、可愛い赤ちゃんですね、と言うと、男の子なんだ可愛いだろう、と、ビカッ!と白い歯を見せて笑ってくれた。赤ちゃんの小さな小さな手を撫でる、毛むくじゃらの大きな手が、なんだかカッコ良い。良い旅を、と呟いて去って行った、素朴でダンディーなオヤジだった。

地平線まで続くホルトバージの平原を撮影すると、一ヶ月に及んだ撮影がほぼ終わった。
天気に恵まれ、美味しい食べ物に恵まれ、何より人に恵まれた。
派手では無いけれど、豊かな土地に恵まれ、優しい人たちが暮らすハンガリーの魅力が、少しでも伝われば幸いです。

ディレクター 川口 善己
ロマの大家族
車内で出会ったロマの一家
車窓に広がる大平原

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クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ編撮影日記
クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ編の撮影日記が、宮部ディレクターから届きました!