|
|
![]() |
トップページ > 撮影日記ページ |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
撮影日記1
さて、強い雨と冷たい風という北の国の洗礼を浴びたスコットランドでの撮影も無事終了。海を越えベルファストにたどり着いた。やはり、この地もどんよりとした曇り空に覆われていた。ベルファストと言えば、日本に入ってくるニュースは、テロなど北アイルランド紛争関係のニュースというイメージがあるが、その先入観もあってか、それとも曇り空で少々薄暗いせいなのか、街の雰囲気が何か重苦しい、というのが第一印象である。この先一週間程ある北アイルランドでのロケは大丈夫かと不安を抱えながら、ベルファストからポートラッシュへ向かう列車の撮影に取りかかった。 グレート・ヴィクトリア・ストリート駅で外観を撮影中、案の定ハプニングは起きた。駅長らしき人が撮影を中止するように言ってきたのだ。しっかり撮影許可も取っているし、何も問題ないはずだとコーディネーターの大嶋さんが事情を説明すると、駅側のミスだということが判明。その後は、こちらの頭が下がる程、駅長さんや駅員さんが気持ちよく丁寧に接してくれて、順調すぎるぐらい撮影を進めることができた。ポートラッシュ行きの列車でも、乗客達は皆、快く撮影に応じてくれる。本当にこの国で紛争が起きていたのか、と思うぐらいこの国の人々は笑顔を見せてくれる。当初ベルファストに降り立ったときの不安は、この時すでに吹き飛んでいた。しかし、この国に、複雑な問題があるのも事実である。撮影カメラに向けて見せる人々の笑顔は表面的なもので、実は色々な感情を秘めているのかもしれない。日本から遠いヨーロッパの西の果ての国だけど、番組制作ということで、少しは関わりを持った人間として、この国とこの国に住む人々の平和と幸せを心から願いたい。 「願い」といえば、アイルランド島、北のコーズウェイ海岸の世界自然遺産、ジャイアンツ・コーズウェイに願いが叶うという石座があるという。その石に座って、願いをこめて3回腰を振ると願いが叶うそうだ。ただし、願い事はお金関係以外のことに限定され、その願いは決して口外してはいけないとのこと。ジャイアンツ・コーズウェイ撮影後、早速、僕も願いを込めて、石座に座った。その願いは、口外せずとのことのなので、ここでは明かせませんが…。
|
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
撮影日記2
北アイルランドのベルファストで撮影を終え、車窓ロケもそろそろ後半戦へ突入といったところだろう。いつものように朝8時にロケ車に乗り、ベルファスト・セントラル駅へと向かう。連日撮影を進めてきて、疲労もピークに達してきているが、撮影もあと2週間程。ここが踏ん張り所である。移動中、運転手のガリーさんの携帯が鳴った。彼の着信音はヴァン・モリソンの名曲「Jackie Wilson Said」。この撮影期間中、もう幾度となく聞いてきたが、ベルファストでこの曲を耳にすると、モリソンの出身地ということで何となく感慨深いものがある。いつの間にか駅に到着した。「さあ、一路アイルランドへ!」ガリーさんとは一端ここで別れ、曇り空の下、気合いを入れ直しダブリンへ向かう国際列車に乗り込んだ。 ところで、このガリーさん。恐らく我々スタッフの中で、一番大変な仕事を任せられているかもしれない。スタッフの命を預かり、長距離移動の際には、疲れたスタッフが車内で寝ていることも気にせずに、黙々と何十キロという距離を運転する。しかも、ガリーさんは、現地の地理や交通事情に詳しく、そのおかげで撮影がスムーズに行われている。だが、彼はイギリス人なので、日本語を全く話せない。当たり前だけど、周りが日本語でコミュニケーションする中、こうした状況がもう20日以上も続いているのである。しかしガリーさんはこの状況に不平も言わず、すごく協力的に仕事を進めてくれる。僕が逆の立場だったら恐らく気が変になっていたであろう。僕も片言の英語でコミュニケーションをはかると、汚い発音に嫌な顔をせず、一生懸命に話についてきてくれる。辻さんとはブリティッシュ・ジョーク(?)を言い合ったりしている。大変な仕事を、状況に関わらず、確実にこなしてくれるガリーさんは本当に心強い味方である。 そのガリーさんにある日ご褒美が待っていた。その日もダブリンからアイルランド西の港町ゴールウェイまで208キロの乗車、撮影のあと、ゴールウェイ駅で、僕たちを待っていてくれたガリーさん。夕食にゴールウェイのカキをご馳走して彼をねぎらうことにした。実はガリーさん、カキが大好物。テーブルに一面に並んだカキを目の前に、舌鼓を打ち、笑顔を絶やさず無心に食べていた。世界的に名産のカキは、長旅と連日の長距離移動で疲れた体も癒されるほど、最高の味だった。
|
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
撮影日記3
撮影も既に20日が経過し、とうとう後半戦。北アイルランドからアイルランドへと舞台は移っていった。 北アイルランド鉄道とアイルランド鉄道の共同運行である国際列車エンタープライズに乗車し、国境を越えドロヘダ駅に到着した。この駅で普通列車に乗り換え、ダブリンへ入ることになるが、ここから先の運行はアイルランド鉄道。アイルランド国内での列車車内の撮影はアイルランド鉄道のアテンダントが同行するため、ダブリン本部に勤めるグレッグさんと合流した。 口ひげをたくわえ、背丈180cm程、年齢は50歳ぐらいだろうか。一見厳しそうな雰囲気を醸し出すグレッグさんは外見同様、いきなり厳しい口調で撮影条件を2点提示してきた。まず、ホームでの撮影はグレッグさんが見える範囲で行い、いかなる場合にも決して走っては行けない。そして、ホームで三脚の使用は禁止とのこと。グレッグさんが提示した条件は当然のことである。我々も撮影中、乗客の安全には細心の注意を払って撮影を進めているので充分納得のいく条件である。が、「いかなる場合もホームで走ってはいけない」というのが時々ネックになる。駅に到着の際、乗客が降りる様子を撮影し、余裕があれば先頭車両の前で列車が停車している様子も撮影する。それを停車時間わずか1分ぐらいで行わなければいけないのであるが、今まで、乗客が少ない時は重たいカメラを持ちながらもホームを縦横無尽に駆け、難なく撮影を進めていた辻さんも、アイルランドでは顔をしかめ早歩きになって撮影を何とかこなしていった。撮影側からすると条件もなく、自由に撮れればそれが理想だが、乗客の安全があっての番組。与えられた条件の中で最高の映像をつくることを目指し、撮影条件をしっかり守り撮影は進んでいった。 そのグレッグさんも我々の撮影態度に理解を示してくれたのか、撮影にすごく協力的になってきた。東海岸最南端の街ロスレアからローカル列車に乗り西のエニスへ向かう際、後部車両の運転席での撮影を許可してくれた。当初は運転席での撮影は禁止されていたのだが、車掌さんが知り合いということでグレッグさんが頼み込んでくれたのだ。ここなら汚れた窓も気にせず、景色が撮影できるし、映像のバリエーションも増える。グレッグさんの心意気が嬉しかった。撮影は取材する側とされる側の信頼関係が大事だと実感した瞬間だった。
|
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
撮影日記4 ~雨の国~
アイルランドのロケも終盤に差し掛かり旅のハイライト、ダブリンからロスレアへ南下し、綺麗な海岸線と風光明媚な自然の中を走る路線の撮影を迎えた。撮影プランは、早朝ダブリンを出発し、アイリッシュ海から昇り始めた朝陽を眺めながら旅を続ける。スタッフとの打ち合わせで「早朝の駅」「朝陽」「幻想的な海岸線」この3つをキーワードに映像を撮りたい旨を伝え、翌日の撮影に備えた。そして出発の朝6時、ホテルを一歩出ると、思わずこう口にしていた。「雨だ」 辺りがまだ暗い中コノリー駅の撮影を開始。この後晴れてくれることを願いながら、7時26分、列車に乗り込んだ。しばらくして明るくなり始め、海岸線を走り出すが、目の前には荒れた海。一面灰色の世界だった。雨の景色は時として雰囲気や趣のある映像となり、雨が降ること自体は悪いことではない。しかもこの国は雨が多い国。その事実を映像にしているわけだが、目の前の景色はお世辞にも趣のある景色とは言えなかった。この天気同様暗い気分で撮影をしていると、もうすぐロスレアというところでようやく晴れ間が見えてきた。そして午後の街並みと列車の走りの撮影の頃にはすっかり晴れていた。本当にこの国の天気は気まぐれだ。 翌日、僕は一週間後に再乗車をしたい意志をスタッフに告げた。しかしこの国のことだ。その決意もまた雨で無駄になりかねない。だが、やはりここはメインとなる路線。そもそも海から昇る綺麗な朝陽を撮るためにこの路線この時間を選んだのだ。スケジュール調整等で、スタッフに迷惑をかけることになるが、皆、僕の思いを素直に受け止めてくれた。辻さんも綺麗な映像を撮りたい気持ちは同じで快く承諾してくれた。 その後も不安定な天候は続いた。午前中の乗車の時は晴れていても、午後の列車の走りの撮影には雨ということが連日のように起こり、この国の天候に頭を悩まされ続けていた。再乗車が正しい決断だったのか不安な毎日が続いた。 そして運命の朝。ホテルを出ると、暁の空に星が輝いていた。車窓にはアイリッシュ海から昇る太陽。車内に差し込む朝陽を浴びて通学、出勤する人々。朝陽に照らされ光り輝く大海に沿って気持ち良さそうに走る列車。僕が当初イメージしていた映像が見事にカメラに収められた。連日の撮影で疲れ気味のスタッフの心はこの日の朝陽のように清々しかった。スタッフの協力があって最高の映像が撮れた瞬間だった。
|
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
撮影日記5
アイルランド鉄道の旅も残り一週間を切った。連日のように目まぐるしく変わるこの国の天気に悩まされ続けながらも、ここまで何とか撮りたいものは撮ってきた。更に、「アイルランド一かわいい村」アデアでは、運良くハロウィンの様子も撮影できた。ハロウィンは古代ケルトのお祭りが起源で、アイルランドが発祥とのこと。何かしらのイベントを撮影できればと思って、街角に立ち寄ってはハロウィン関連のものを探し続けていたところに、アデアの小学生たちがモンスターに扮してこの街に繰り出してきたのだ。旅の途中、片田舎で偶然に出会ったこの国の文化。その様子をカメラに収めることができ、ある種の満足感を得ていたと同時に、残りわずかとなったアイルランドの撮影へ向けて自分自身を奮い立たせた。 さあ次はウェスト・クレア鉄道だ。いつものように雨の中、大西洋に程近い小さな街モヤスタへ向かっていると、大嶋さんにウェスト・クレア鉄道から電話が入った。大嶋さんの顔の表情が硬くなっていくのが分かる。どうやらこの日、鉄道のオーナーの親族に不幸があったらしい。撮影に協力してくれるか電話だけでは事態がよく掴めないとのことで、とにかく現場へと急いだ。1時間後、モヤスタに到着。見渡すと家もまばらで、草原が広がる大地の中、ぽつんと小さな駅が立っていた。そしてホームには煙を上げた緑色の機関車。駅の前に車を止めて降りようとした瞬間、「ようこそ、待ちくたびれたよ。」と冗談めかし、見事なあご髭をたくわえたオーナーのジャッキーさんが笑顔で迎えてくれた。話を聞くと撮影にも全面的に協力してくれるとのこと。スタッフ一同胸をなで下ろし、強い雨が降りしきる中、撮影が始まった。 雨にもかかわらず、子どもだけでなく大人たちも多く駆けつけ、車内ではウェスト・クレア鉄道の歌「Are Ye Right There, Michael?」が響き渡り、この鉄道が住民たちにいかに愛されているかが伺える。そして約2時間の撮影を終え、ジャッキーさんに別れを告げようとした時、雨はやみ、雲の切れ間から光が差し込んできた。もう少し早く晴れてくれればと天気の神様を一瞬恨んだが、この日は何と言ってもジャッキーさんがこういう状況にもかかわらず、撮影に協力してくれたことが一番ありがたかった。撮影を終え宿舎に戻る車の中、アイルランドの西のはずれの小さな街で出会ったジャッキーさんの笑顔がいつまでも脳裏に焼き付いていた。
|
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
撮影日記6
イギリスから始まった今回のロケは、とうとう終わりを迎えようとしていた。この1ヶ月弱を振り返ると色々なことがあったが、今となっては連日のように降りしきる雨の中での撮影しか思い出せない。それ程、この国の天気は強烈な印象を残していた。 アイルランドでの鉄道の撮影を終え、残すはダブリンの街の撮影のみ。今まで何とか撮りたいものは撮ってきたが、実は一点撮り残していたものがあった。それはアイリッシュダンス。数年前、『リバーダンス』を観て、それがアイルランド伝統のダンスをベースにしたものだと知って以来、この国のダンスに魅せられ、「アイルランド=アイリッシュダンス」という図式が自分の中ではできあがっており、これだけは是非ともカメラに収めたいと思っていた。しかし、訪ねる先々、なかなかダンスを見せてくれるところが無く、ダブリンでしか撮影の機会は残されていなかった。大嶋さんがダブリンで、たまにダンサーが来るといわれるパブを探してくれた。こちらがダンスを撮影したい旨を伝え、先方も撮影にはなるべく協力したいとのことだが、ダンサーは当日になってみないと来られるかどうか分からないという返事で、確約できるものではなかった。一縷の望みだけを持って夜8時過ぎ、現場に到着。大嶋さんが一足早く、パブのスタッフと話しをするため中へ入り、僕たちが後に続いた。そして数分後、彼女が笑顔で振り返る。「2人のダンサーが来ているそうです!」心の中でモヤモヤしていたものが吹っ切れた瞬間だった。 そして徐々に人が集まり出した夜9時過ぎ、フィドル(アイルランド伝統音楽では一般にヴァイオリンをこう呼ぶ)がパブに響き始め、同時に2人のダンサーが踊り出した。タップダンスとはまた一味違う2人の息のあった絶妙な足技。観客達も固唾を飲んで踊りを見守っていた。ダブリンで出会った本物のアイリッシュダンスに酔いしれた夜だった。こうして夜10時過ぎ撮影は全て終了。僕のアイリッシュダンスに対する思いを知っていたスタッフ達は口々に「撮れてよかったですね」と声をかけてくれた。いや、こうして自分の納得する撮影ができたのも全てスタッフのサポートがあったおかげである。僕の方が感謝したい気持ちで一杯だった。そして、パブを一歩出て空を見上げると、この時の僕の思いを表すかのようにダブリンの夜空にはアイルランドではなかなか見ることの出来なかった月が輝いていた。
|
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
|
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |