柳亭小痴楽、落語界のために思うこと──師匠方の言葉を受け継いでいきたい|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#15(後編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

 

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三代目・柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)。2019年、落語芸術協会としては15年ぶり、単独での真打昇進を果たした。

真打として3年を過ごした小痴楽は、落語だけでなく落語界の文化も次世代に伝えたいと語る。小痴楽に聞いた、落語界への想い、自身の目標、メディアとの向き合い方。そして亡き父・痴楽師匠の記憶──。

【インタビュー前編】

柳亭小痴楽「親父のような男になるには、落語家になるしかないかもな」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#15(前編)

若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

昔の町内みたいに、みんなで弟子を育てたい

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柳亭 小痴楽

──真打になって3年、今後の落語家としての目標はどんなふうに考えていますか? 以前、落語芸術協会の理事になりたいというお話も聞いたことがありますが。

小痴楽 いやいや、それは冗談ですよ!(苦笑) 理事や会長みたいな人をまとめる職は本当に大変だろうし、僕みたいな人間にはそんな大事な立場なんて無理ですよ。僕はただただ、いい加減に生きてたい男なんですから。

ただ、今、せっかく(神田)伯山さんや(桂)宮治さんのおかげで、落語芸術協会に世間の関心が向いている。そのいい流れを味方につけるためにも、若手なりにいろいろアイデアを出していきたいなとは思ってます。

実際、生意気にもそういったアイデア出しとかは、やらせてもらえているほうなんです。というのも、我々若手の感覚をわかってくれている(春風亭)昇太師匠が会長なので、下は動きやすい。

──落語界全体のために働きたいという気持ちが強いんですね。

小痴楽 そう言うとおこがましいですが、せっかく二世として落語界にいさせてもらったからこそ、できることはあるんじゃないかなと。親父はもちろん、(桂)歌丸師匠、(桂)米助師匠、(三遊亭)小遊三師匠、(三遊亭)円楽師匠、(柳家)権太楼師匠など、本当に多くの師匠方から多くを教わってきました。僕しか聞いてないような言葉もあるから、そこは後輩や下の者には伝えていきたい。

親父は僕が16歳のときに倒れてしゃべれなくなり、20歳のころ亡くなりました。だから、人はいつ死ぬかわからない、自分だっていつ死ぬかわからない、という思いが人一倍強い。常に伝え続けようと思ってます。

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──お子さんのころから、落語家のお父さんを通じて、落語界の雰囲気の中で生きてきた小痴楽さんだからこそできることですね。

小痴楽 僕が師匠方からもらった教えや小言をみんなが聞いてるわけじゃないんですよね。その言葉を僕だけのものにするのは、もったいない。僕は師匠方からもらった言葉を、そのまま伝える義務があると思うんですよ。師匠方の言ってくれた言葉は、落語のネタと同じように受け継いでいかなくちゃいけない。

そのための師弟制度だろうし、それがないなら別に養成所で落語を教えたらいい。僕が伝えたありのままの小遊三師匠の言葉を、受け取った人たちがどう解釈するのかは、その人次第ですけどね。

宮治さんや(春風亭)昇也さん、(春風亭)柳雀さんたちに、「この間師匠にこんなこと言われたんだけど、どういう意味かなぁ?」ってよく聞くんです。そうすると、あの人たちが噛み砕いてくれて、「あぁ、なるほどね!」って腑に落ちることもよくあるんです(笑)。

──ちなみにそろそろ弟子を取ることも考えていますか?

小痴楽 いやぁ、どうでしょうね。真打になるとやっぱり「弟子は取るのか?」ってよく聞かれるんですよ。でも僕としては「人育てられんのか?」と自分に問いかけてみると、そんなの当たり前にまだ無理だろうと思っちゃいますね。

でもどっかで、「俺ひとりで育てないとダメ?」っていう感覚もある。実際、僕もたくさんの師匠方に教えてもらってきたわけで、僕も直接の弟子以外にも伝えることはできますから。

──弟子はみんなで育てていく。

小痴楽 だってそうでしょう。実際、師匠方は、「こうしろ!」って頭ごなしに言うんじゃなくて、「こういうやり方もあるよ」って別の道を示してくれる存在です。ということは、「こういうやり方」を教えてくれる人は、多ければ多いほどいい。たくさんの選択肢を知った上で、最後には結局「自分で選びなさい」という教え方を僕はされてきた。だから自分もそういうふうにしかできないと思うんです。

「うちの弟子じゃないから」って放っておいたり、「一門違うし」ってことで面倒見ないなら、みんなの芸小っちゃくなっちゃうでしょ。せっかく協会を作って、いろんな一門がひとつになってるんだから、みんなで育てればいいよなと。

人情が生きてたころの町内と一緒ですよね。僕が小学生のときもまだ、近所のよく知らないおじちゃんに叱られたりしてましたから。あれが一切失われるとなると寂しい。

真打昇進までの目標、真打としての目標

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──小痴楽さんは落語界全体のことを考えてるなと思ったのですが、ご自身がどんな落語家になりたいか、ビジョンはありますか?

小痴楽 難しいっすねぇ。毎日寄席に出てたいなっていうのはずっと思ってますよ。「小痴楽観たいな」と思ったら、いつでも観てもらえるような状態でいたい。おじいちゃんになっても、毎日のように高座に上がってたい。

今でも休みの届けは出さず、基本的に全部出られるようにしてます。若手真打が1年で寄席に上がる日は60席、多くても150席ぐらいだと思うんだけど、 僕は7月の時点で150席くらい出たはずです。これがずっと続けばいいですね。

──すごい数ですね……。今、目標を伺ったのは、前座、二ツ目のうちは昇進という目標があることが門外漢からもわかりやすいのですが、真打になったら、落語家それぞれの目標ができるんだろうなと想像していたんです。小痴楽さんの場合はなんだろうな、と思って伺いました。

小痴楽 なるほどね。たしかに真打になってからの次の目標って考えたことなかったなぁ。前座のときは習ったことを120%出せるようにしながら、気働きを心がけていて……。

二ツ目のときは、自分のスタイルを確立して真打になるために、とりあえず9年間を3つに区切って、最初の3年間は何がなんでもウケることを狙う。次の3年間はウケたことを一回忘れて、地味だけど自分の好きな古典落語のやり方を徹底的にやる。ちゃんとやってるつもりでも、ウケる喜びも知ってるから、たぶん完璧にできずに笑いを取りにいくだろう。

そうしてラストの3年で、この「何がなんでもウケを取りたい自分」と「古典落語が好きな自分」がミックスされた自分なりの芸風を形にして、お客さんにも認識してもらおうと考えてた。

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──すごく計画的に修行時代を過ごしていたんですね。

小痴楽 まぁそれがうまくいったのかはわからないまま真打に上がりましたけど……。でも言われてみれば、真打になってからのビジョンって「ずっと寄席に出る」とか「食いっぱぐれない」とかばっかりで、昔みたいに明確な目標とかってないっすね。要するに「継続する」しか言ってないわけだから(笑)。

人のことや落語界のことばかり考えて、視野を広くしすぎたせいで、自分が見えなくなっていたのかもしれない。ちょっと考えようと思いました。僕みたいな若手真打ごときが「今、落語界に世間の目が向いてるから」なんて言ってもしょうがない。「今、僕に世間の目が向いてるから」ってならないとダメなのかもしんないね。

でも今、伯山さんのおかげで、落語界だけじゃなく演芸全体にいい風が吹いてるのは事実。伯山さんが身を切ってやってくれてるから、その間に何か落語家が動いていかないとダメだなって感じてるし……ここはちょっと整理しないといけないなぁ。

『すべらない話』なら勝てる?

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──以前は「テレビもガンガン出ていきたい」というようなことをおっしゃっていましたが、心境は変わりましたか?

小痴楽 もちろん今も出させてもらえるのはありがたいんですけど、今のこの好き勝手言ってる自分を抑えてまで、売り出していくのはどうなのかな……。いや、怖いんですよ、自分が変わっちゃうんじゃないかって。テレビでコメンテーターなんかやったりしたら、自分の考えがなくなりそうじゃないですか。

20代のころは、早く売れたいから、宣伝代わりにテレビ出たいなと思ってたし、もし今落語でメシ食えてなかったら、ワイドショーで世論を読んでコメントやろうかなとも思うでしょうけどね。

でも、時代劇に出させてもらったときは、京都に泊まり込みで撮影に臨んで新鮮で楽しかったし、これはテレビじゃないけど、2.5次元の舞台で一緒になった役者さんたちとはいまだに飲みに行く。そういう別の仕事をするのは楽しいんですよ。

ただ、僕の「失敗してもいいや、落語があるし」って態度は、役者さんたちに「本業の人に失礼だからダメだよ」って叱ってもらったことがあります。たしかに舞台に生きる人の前で、そんな了見が入っちゃダメなんですよ。ダメだな……と思いつつも、これだけは抜けないし、せっかくこういう商売してるんだから、いろんなことをしたい気持ちは強いです。

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──メディアの仕事でいうと、先日NHKラジオ第1で放送された冠特番『小痴楽のシブラジ』がおもしろかったので、ぜひレギュラーになってほしいです。

小痴楽 あれでいいんだったら、ずっと話してたいです(笑)。

──進行はライター・編集者の九龍ジョーさんとゲストの(立川)吉笑さんが担当し、小痴楽さんが好き勝手に話す感じが楽しかったです。

小痴楽 あの番組は、師匠方とか先輩、仲間の落語家のことを話してくださいっていう企画がすごくよかった。僕は、落語家のエピソードトークを作るために、毎晩のように飲みに行ってるんで、人の話をするのはかなり得意なんです。

 

それで思い出したけど、私が一番出たい番組は『(人志松本の)すべらない話』(フジテレビ)なんです。昔はお笑い芸人さんのステージってイメージでしたけど、伯山さんが出たときに、これは噺家が一番得意な舞台じゃねぇかと思ったんです。

だって、一緒に話を組み立てる相方がいる漫才師さんよりも、ひとりで話を見せる、聞かせる落語家のほうが、ああいった分野は慣れてそうじゃないですか。あの番組なら、噺家でもじゅうぶん渡り合っていけるんじゃないかなと思ってます。

でも、伯山さんは『すべらない話』だけじゃなくて、『ENGEIグランドスラム』(フジテレビ)でも、場の雰囲気をガラッと変えて、見事に闘っていましたよね。あれはすごかった。僕は3分とか5分ネタで勝負してくださいっていうのは、やっぱりできないんでね。

忘れられない親父の言葉「だから売れなきゃいけねぇんだよな」

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──ちなみにお父さんである痴楽師匠の人気ぶりは覚えていますか?

小痴楽 いやぁ、全然わかんない。でも、売れてはなかったはずです。昔の雑誌とか見ると、今の僕くらいのときは注目してもらってたみたいですけど、でも隣にいた米助師匠、小遊三師匠って同期と比べれば全然でしょう。

もちろん子供ふたりを私立の学校に入れてまともな生活できてたから、金はあったんでしょう。でも、芸能人の息子っていう感覚はまったくなかったですね。

そもそも親父は自らテレビを切った人間なんですよね。

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小痴楽 親父自身、その選択に後悔はもちろんないでしょうけど、落語家として正解はどっちだったんだろうって疑問はずっと抱えてたんじゃないかな。

中学生くらいのときに、親父の知り合いのパーティーに連れてかれたんですけど、そこで親父がぼそっと言った言葉が忘れられないんですよ。米助師匠、小遊三師匠も出席してて、僕らも家族で行ったパーティーでした。そのとき、知り合いたちが、うちの親父より先に、米助師匠、小遊三師匠のところを回るんです。

その間ぽつんと座ってた親父が、僕だけに聞こえるように、ぼそっと言ったんですよ。「まぁな……だから売れなきゃいけねぇんだよな」って。あの言葉は忘れられない。母親も兄貴も「パパがそんなこと言ったの?」って驚くくらい、珍しい弱音でした。

なんで親父は僕にぼやいたのか。そのうち俺が「落語家になりたい」って言い出すと察して、言ったとは思うんですけどね。あの言葉は長年の問いとして、ずっとくすぶってます。

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文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽

柳亭 小痴楽(りゅうてい・こちらく)
1988年12月13日、東京都渋谷区出身。落語家。五代目・柳亭痴楽のもとに生まれ、2005年、16歳で桂ち太郎として、二代目・桂平治(のちの十一代目・桂文治)の門下に入る。2009年に二ツ目昇進を期に三代目・小痴楽を襲名。柳亭楽輔の弟子となる。2013年、落語芸術協会所属の二ツ目落語家・講談師によるユニット「成金」を結成。2019年9月下席より真打昇進。『柳亭小痴楽 全国ツアー カチコミ'22』を開催中。

【後編アザーカット】

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