(01/29 15:58)
2 WRC世界ラリー選手権開幕戦モンテカルロ大会の最終日、前日DAY3で総合首位に立ったヒョンデのティエリー・ヌービル/マルティン・ウィダグ組が、最終日も猛追するトヨタ勢を寄せ付けず総合優勝を飾った。 世界ラリー2024新シーズン開
(12/16 10:00)
音楽を学ぶためにペンシルベニア州から家族と共に引っ越してきた町だ。カントリー音楽発祥の地であるナッシュビルまでは車で約20分。テイラー・スウィフトはヘンダーソンビルの高校に通いながら、ナッシュビルにレッスンを受
(08/01 18:04)
恩赦は国軍トップ主導で首都ネピドーに建立された大仏の完成式典に合わせたものとみられます。 イギリスBBC放送ビルマ語版によりますと、スーチー氏は先月末、首都ネピドーの刑務所内にある建物から政府施設に移送され、軟禁状
(04/27 23:30)
す。 長井さんが銃撃されて亡くなったのは、2007年9月27日のことでした。 撃たれる瞬間を撮影したミャンマーメディア『ビルマ民主の声』の編集長・エーチャンナイン氏は、当時の状況から見て「カメラを持って行ったのは国軍関係者である
(04/27 05:50)
ト・長井健司さんが最期まで握りしめていたとされるビデオカメラとテープが見つかり、遺族のもとに返されました。 「ビルマ民主の声」・エーチャンナイン編集長:「お兄さんを失われ、長い間、苦しまれたことでしょう」 長井健司さん(当時50)は
(04/26 23:30)
てくれたのは、ミャンマーのジャーナリスト。なぜ、16年近く見つからなかったビデオカメラが出てきたのでしょうか。 『ビルマ民主の声』エーチャンナイン編集長:「カメラの重要性を分かっていた良識ある市民が、渡してくれました。安全上
(04/26 22:48)
ません。カメラを入手し、遺族に手渡したミャンマーのジャーナリストは、26日に行った会見でこのように話しました。 『ビルマ民主の声』エーチャンナイン編集長:「クーデター以降、4人の記者が殺害され、約50人が今も収監されている。軍事
(11/15 16:00)
したデモ隊に対し、軍が無差別に発砲、取材していた長井さんも命を落としました。 撃たれたその瞬間を、地元メディア「ビルマ民主の声」のカメラマンが撮影していました。 その映像は全世界に流れ、瞬く間に非難の声が高まりました。 そう
(10/10 11:00)
じゃないか不安です」と話した。 さらにその後、私はZoomで、長井さん銃撃の映像を世界に流したミャンマーメディア「民主ビルマの声」の編集長、エーチャンナイン氏にインタビューした。 「兵士は背後から撃ち、意図的に狙った。アクシデントの
(10/10 11:00)
が世界を駆け巡ったのは、銃撃の一部始終が映像に収められていたからだ。撮影したのは、ミャンマーメディアの「民主ビルマの声(Democratic Voice of Burma)」のカメラマンだ。「デモ取材中に邦人ジャーナリスト殺害」のニュースは日本でも連日大きく報じ