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 「日本を知ろう」第2弾で、13カ国30人の外国人達とベーシック京都ツアーに出かけた香取編集長は、西本願寺、二条城、そして平安神宮を見て回りました。平安神宮では川端康成の『古都』にもでてくる有名なしだれ桜を堪能。そこには、我々の知らなかった京都が、そしてニッポンがありました。今週は、その続編をお送りします。
 京都観光といえば、やっぱり金閣寺。ここは日本で最も多くの参拝者が訪れる名所で、その数年間400万人を越えます。ここは、1397年、室町幕府の3代将軍・足利義満が、その邸宅として建てたもの。義満の死後、その遺言により禅寺となり、鹿苑寺と命名されましたが、金色に輝く舎利殿金閣があまりにも有名なため、通称金閣寺と呼ばれているのです。入り口である総門には、禅寺ならではの厳しい戒律が掲げられています。「殺生をしてはいけない」「お酒を飲んではいけない」「セックスをしてはいけない」といったその戒律に、いちいち大げさな反応を見せて盛り上がる香取編集長&外国人のみなさん…
 総門をくぐり、中へ入った一行は、まばゆいばかりの金閣に目を奪われました。この3月に屋根の部分が改修されたばかりで、その費用は約1億円。ちなみに、1987年に行われた全面改修で使われた金は、10センチ四方の金箔にして2000枚。総重量、実に20キロ。総工費は当時の金額にして、7億4000万円にも上ったということです。38歳の若さで出家した足利義満は、ここ金閣寺で、四季折々の美しい風情に囲まれた隠居生活を送りました。また、時の天皇を招いて盛大な宴を開いたり、中国の明の使いを呼んで貿易事業にも精を出したのです。このころ、芸術をこよなく愛した義満の保護のもと、北山文化と呼ばれる独創的な文化が花開き、狂言や能、水墨画などが大いに栄えました。
 500年以上の歴史を誇った金閣寺ですが、1950年、放火によって焼失しました。逮捕された青年は、「金閣寺と心中するつもりだった」と語ったといいます。この事件に衝撃を受けた作家・三島由紀夫は、小説「金閣寺」を発表。放火した青年の精神状態をモチーフに、幻想と心中する悲劇を描いています。
 金閣寺のてっぺんにあるのは孔雀ではなく、不死鳥。想像上の動物で、古来中国では「鳳凰」と呼ばれていました。鳳凰は、永遠の命と権力の象徴。戦乱のない、京の都の平和を祈って、金閣のシンボルとしてここに掲げられたといいます。方丈庭園(ほうじょうていえん)には、義満が大事に育てていた盆栽を、義満の死後、庭園に植えたという古木「陸船(りくしゅう)の松」があります。この松は、宝泉院(ほうせんいん)の五葉松(ごようまつ)と、善峰寺(よしみねでら)の遊竜の松(ゆうりゅうのまつ)とともに、京都3名松と謳われています。その他、庭園の奥にたたずむ竜門の滝や、夕日に映える景色を堪能できる茶室・夕佳亭(せっかてい)などが、金閣寺の風情を盛り立てています。
 金閣寺を後にした一行は、京都の東西を走る今出川通りを、一路東へ。右手に見えるのは京都御苑。その敷地は63万平方メートルで、東京ドーム約13個分の大きさを誇っています。その中央に京都御所があり、794年の平安京遷都から1868年に首都が東京に移るまでの1000年以上もの間、歴代天皇がここに暮らしました。
 京都の街では、何丁目何番地といった住所とは別に、「四条通り烏丸西入る」というような、交差する通りの名前を使った表記がよく使われています。京都の街は東西・南北に走る道で碁盤の目のように区切られているため、通りの名前を使って位置を表したほうが、所在が分かりやすいのです。事実、交差点も「三条川原町」という風に、ふたつの通りの名前を連ねた形で呼ばれるものも数多く、また、これだけでも郵便物が届くそうです。
 西陣織りで有名な「西陣」の名は、1467年、京都を戦乱の渦に巻き込んだ応仁の乱に由来します。京都の大名が東と西に陣地を分けて戦った際、西軍の本陣がこの地区に置かれたことから、「西陣」という呼び名が定着したのだということです。
 今出川通りと東大路通りの交差する、百万遍交差点。百万遍という名は、14世紀に京の都で疫病が大流行した際に、知恩寺の名高い僧が御所に7日間こもって念仏を100万回唱え、病魔を退散させたことに由来します。この百万遍交差点、東大路通りを南へ進むと、そこには今回のゲストでもある鳥越俊太郎さんの母校・京都大学があります。
 京都大学は1897年(明治30年)に、京都帝国大学として設立されました。東の東大、西の京大といわれるように、関西の雄として多くの優秀な人材を輩出しているのです。
著名な卒業生としては、元総理大臣の池田勇人。文化人には、大島渚、井上靖、黒川紀章、竹村健一、中坊公平。俳優・辰巳琢郎も京大卒。また、湯川秀樹、利根川進など、5人のノーベル賞受賞者がいます。
 京都の町をゆったり歩くのも楽しいですが、、風情を味わうなら人力車も。外国人観光客にも人気です。ちなみに料金は、30分でひとり5000円が相場だそうです。
 ここで香取編集長は、何人かの外国人の方と話しました。そのひとり、シアトルから来たというエリザベスさんは「京都はすべてが美しい街。金閣寺は素晴らしい。あと桜も…。アメリカとは比べられないくらい上品で、私にとってはミステリアス」と、今回のツアーにすっかり満足したようすでした。この時、香取編集長と外国人の方が乾杯して飲んでいたのは抹茶。本来はちゃんとした作法に乗っ取って飲むものですが…。ここ京都は茶道発祥の地。市内には茶道を体験させてくれるスポットも多く、観光客の人気を集めています。ベーシック京都ツアーもいよいよ終盤、一行はこの後、夜の京都を堪能します。来週もお楽しみに。
――今回は京都ベーシックツアーのパート2でしたが…。
 金閣寺は一番感動しましたね。VTRの中で「生まれて初めての金閣寺…」って言ってましたけど、それを見ていて「オレは本当に生まれて初めてなのか?」って思い返してみても、やっぱりボクの記憶にはなかった。だから、やっぱり初めてだと思います(笑)。京都って、修学旅行で行ってるんですよ。だけどね、「他のところに行け」っていう学校の指示で、もっと無名の小さいお寺だけ自分たちのグループで回ったんで。多分、他の仕事でも行ってないと思うんですけど、あれだけボクのリアクションが大きいっていうことは、初めてなんだろうな、ってことプラス、もし行ってたとしても、いまの年齢になって、歴史とかに興味が出てきて、日本をもっと知りたいと思うようになってから行ってみると、やっぱり違うのかもしれない。だから、視聴者の方でもし修学旅行とかで行ったことがあっても、もう1回行ってみると、また違う印象を持つんじゃないかな、って思うんですよね。

――ホントにキレイでしたよね。
 ゲストの鳥越さんも船越さんも「あんなにキレイな金閣寺は見たことない」っておっしゃってたけど、修復後のいまだからこそ、ですよね。ホントにキレイだったんで、感動しました。

――次回の見どころは?
 夜桜! あとは清水寺からの景色とか…。一番印象に残ってるのは、木の凄さ。イタリアとかに行ったりすると、建築物とかも石で出来ているから、いまも残ってるじゃないですか。日本は木だから、災害とか戦争とかで焼けちゃったりしてそういうものがあんまり残ってないのかな、とか思っていたんですよ。素材的に、燃えちゃうから残れない運命なんだな、って…。でも、清水寺に行ってみたら、木の凄さを知りましたね。ボク、いろいろなものを触るんですよ。歴史的な場所とかに行ったら、触れるところは全部触ってくるんだけど、その時の“染みついている感じ”は凄かった。歴史の重みを感じさせるものだったので…。
4月19日放送「カトリが行く!」のVTRの中で、西本願寺を紹介した際に、一部誤った映像が使用されていました。深くお詫びいたします。
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