、再び平和が訪れた江戸時代、歌や踊りで客を楽しませる女性が現れました。京都・八坂神社近くの東山地区。神社・仏閣にお参りする人にお茶やお菓子を振舞う水茶屋(みずぢゃや)で、料理を運んでいた娘たちが、いつしか当時流行り始め
た高野山にある “しろあり”を哀れむ供養塔。 これを作った日本しろあり対策協会は、 土地の提供があったのと、高野山にお参りする人が多く しろありに関心を持ってほしかったからと語る。 毎年9月には協会員が集まり合同供養を開催。 【