世界の車窓から世界の車窓からFUJITSU
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撮影日記1

メキシコ国内を走る旅客鉄道は、ほとんど皆無といってよい。13年ほど前、この番組でメキシコを取材した際には、まだまだ数多くの列車が走っていたが、現在、国内の長距離移動についてはバスが主流になり、鉄道は貨物列車のみが内陸を走り抜けている。旅行者が乗車できる鉄道ラインは、今のところ、メキシコシティの地下鉄メトロや路面電車、中西部ハリスコ州の観光列車テキーラ・エクスプレス、そして北部を走るチワワ太平洋鉄道といったところ。数は少ないけれど、それぞれメキシコらしい風景に出会える魅力的な鉄道ばかりである。我々は早速、首都メキシコシティの空港に降り立った。

首都圏の人口およそ2000万という巨大な街の地下には縦横無尽に地下鉄メトロが張り巡らされているが、映像メディアの取材としては今回の「車窓」の取材が世界で初めてだという。最初は駄目だと言われたのだが、いくつかの過去のVTRを送ると許可がおりた。きっと番組の趣旨を理解してくれたのだろう。撮影は初めてだということでガチガチに緊張した鉄道スタッフが同行し、コーディネーターの吉田さんの通訳で案内してもらうことになった。
フランスから導入されているというメトロは線路をゴムタイヤで走っているという、日本の感覚だと見慣れない鉄道だった。カメラマンの谷茂岡さんに、しっかりタイヤのアップを捉えてもらうため何本もの列車を待つ。メトロは5〜6分に1度来てくれるので助かるが、タイヤ部分は暗くて見辛い上、ホームでは三脚を立てるのが禁止されているので、時間をかけて丁寧に撮る。

それにしてもこのメトロ、物凄いスピードでホームに突っ込んでくる上、急停車するものだからゴムの焼けた匂いがする。乗車してみると駅に到着するたびにガクンと急停車の衝撃がきて、乗客達も必死に手すりにしがみついている。その様子が面白くて撮ってもらったのだが、カメラマン自身は何かに掴まりながら撮影できない。転倒しないよう技術の横山さんが後ろから身体を必死に押さえている。そんな滑稽な様子に同行した鉄道スタッフにも思わず笑みがこぼた。撮影が進むにつれ、こちらのスタッフを信頼してくれたおかげで、到着した「壁画の駅」では、三脚をホームに立てることを許可してもらえた。

ディレクター 立川修史
タイヤで走る地下鉄メトロ
ホームに壁画があるコピルコ駅
メキシコシティのライトレール
撮影日記2

メキシコシティから車で7時間、高速道路をひたすら飛ばし続け、メキシコ第2の都市グアダラハラに到着した。この街で乗車するのが、「テキーラ・エクスプレス」という、何とも楽しげな名前の観光列車。その名の通り、メキシコ生まれの蒸留酒テキーラの原産地へ向かう鉄道で、車内でもテキーラがたっぷり振る舞われるという。おおいに期待が膨らんだ。

といっても、私はそれほどお酒を飲む方ではなく、ことテキーラに関しては、酒豪でお酒については専門家並みに詳しいカメラマン谷茂岡氏の意見に従うほか無い。案の定、聞いてみると、テキーラにはいくつもの「飲み方」が存在するという。最も美味しいのが「爆弾飲み」。テキーラを専用の小さなグラスに入れ、少量の炭酸飲料を入れ、思いっきり手の平でグラスを叩く!バンッ!という破裂音とともに一気に飲み干すのだ。

そんな飲み方をしている乗客たちを撮影しようと話し合い、実際、狙っていたのだが、残念ながら車内で配られていたテキーラは、グラスではなく、「使い捨てプラスチックコップ」に注がれている。あるいは、テキーラと炭酸飲料がすでに混ざっている「飲料缶」なのであった。ったく、これじゃ爆弾飲みなんて出来やしない。メキシコ人はテキーラの飲み方を分かってないぜ!などと訳の分からない愚痴を言い合っていると、思わぬ出来事が起きる。
我々日本人の取材陣が珍しかったためか、突然乗客のオバさんたちが身体に触り始め、べっとりくっついてきたのだった。びっくり仰天。コレってセクハラですか?苦い顔をしていると「あんたねぇ、この私が嫌だっての?」と言っているんだろうなとすぐ分かるような反応。揺れる車内で強いお酒を飲むと、すぐ酔っぱらうので注意が必要だ。テキーラも美味いけど、ほどほどにしないとなぁと思うのだった。

ディレクター 立川修史
出発前のテキーラ・エクスプレス
楽しげな乗客たち
テキーラの原材料リュウゼツラン
撮影日記3

チワワ太平洋鉄道は、おそらくメキシコ鉄道のなかでも最も有名な観光鉄道だろう。海抜0メートルの港町を出発し、アメリカから連なるロッキー山脈の南端、険しいコッパーキャニオンの山岳地帯を登って、メキシコ高原の街チワワを目指すこの列車。標高差2000メートルを登り雄大な大自然と北部に暮らす先住民達の姿が見られる魅力的なラインである。

このシリーズのハイライトであるだけに、撮影スケジュールを含め入念に作戦を練るのだが、すでに問題点がいくつか浮上していた。1つは、我々の200キロを超える撮影機材を、混み合う2等車に載せることは不可能だと通達があったこと。2等車の1時間前に出発し、快適な観光列車を目指している1等車には荷物専用の貨車が付いているから、そちらに乗ったらどうかという鉄道会社の提案があった。だが私としては、沿線の住民が多く利用する2等車に乗った方が味わいがあるように思えたので、その提案は受け入れがたかった。一方で2等車のデメリットは荷物問題の他にもたくさんある。毎日走る1等車に比べ2等車は週に3便しか走らない。そのため列車の外観を撮るチャンスが減るほか、夜遅くロス・モチスに到着した次の日の早朝に乗車しなければならずスタッフの体力が心配であった。現実的な問題を考えると1等車に切り替えるべきなのか…と悩んだ。

そんなとき、「こういう場合は、何を優先するかだと思いますよ。」と新しくロケ隊に加わったアシスタントコーディネーターの石井さんがアドバイスをくれた。現地に住む日本人女性である石井さんは、日系人を取材しメキシコと日本の交流400年を記念する映像を制作しているディレクターでもある。判断が苦しいときの気持ちをよく理解してくれるのだった。変化球的な作戦だが、結局、サブカメラと荷物の3分2を1等車に乗せ、そちらは石井さんと技術の横山さんが担当。メインのロケ隊3人は2等車に乗り、地元の乗客の取材を最優先させた。チャンスの少ない列車の走りは2台あるサブカメラでもフォローし、撮影することにした。技術班は「我々の体力など心配するに及びませんよ」と言ってくれたし、1等車しか走らない日は沿線の街並を撮影する日にあてることで大きな問題は1つ解決に向かった。よし、準備万端。いよいよ出発である。

ディレクター 立川修史
出発前のチワワ太平洋鉄道
沢山の荷物が積まれた車内
カウボーイハットの乗客
撮影日記4

早朝5時。まだ夜明け前で真っ暗のロス・モチスの駅に到着。7時に出発して、5時間ほど経過したが、やはり2等車を選んで良かったとほっとしているところだ。1等車の切符の半額近い乗車料金である2等車には、沿線で生活する人達がごった返している。冬の長期休暇で大きな荷物をがんがん詰め込むメキシコ人達。ほとんどが家族連れで、それも孫まで3世代のグループがわんさか乗ってくる。カウボーイハットを被った男達、鮮やかな衣装を身に付けた先住民の女性達、毛布を巻いたまま車内を走り回る子ども達などなど、1等車に乗ったチームからの報告とは全く様子が違っている。

1等車では予想通り、「ほとんどがデジカメを持った欧米からの観光客だけで、それもガラガラ。一組もメキシコ人がいないですよ。」というもの。こちらに乗っていたらきっとどこの国の列車だか分からないような車内映像になっていただろう。食堂車のメニューも違い、1等車で出されるのはステーキやリブなど、いわゆる観光客向けのものだが、2等車ではタコス、ナチョスなどのメキシコ料理。サルサも色んな種類が用意してある。メキシコの朝食で一般的なブリトーの車内販売ほか、大量の食パンを持ち込み、手作りのサンドイッチを並べる乗客もいる。また、どういうわけか多いのが、今メキシコ人に普及しつつあるらしい日本のカップ麺である。しかしお箸を使えないメキシコ人達は、スプーンを使って食べているので、麺がうまくすくえない。

車内の様子をカメラマンの谷茂岡さんに撮ってもらっていると、コーディネーターの吉田さんから思わぬ情報が入った。「あのですね、立川さん、不思議なことが起きてます。いま通過した駅と時刻表を照らし合わせてみたんですが、列車がですね、遅れてるんじゃなくて、逆に早くなってるみたいなんですね、それも1時間半近く。」え?!じゃあ、時間通り駅で待ってた人達はどうするの?「まあ、それは運が悪かったんでしょうねぇ」吉田さんの何とも現地慣れした返答を聞き、この国で計画的に何かをすることって大変なんだろうなあと思わず気が抜けてしまった。終点まであと8時間近くある。一旦、我々もカップ麺のお昼ご飯を食べ、小休止だ。

ディレクター 立川修史
車内で人気のカップ麺
こちらは大きなサンドイッチ
駅のホームで果物を売る人々
撮影日記5

標高1027メートルのテモリス駅を通過する頃、平坦だった車窓に大きな変化が現れた。両側を断崖絶壁に挟まれ、山肌に沿って作られた線路は次々とトンネルの中に吸い込まれて行く。いよいよ本格的なキャニオンの中に突入していくのだ。車内の撮影を一旦中断し、デッキから身を乗り出して峡谷を突き進む列車の車窓を撮る。

それにしても、一体なぜこんな険しい場所に鉄道を造ったんだろうか?と疑問が浮かぶ。鉄道乗務員に聞いてみると、もともとは19世紀後半、アメリカ人の富豪アルバート・オーウェン氏が計画した路線であるという。彼は当時まだなかったアメリカ大陸の東西を結ぶ鉄道を敷設するべく、大西洋岸の街ニューヨークと直線最短距離にある太平洋岸の港町を調べ、最も近いのがアメリカ国内の街ではなくメキシコのロス・モチス郊外トポロバンボ港だと見当をつけた。そこで既にニューヨークと繋がっていたテキサスのカンザスシティから線路を延ばし、チワワ州の西シエラマドレ山脈を越えて、トポロバンポ港まで繋ぐことで巨大な国際貿易が行われるようになると夢見たらしい。でも、その後のメキシコ革命や、予想以上に困難を極めたキャニオンの難工事で、あたふたしている間に、ニューヨーク〜サンフランシスコ間の大陸横断鉄道が完成。彼の夢は潰えたかのように見えた。

それでも鉄道工事はゆっくりとしたスピードで進み、計画から1世紀。ようやくこの鉄道が開通したのだった。そんなチワワ太平洋鉄道の歴史を教えてもらいながら、険しい峡谷の車窓を見ると、100年間続いたその努力に頭が下がる。全行程80以上のトンネルを抜け、40近い橋を通って、やっと越えることができるほど険しいキャニオンなのだ。それだけに他の国では見られないような雄大な車窓が広がり、うきうきした気持ちになってくる。乗車するとき持ってきたテープの本数もどんどん減り始め、終点まで足りるかなと逆に不安になってくる。標高があがるにつれ外気も冷たくなり、バッテリーの減りも心持ち早くなった気がする。650キロほどの道のりのまだ半分も終わってないのだ。ペース配分に気をつけながら撮影を進める。

ディレクター 立川修史
橋を渡るチワワ太平洋鉄道
ウリケ・キャニオンの絶景
絶景の前にてスタッフ一同記念撮影
撮影日記6

午後6時。出発から10時間以上経過。山岳地帯を走り終えて、列車はメキシコ高原のなだらかな大地に入っていく。黒い山の稜線に夕陽が沈み、乗客達が車窓を眺めながら物思いに耽っている。険しい山脈を乗り越えた後の心地よい疲れが車内を包んでいるように思えた。しかし、気温はどんどん下がり、デッキではマイナス10度という凍えるような寒さ。そして、今にも切れそうな蛍光灯の弱い光だけが車内を照らしているため、カメラにとってこの時間帯は少々辛い。長時間の撮影に体力的にもきつくなってくる。

そんなとき助かったのが、乗客達がくれた「メキシコのおやつ」である。果実を煮込んで作った甘いお菓子は、口に含むだけで疲れを溶かしてくれるようだ。中には甘いのか?辛いのか?酸っぱいのか?分からない微妙なキャンディもあるのだが、それでも撮影隊と仲良くなった乗客達の気持ちが伝わってきて嬉しい。おやつの手助けを得て、ようやく厳しく長い夜の時間を乗り越え、午後10時45分、終点のチワワ駅に到着した。

感動したのが、この骨の芯まで冷えるような気温の中、ホームで待つ出迎えの人の多かったこと。遠く離れて暮らしている家族や恋人達が、降りてくる乗客達をじっと待っていた。そして、ようやく列車が到着すると、込み上げる笑顔で肩を抱き合い、再会を喜ぶ。その表情が深夜の寒いホームで輝いている。それは温かい風景だった。こんな風に「大事な人を待ち、やっと再会すること」なんて、これまでの自分に何度あっただろうか?と思わず人生を振り返ってしまった。

確かにこのチワワ太平洋鉄道は片道15時間以上もかかり、飛行機などでもっと速く移動してしまえば簡単に行き来できるだろうと思うかもしれない。けれど、それだけの時間、列車で旅してようやく会えたという気持ちの大きさは、換えられない価値があると思った。不便ではある。けれどその不便さが、旅や他人との出会いを一層濃くしてくれる。そんなことを教えてくれたメキシコの鉄道に、ありがとうと別れを告げた。

ディレクター 立川修史
チワワ駅に到着した列車
深夜の駅で再会を喜ぶ人々
メキシコ高原の街 チワワ
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