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「モスクワ国際映画祭」とは? |
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チョナン・カン主演の映画「ホテル
ビーナス」がパースペクティブ・コンペティション最優秀作品賞を受賞した「モスクワ国際映画祭」。カンヌ・ベネツィア・ベルリンと並んで4大映画祭のひとつに数えられるこの映画祭の歴史は古く、最初の開催はスターリン独裁時代にまで遡った1935年。ヨーロッパではナチスが台頭し、世界は第2次世界大戦へと突き進んでいたころでした。
このときのグランプリ受賞者は、ロシアの巨匠セルゲイ・バシリエフ監督と、なんとミッキーマウス。決して順調とはいえない米ソ関係の中、モスクワ映画祭はアニメ映画という新時代を作った画期的な作品にグランプリを贈ったのです。
その後、戦争のため暫くの間映画祭が開催されることはありませんでしたが、24年後の1959年、改めてモスクワ国際映画祭は復活。その後、1年おきに開催されることが決まったのです。その受賞監督・作品は錚々たる顔ぶれ。1963年にはイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニが、1965年には20万人のエキストラを使った7時間の大作「戦争と平和」が受賞しているのです。そんな中、初めての日本人受賞者となったのは新藤兼人監督。瀬戸内海の孤島に住む家族の自然との戦いを記録した「裸の島」が、1961年の第2回モスクワ映画祭で現在の金賞、最優秀作品賞にあたる、グランプリを獲得したのです。そしてもうひとり、金賞を受賞した日本人監督といえば黒澤明監督。1975年、「ホテル
ビーナス」と同じ、ウラジオストクでも撮影された「デルス・ウザーラ」が見事、金賞を受賞しています。
1999年から毎年開催されるようになると、この頃から審査委員長にリチャード・ギアを迎えるなど、年々華やかに、大規模に開催されるようになってきました。さらに最近では、日本の女優が相次いで主演女優賞受賞も果たしています。そして2004年、世界22カ国、28作品が出品された第26回モスクワ国際映画祭では、チョナン・カン主演、タカハタ秀太監督の「ホテル
ビーナス」が新人の監督と作品に贈られるパースペクティブ・コンペティションで最優秀作品賞の栄冠に輝いたのです。 |
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1959年 |
吉村公三
監督 |
千羽鶴 |
ソ連平和擁護委員会賞 |
1959年 |
島耕二
監督 |
いつか来た道 |
審査委員賞 |
1961年 |
新藤兼人
監督 |
裸の島 |
金賞 |
1963年 |
浦山桐郎
監督 |
非行少女 |
銀賞 |
1965年 |
羽仁進
監督 |
手をつなぐ子等 |
審査員特別賞 |
1965年 |
黒澤明
監督 |
赤ひげ |
ソ連映画人同盟賞 |
1967年 |
山本薩夫
監督 |
白い巨塔 |
銀賞 |
1969年 |
今井正
監督 |
橋のない川・第1部 |
ソ連映画人同盟賞 |
1971年 |
新藤兼人
監督 |
裸の19才 |
金賞 |
1975年 |
黒澤明
監督 |
デルス・ウザーラ |
金賞 |
1981年 |
小栗康平
監督 |
泥の河 |
銀賞 |
1983年 |
加藤嘉 |
ふるさと |
最優秀男優賞 |
1999年 |
新藤兼人
監督 |
生きたい |
金賞 |
2001年 |
宮沢りえ |
華の愛〜遊園驚夢〜 |
最優秀女優賞 |
2002年 |
市川美日子 |
blue |
最優秀女優賞 |
2003年 |
新藤兼人
監督 |
ふくろう |
特別功労賞 |
2003年 |
大竹しのぶ |
ふくろう |
最優秀女優賞 |
2004年 |
タカハタ秀太
監督
草なぎ剛主演 |
ホテル
ビーナス |
コンペティション・パースペクティブ部門 最優秀賞 |
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