、うまく整理できない。結果がぼんやりしたまま宙に浮かんでいるのだ。 開票が進みつつあった夜10時前、岸田総理が自民党本部に姿を見せた。候補者の一覧が記された大きなボードの前に立ち、当選が決まった候補者の名前にバラを
は仕事で京都に来ている。 7月10日投開票の参議院選挙で、京都選挙区は全国屈指の激戦区である。改選となる議席は、自民党と立憲民主党が持っていた2議席だが、日本維新の会の躍進で一気に混戦の度合いを増した。京都に伝統的に
頼りなさを指摘しなければならない。政権を担える強い野党をアピールしようにも、実績でも実態でも及ばず、結果は自民党のひとり勝ちだった。 その結果の延長として、政治の姿はどう変わっていくだろう。僕が心配するのは、プロの、プ
兼造さんという政治家から電話が入った。小渕恵三首相が亡くなったのだと言う。追悼の特別番組を作るから、ずっと自民党小渕派担当の記者をやってきたお前が、制作を担当せよという命令だった。 「はい、もちろんです」と自信満々に僕
や、やはり前言撤回、180度の答弁修正をして見せた水曜日。教会と「政策協定」と言えるような確認書を取り交わしていた自民党議員がいることがわかり、騒然となった木曜日。 そして、与野党が喧嘩ばかりしていても始まらないと、自民・公明・
ればと。 発端は先々週6日の金曜日。この日の番組の打ち合わせで、口をあんぐりとしてしまった。今月、埼玉県議会に自民党県議団が提出した「虐待防止条例改正案」の内容が明らかになった。小学3年生以下の子どもを自宅などに放置す
後記 トップ ブログ 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 パーティーあれこれ 2024年03月04日 自民党が最初に野党に転落した時期であり、街にハナミズキが咲いていたのを覚えているから、あれは1994年の春だったと思う。自民党の担当記者のひとり
に、説明責任と一口に言っても難しく、日ごろから、僕はこの言葉の曖昧さについてあれこれ考えてきた。そうした中で、自民党の実力者・二階俊博元幹事長(85)が行った会見には、思わず苦笑いしてしまった。政治資金パーティーで二階派の
るのである。 なるほど、持っているのかもしれない。そう思うとソワソワし始め、スイッチが入ってしまった。 9月29日の自民党総裁選挙。昼間からテレビにかじりついて総裁選投開票の様子に目を凝らす。昔ながらの議員投票の進行であ
なった梶山静六元官房長官(故人)が言っていたことを思い出した。もう25年くらい前になるか。 梶山さんは、与党である自民党と野党の社会党(当時)の役割を、「造山運動と水平運動」と表現した。高い山を造る政策(経済成長)は自民党が主に担