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撮影日記1

シリア同様、エジプトも20年ぶりに訪れる。覚えているのはギザのピラミッド周辺だけ。以前はスフィンクスが修復中で、カバーがかけられ顔しか見えなかった記憶がある。だから撮影もしなかった。今回は足元も体も撮影できたのだが、意外に顔が小さく、前足が妙に長い。けっこうバランスが悪いなと思った。さて、カイロ駅からアレキサンドリアへ向かう列車に乗り込む。エジプトの鉄道は今や世界中で一番撮影の規制が厳しくなってしまった気がする。鉄道省の人が常にカメラの近くにいて、あれを撮るな、これを撮るなという。細かくは書けないが、乗客の撮影も彼らが先に交渉し、彼らの許可を得た人しか撮影できない。それにずっとカメラのそばにいるから乗客の自然な表情は撮りづらく、カメラを見たままの記念写真のような表情しか撮れないことが多かった。さらに途中駅に着いてもホームにいる警官が撮るなと言いながら集まってくる。ストレスはたまるが、仕方がないね。テロを警戒してということもあるし、自分の国の汚い部分、貧しい部分を見せたくない、少しでも良く見せたいという気持ちもあるのだろう。それはわかる。ただ経済的に豊かでない国の人々の方が、豊かな、いい表情を見せることが多い。我々が失くしてしまった、たくましさ、人間臭さがある。それが撮りたいから世界を回っているところも、この番組にはあるんだけどね。まあ説明しても、わかってはもらえなかったけど。

アレキサンドリアでは真っ青な地中海と数々の遺跡を撮ったが、一番面白かったのがトラム、路面電車だった。開業して150年という長い歴史を持ち、大人も子供も、どこまで乗っても一人およそ4円という安さ。それでもタダ乗りしている輩がいた。鉄道省とは関係ない撮影なので、自由に撮れるのが嬉しかった。路面電車が走る町は、なぜか親しみがわく。そのレトロなスピード感が年寄りに優しいし、道端からひょいと乗る気軽さがいい。町が巨大な遊園地のように感じられる。さらにアレキサンドリアにふさわしい名前の駅を見つけた。クレオパトラ駅。アレキサンドリアはプトレマイオス朝時代の首都で、その最後の女王だったクレオパトラが暮らした町だ。他の駅は実用一点張りの何の装飾もない駅だが、クレオパトラ駅だけは別格。愛と美の女神アフロディーテが乗ったホタテ貝をイメージさせる優美な屋根、そして神殿のような柱。死後2000年以上たつのに、クレオパトラの威光は未だアレキサンドリア市民の心に根強く残っているようだ。もし邪馬台国がどの場所にあったのかがはっきりしたら、その町に“卑弥呼”という名の駅が…できるかなあ。

ディレクター 福本浩
ギザのスフィンクス
アレキサンドリアの海岸
クレオパトラ駅とトラム
撮影日記2 「砂漠で震度7?」

カイロのアイン・シャムス駅からスエズへ向かう列車に乗る。この列車が、すごかった。何がすごいって、ボロボロなんですよ、ハイ。あのうるさい鉄道省が、よく撮影を許可したなと思うくらい。まず、客車の窓ガラスがほとんどない。こんなに車窓が撮りやすい列車は世界中を探してもないかも知れない。座席も通路も砂埃がたまっていて、腰を下ろす気にならない。走り出して、また驚く。揺れる、揺れる。しかも横にではなく、上下に。防災訓練で地震体験車というのがあるが、その時に体験した震度7よりも揺れた。よく脱線しないよなあ。こういう時って、人は恐怖を感じるより笑ってしまうものらしい。乗客たちと顔を見合せ笑った。初めてエジプトの人と心が通い合った瞬間。ホントに脱線したら笑えないんだけどね。砂漠地帯に入ると車内に砂塵が入ってきて、もうたまらん状態。布で顔を覆っている人もいた。この路線の沿線には軍事施設が多く、撮っちゃダメの時間も長かった。シリアもそうだったが、別に何の変哲もない建物があるだけなんだが…。汗と砂で顔も髪の毛もグダグダになった2時間半の旅は、あっという間に終了。エアコンの効いた窓が開かない、とりすました顔の乗客ばかりという列車に比べたら、天国のような列車ではあった。

スエズと言えば、スエズ運河。これが撮れなくては来た意味がないのだが、撮影不可。しかもスエズ湾の海岸線もダメ。要するに海の画が全く撮れない。これには、まいった。しかたなく町中で、カメラを向けるとキャーキャー笑いながら逃げ回る学校帰りの女学生を追う。これで番組になるのか…わかりまへん。その後、カイロへ車で戻りながら砂漠を走る列車を撮ろうとしたのだが、軍の施設があちこちにあるので、ずっと撮影に同行している情報省の人のOKが出ない。ようやく何の建物も見えない場所を見つけたが、それでも首を縦にふらない。軍の関係者に見つかって問いただされるのを恐れているのだ。その日はあきらめるしかなかったが、後日、エジプトを去る前日に、もう一度頼み込み撮影することができた。2週間、寝食を共にして情が通ったせいだろう。最初はロバに乗った人さえ撮影NGだとピリピリしていた彼が、次第に何も言わなくなり、機関車の運転室の撮影を許可しない鉄道省の人間とも粘り強く交渉してくれ、撮影を可能にしてくれた。最後は、やっぱり人間関係、信頼関係だなあ。エジプトで出会ったどの人より彼の顔は記憶に残るだろう。名前は忘れてしまった、すんまへーん。

ディレクター 福本浩
砂漠を走る列車
スカーフで砂埃をよける
窓ガラスのない客車
撮影日記3 「古代遺跡もいいんだけど…」

いよいよエジプト鉄道の旅のハイライト、カイロからルクソール、アスワンへ向かう。ギザのピラミッド、スフィンクス。ルクソールのカルナック神殿、王家の谷、メムノンの巨像。そしてアスワンのイシス神殿。古代エジプトの遺跡がてんこ盛りの路線。それなりにすごいと思うのだが、さほど心が動かなかったのは年のせいか、テレビや写真で見慣れてしまったせいか。私が惹かれたのは次の3つ。ひとつはミニヤの聖処女教会。4世紀に建てられたという古い教会で、まるで石窟寺院のような荒々しい造り。石柱に残されたままの削り跡が生々しい。華美な装飾が一切無いので、より聖なるものを感じた。次に水路の渡し船。ナイル川沿いの穀倉地帯には灌漑のための水路が発達しているのだが、近くに橋が無い地域も多い。そこで考え出されたロープ式の渡し船。エンジンもなく櫓でこぐ必要もない。水路の上に渡したロープを手でたぐりながら船を動かす。これそ究極のエコ・ボートだ!と思わず笑顔。“♪つれて逃げてよ〜”と口ずさんでしまった。

最後はサトウキビを運ぶトロッコ列車。4月のエジプトは収穫の最盛期。あちこちでサトウキビを運ぶロバやトラクターを見かけたが、ルクソールからカイロへ車で戻る途中、偶然トロッコ列車を見つけ、あわてて車を降り、走りながら撮影した。貨車に山盛りに積まれたサトウキビの上に乗り、笑顔で手をふる少年たち。何とも気持ち良さそうで、一緒に乗りたくなった。今度は♪Stand by Meのメロディーが頭をよぎる。インターネットで様々な情報が瞬時に得られる時代だけど、実際にその国に行って見なければわからないことは、たくさんある。こうした風景に出会うたびに、この仕事をやっていてよかったと思う。あ、もうひとつ思い出した。列車内のデッキで礼拝をしていた人を撮っていた時のこと。イスラム教の礼拝はサウジアラビアにある聖地メッカに向かって行うのだが、携帯電話でメッカの方角を知ることができるようになったと自慢していた。時代だねえ。古いものと新しいものが渾然一体となっているエジプトが、こんな所にも見えた。今度来るのは、いつの日か。また20年後というと、70代の半ばかあ…無理だな。

ディレクター 福本浩
ミニヤの聖処女教会
水路の渡し船
サトウキビのトロッコ列車
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