世界の車窓から世界の車窓からFUJITSU
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撮影日記1 「未知の国へ」

ご存知?「哀しき中年撮影隊」、2年ぶりの登板。深夜1時半頃、成田からイスタンブール経由でサウジアラビアの首都リヤードの空港に降り立つ。私にとっても、番組にとっても初めての国。多少身構えていた。というのも、出発前に読んだ本にはアルコール類はもちろん、ポークエキスの入ったカップラーメンも、賭けごとに使われると思われるトランプも、他宗教に使うと思われる偶像・十字架も、大胆に露出した女性の肌や長い髪が載っている雑誌も持ち込み不可と書いてあったからだ。読みかけの週刊誌はイスタンブールの空港に捨ててきた。しかし厳しいチェックもなくスムースに通関。撮影機材をチェックしただけで私物は開けもしなかった。初詣で買った神社のお守りが財布に入っていたのを忘れていたが、無事だった。空港もホテルも、そして街並も超近代的だが、人々の服装は伝統的なアラブの民族衣装。そのミスマッチになかなか馴染めない。例えるなら現代の東京の町中で、マゲを結い着物を着た江戸時代の人々がウロウロしているような違和感。これがサウジアラビアの一番の魅力かも知れない。これから1週間、酒は飲めないが、喫煙者にとっては天国のような国。吸えない場所は、ほとんどない。ヤッホー!

翌日、リヤード駅からダンマーム行きの列車に乗り込む。車内はゆったりとして座席もフカフカ、エアコンもバッチリ、快適だ。ただし窓は開かず、デッキのドアも、駅の発着前後のスピードを落とした時だけしか開けてくれなかった。しかしスピードが出ているときに開けてくれたとしても、砂塵がすごくて撮れなかったと思う。路線のほとんどが砂漠地帯で細かい砂が窓やドアの隙間から車内に入ってくるほどだ。よくこんな場所に鉄道を敷いたものだ。一番ビビったのは、アバヤと呼ばれる真っ黒なマントコートに身も顔も包んだ女性たち。カメラを向けようとすると、顔をそむけるか、席を立つ。ずっと撮影を監視している鉄道省の人に頼み込み、交渉しもらって何人かは撮影できたが、じっとカメラを見ているだけ。表情も年齢もわからない。4人姉妹と言われても、誰が誰やら…久しぶりに異国へ来たなあ、と感じた。

ディレクター 福本浩
リヤード駅に停車中の列車
ホームを歩く女性たち
車内の男性
撮影日記2 「砂とイスラム戒律に苦戦」

ダンマームからリヤードまで2日かけ、車で戻りながら列車の走りや風景を撮影した。が、スタートからつまづく。砂漠でも何でもない町中の、線路沿いの未舗装道路で、溝に溜まったわずかな砂にタイヤをとられ車がスタックしてしまった。ロケ車が四駆ではなかったことが判明。なんてこった。もう1台の車で撮影に同行していた情報省の人がレッカー車を呼びに行ってくれた、と思っていたのだが、やってきたのは工事用の大型クレーン車。重すぎて砂にはまりそうになり、我々の車に近づけない。持ってきたロープも短くて届かない。やがて列車が来る時間になってしまい、撮影ポイントとしては全然良くなかったが、撮影せざるを得なかった。その後、自動車の修理工場から呼んできたという(最初からそこへ頼めよ!)四駆の乗用車がやってきて、ロープをつないで引っ張り、ようやく砂から脱出できた。すでに昼近くになっていた。

飯が食える所を探したが、ここで、またもや苦戦。お昼の礼拝のためにレストランはみんな閉まっていて30分は待たなきゃいけないという。じゃあマクドナルドなら、と思って行ったら、やはり閉まっている。再び、なんてこった。全然ファースト・フードじゃない。マックがこの国にあること自体、驚きだが。礼拝問題は、その後も常につきまとった。昼食時だけでなく夕食時にも礼拝がある。中華料理屋なら開いているだろうと思ったが、同じこと。働いているのは、ほとんどイスラム系のアラブ人だった。いやはや、恐るべしサウジアラビア。得難い体験をさせてくれて、本当にありがとう。撮影4日目にして、すでに日本へ帰りたくなった。楽なヨーロッパ・ロケを若者に行かせ、なぜ年寄りを難しい国へ行かせるのだ、と某プロデューサーを恨めしく思ったりもした。

ディレクター 福本浩
スタックした車
ダンマームへ向かう列車
砂漠の線路
撮影日記3 「大らかなシリア、しかし…」

20年ぶりにシリア入国。前回はアレキサンダー大王の足跡を辿る番組の撮影で来たのだが、もちろん何にも覚えていない。エッヘン。シリアはイスラム教徒が人口の85%を占める国。しかしサウジアラビアとは全く違い、酒は飲めるし、女性の顔も拝むことができる。中にはスカーフをせず髪の毛を露出している女性も少なからずいる。ひと言で言うなら“自由”があった。でも、それは欧米的な価値観であって、サウジの女性が不自由を感じているかどうかはわからない。かえって女性の居場所がはっきりしているので、安全で暮らしやすく思っているかも知れない。それはともかく、首都ダマスカスからアレッポへ向かう列車に乗る。2007年に導入されたという韓国製のモダンなディーゼル列車がホームで待っていた。列車だけでなく乗用車、大型バスも韓国製が多かった。何やってんだ、ニッポン。長年のサッカーファンである私は韓国に対して根深い敵愾心を抱いている。これまで韓国に何度ワールドカップ出場を阻まれてきたことか。一瞬乗るのをやめようと思ったが、それも大人げないなと思い、我慢した。残念ながら、とても快適な列車だった。そして、とても大らかな列車であった。特に運転席が。携帯音楽プレーヤーに入れた自分の好きな音楽を業務用のマイクに通し、大音量で聴きながら、時には歌いながら運転していた。スイッチを切り忘れたのか、音楽は客室にも流れていた。さらに湯沸かしポットまで持ち込んでコーヒーを飲み、タバコも吸っていた。どこへ行っても禁止だらけの日本とは大違い。心底うらやましいと思う。まあ列車の本数が少なく、分刻みのスケジュールで走っていないからできるんだろうけど。駅のホームでタバコを吸っていた時、吸殻を携帯灰皿に入れていたら、駅員に感謝された。みんな線路にポイ捨てするんで困っているそうだ。日本も昔はそうだったなあ。

シリアの自由な雰囲気を楽しんでいた我々スタッフ。だが、その認識を変えざるを得ない事件が起こった。シリア伝統の土の家が数多く残る村と列車の走りを撮っていた時だ。突然、軍隊の人間がやってきて撮った映像をすべて見せろと言う。周辺に軍の施設があって、それが映っている映像は消せと言うのだ。前日に我々は下見をし、村人たちにも撮影の許可を得ていた。周辺にそれらしい施設は、どこにも見当たらなかったのだが…しかたない、見せた。そしてワンカット、正面から迎えて撮った列車の背景に何でもない家並みが映っていた、それが軍の施設なのだという。えっと耳を疑う。別に戦車や大砲、レーダー、兵士たちなどが映っているわけではない。軍の関係者以外、誰もそれとわかるはずがない。我々にとっては理不尽な話だが、それが彼らの仕事なのだと割り切るしかなく、泣く泣くその映像の上にカラーバーを録画して消した。後で知ったことだが、村人の誰かが軍に通報したらしい。普段は表面に出てこない、シリアのもう一つの姿を知った貴重な体験だった。

ディレクター 福本浩
シリア国鉄の運転席
韓国製のディーゼル車両
土の家とサッカーをする子ども
撮影日記4 「ユーフラテスから地中海へ」

シリアの北東部を流れるユーフラテス川。チグリス川と共に古代メソポタミア文明を育んだ川。世界史の教科書にそう書いてあった川が、今、目の前を流れている。何だか不思議な気分。5000年前の人間の歴史と、私の40年前の記憶。この差は大きいが、どちらもユーフラテスが持つ悠久の時間に比べれば、ほんの一瞬に過ぎない。自宅近くを流れる荒川の川幅よりも狭いのに、“滔々と流れる大河”と言いたくなる威厳がある。まあ私の思い込みが激しいからかも。周囲が荒々しい岩山に囲まれているせいも、あるかも知れない。岸辺を走る列車が、何だかチャチに見えた。翌日、ユーフラテス川の中流域に位置するデリゾールという町からアレッポへ向かう列車に乗り込む。またも例の韓国製列車。ハイハイ、乗りますよ。朝から霧が立ち込め視界が悪く不安だったが、ユーフラテスが車窓に現れる頃には少し晴れ、川の流れや岩山の上に佇む古城が撮影できた。ラッキー! 世界中どこに行っても、川とか海が車窓に現れると何だかうれしい。親しい友が一緒に旅してくれているようで、心が和む。水の流れというのは見ていて飽きることがない。海や川をいつも身近に感じている日本人だからか、それとも、遠い遠い昔に水中で生まれた原始生命体の遺伝子の記憶が、我々人間の中にも残っているからか…考え過ぎだね。

アレッポに到着した翌日、地中海に面したラタキアへ向かう。今度はディーゼル機関車が牽引する旧式の列車。窓も開けられ、カメラを外に出して気持ちよく車窓が撮れる。乗客も気取らない素朴な人ばかり。途中険しい山間を走り、トンネルや橋が幾つも続いて、変化に富む車窓が撮れた。ウキウキ気分でラタキアに到着。ところが、何やら上からのお達しで海を撮っちゃいけないという。理由は明らかにしてくれない。これもまた軍隊がらみのお達しか。途方に暮れていたらラタキアの観光省の人が親切で、海岸沿いのレストランのテラスからならいいいと言ってくれ、無事、地中海の映像が撮れた。なぜ、そこからならいいのか、これも理由はよくわからない。まあ深く追求しても疲れるのでやめた。中東の国での撮影は神経を使うが、人々は皆ほがらかで親切だった。体力も記憶力も年々衰える一方の“哀しき中年撮影隊”ではあるが、トラブルを楽しむ余裕はある。いや、単にあきらめが早くなっただけかも。

ディレクター 福本浩
ユーフラテス川沿いの列車
笑顔の子どもたち
アレッポを出発した列車
撮影日記5 「トラブル続きの蒸気機関車」

シリア・ロケの最終日、首都ダマスカスの郊外を観光客を乗せて走る蒸気機関車を撮影する。出発前の準備風景から撮り始めたのだが、何やら機関車の調子がおかしいという。急きょ別の機関車の釜を暖め始めたのが、すでに出発予定時刻の1時間前。間に合うはずはない。しかしスタッフたちは悪びれる様子も焦る様子もなく、歌なんか歌いながら作業している。これはもう国民性の違いというしかない。その後、驚くべき光景が目の前に現れる。故障した機関車に連結してあった客車を、一両一両数人で押しながら切り離し始めたのだ。けっこう人の力で動かせるもんなんだねえ。もう目がまん丸。ようやく蒸気機関車の準備が整い、客車を連結する段階になったが、ここで、またトラブル発生。故障した機関車が線路の切り替えポイント近くに止まっていて、このまま進むと接触してしまう。ここで彼らは驚くべき解決法を見せてくれた。2台の機関車の先頭をチェーンで結び、正常な機関車をバックさせながら故障した機関車を引っ張ったのである。実に乱暴、しかし一番簡単で効果的。無事客車を連結し、乗客を迎えに駅へ向かう。ここで、更なるトラブル発生。線路のそばに車が違法駐車していて通れないのだ。この蒸気機関車が走る線路は町中にあり、しかもツアーの予約が入った時にしか走らないので、線路のスペースが格好の駐車場になっているのだ。ここでも彼らは強引に解決を図る。数人で車を半分だけ持ち上げ、ググッと乱暴に動かしたのだった。数々の困難を乗り越え、そして出発予定時刻を2時間半も遅れ、観光客を乗せた蒸気機関車は1時間半の旅に出発した。乗客には迷惑な話だが、我々撮影スタッフにとってはネタが豊富な、ありがたい撮影だった。

今回のシリア・ロケでは観光省から一人撮影に同行していた。それも23歳の美女。これにはみんな舞い上がりましたねえ。男所帯のむさいロケ車の中にパッと花が咲いたよう。それにしても、2週間以上も若い女性がひとり、家族でもない、それも異国の妙なオッサンたちと寝食を共にするなんて、イスラムの国では普通考えられない。役所も、そして彼女の両親も、欧米的な考えを持っているということか。彼女の名前はラシャ。いつも背筋をピンと伸ばし、車での長い移動の最中も決して居眠りせず、怖そうな軍人に囲まれた時も負けずに意見を言い、我々の撮影を擁護してくれた。感謝、感謝。シリア大好き人間になってしまった私。結局、国のイメージって接する人の影響が一番大きいのだ。

ディレクター 福本浩
客車を懸命に動かすスタッフたち
チェーン装着中の蒸気機関車
トラブルを乗り越えひと休み
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