していた。その負の側面として、政治の世界には「カネと数」がモノを言う文化が染みわたった。派閥政治は自民党本部の組織とは別の、もうひとつの自民党の正体であり、それに歯止めをかける仕組みも不十分だった。 昭和はそうした政治