(12/10 19:30)
木総理 隣は常にライバル[2021/12/10 19:30] 1974年12月9日、総理大臣官邸に、国会で首班指名された三木武夫氏が入ります。 田中角栄前総理が金脈問題で失脚し、自民党の後継総裁候補、大平、中曽根、福田、そして三木氏の中から、椎名悦三郎副総裁
(12/04 20:00)
組閣の日 1972年〜 田中総理 史上最年少就任[2021/12/04 20:00] 田中角栄氏は、1972年、「日本列島改造論」を掲げて、自民党総裁選に勝利し、 当時史上最年少の54歳で総理大臣に就任しました。 三木武夫氏は副総理、中曽根康弘氏は通産大臣など、大平正芳氏
(11/27 18:00)
氏は、東京オリンピック閉幕の翌日にがんの治療ため退陣を表明した池田勇人総理の指名で、あとを引き継ぎました。 田中角栄大蔵大臣、オリンピックを担当した河野一郎氏は副総理兼スポーツ担当大臣に、石田博英労働大臣、小山長則
(11/20 20:00)
夫氏は科学技術庁長官に起用されました。 池田総理は毎年決まって7月18日に、内閣を改造しました。 ===== 1962年の改造では、田中角栄氏を大蔵大臣に起用します。 宮澤喜一経済企画庁長官は初入閣。 近藤鶴代科学技術庁長官は日本で2人目の
(10/15 11:30)
散する。 与野党議員から一斉に万歳と拍手が起こりました。午後3時36分のことでした。 この解散は、ロッキード事件で田中角栄元総理大臣に有罪判決が下りたことで国会が空転したため、“田中判決解散”と呼ばれました。 解散から12月18
(10/14 19:30)
衆議院解散の瞬間 1972年 田中総理[2021/10/14 19:30] 昭和の衆議院解散の瞬間映像をシリーズで公開します。 1972年、田中角栄総理大臣による解散です。 ===== 1972年11月13日 “日中解散” 船田中議長が本会議場に入場し、続いて田中角栄総理が着席します。 二
(10/08 17:00)
、そういう信念。 それが今、ようやく認められたのは非常に嬉しいですよ。 佐藤栄作でももらえるんだと。俺ももらおうと。 田中角栄君にもひとつ、やってもらいたい。(笑) 佐藤氏はこの日、青山墓地に赴き、故・吉田茂元首相の墓前に受賞の報告
(10/05 17:00)
時の江崎さんは、ソニーの前進である、東京通信工業のサラリーマンでした。 帰国から2日後、国会内の大臣室へ当時の田中角栄総理を訪ねます。 天皇陛下からの銀杯を受け取り、田中総理からは感謝状が読み上げられ、手渡されました。 奥
(06/23 12:02)
の夜に入院先の病院で心臓の血管がふさがる急性冠症候群で亡くなりました。 立花さんは1974年に月刊誌で発表した「田中角栄研究」で当時の田中角栄総理大臣の金権政治を入念な取材で暴き、田中総理を辞任に追い込むきっかけとな
(09/08 19:51)
頑張ろうと、こういうことでそれが積み重なって、そういうことになったのですが」 そのうえで、二階幹事長が師と仰ぐ田中角栄元総理大臣の持つ記録を抜いたことについては「考えてみたら、恐れ多い」としました。また、今後の党運営につ