吉住「こんなんじゃダメだ」挫折を味わった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#5(前編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

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昨年、『女芸人No.1決定戦 THE W』で新女王に輝いた吉住

異様なほど役に入るひとり芝居と、その独創的なセンスのコントが魅力のピン芸人だが、芸人として初めて舞台に立ったときはコンビだった。最初のコンビを解散したあとも、次々とコンビを組んでは解消していった吉住。今にして思えば、その理由は初舞台の時点で明らかになっていたわけだが……。

初舞台の思い出に留まらず、話はお笑いに惹かれた理由やコントの作り方にまで及んだ。

「若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>」
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

東京03のコントで、物心がつく

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吉住

──お笑いは子供のころから好きでしたか?

吉住 私はバラエティは観てました。ネタ番組はあまり。兄のほうが好きでよく観てましたね。兄は漫才好きだったんですが、私は漫才のテンポについていけなくて……。そのころはネタというものにはあまり興味がなかったかもしれません。

コントが好きになったのは高2のころに『エンタの神様』(日本テレビ)で東京03さんのコントを観てからです。「陰口を言うネタ」だったんですけど、「こんなおもしろいものがあるんだ!」って衝撃でした。テンポが速すぎるということもないし、画で見せてくれるというのもあって、私にはコントというものが新鮮に映りました。それでやってみたいかもって。

──いきなり「自分もコントやりたい!」となるのがおもしろいですね。まずはお笑いファンになりそうですけど。

吉住 流されるまま生きてきた自分が、初めて興味を持って「やりたいかも」と思ったのがコントだったんです。強烈に何かを好きになる経験がそれまでなかったんです。部活でキャプテンになったのも、辞める理由がなくてダラダラ続けた結果であって、積極的だったからでもないですし。

──ラジオ番組『吉住の聞かん坊な煩悩ガール』(ラジオアプリGERA)
での「学生時代の記憶がほとんどない」という話に驚いたんですが、今の話でなんとなく腑に落ちました。記憶がないのは、東京03に出会って初めて、吉住さんの自我が芽生えたからなのかな、と(笑)。

吉住 そうかもしれない……(笑)。あそこで初めて物心がついて、自分の好きなものがわかるようになりましたからね。

知らないことはネタにできない

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吉住 でも、そういえば『名探偵コナン』と、堂本剛さんが出てたドラマ『金田一少年』(ともに日本テレビ)は昔から大好きでした。推理小説も好きで、特に初期のころはネタの中で人がよく亡くなってて。ミステリーを好んでたので、作中に人が亡くなることを不思議に思ってなくて。養成所の講師の方に「人は殺さないほうがいい」と言われて、気をつけるようになりました。

養成所では「自分が知らないことは書けない」と、よく言われたんですけど、その意味が今ならよくわかります。『THE W』でやった『女審判』のネタも、結局(ソフトバンク)ホークスが好きでファンクラブに入ってたからできたんですよ。そういう意味では、経験とか知識を増やせばネタの幅も広がるはずなので、去年の自粛期間中はたくさん映画を観ました。1日6本、合計300本くらい観たんですけど、ほとんど何も覚えてないです。

──そんなに観たのにもったいないですね……(苦笑)。でも、野球は実際にお好きなんですね。

吉住 はい。北九州出身なんですけど、小学校のころ(ソフトバンク)ホークスのファンクラブに入ってました。それも兄の影響ですけどね。球場にもよく観に行ってて、なんとなく審判の人って気になってたんですよね。

気になる単語を書き留めておくノートがあってけっこう溜まってるんですけど、読み返すと全部に「審判」って書いてあって。あるときふと「審判の人って大きい動きで元気よく『アウトー!』とかやってるけど、家に帰ったら反抗期の息子がいたりするのかなぁ」とか考え始めて。「芸人は子供が芸人になりたがったら『反対する』ってあるあるだけど、審判の人も自分の子供が審判になるのは嫌なのかな」とか考えてるうちにできました。

──気になる単語ノートは、頻繁に読み返すんですか。

吉住 新ネタライブとか単独ライブが近くなると読み返します。何も種がないなぁってときに振り返りますね。

──そこからネタが生まれていく。

吉住 単独まで1週間を切ると、ネタ脳(ネタを書ける脳)になる瞬間があるんです。それまでは頭の中でふわぁっとしてた設定とかアイデアが突然「あれ? こことここつなぎ合わせたらいけるぞっ!」ってつながっていく。その脳になるためには、いろんな文字を頭に入れておかなくちゃいけないので、読み返してます。

内輪ウケの怖さを痛感した初舞台

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──吉住さんは芸人のスタートは、コンビとしてだったんですよね。

吉住 そうですね。養成所(スクールJCA)で最初は、現・合わせみその河田(祥子)と組みました。2013年4月に入所して、人前での初舞台は9月の養成所ライブでした。

ライブ前の養成所生の前でやるネタ見せも反応は悪くなかったからイケると思ったんですけど……。初舞台は全然ウケなくて、お客さんの投票で決まる順位でも下から2番目でした。コントをやったんですけど、私の演技が濃いめで、河田は逆に薄くて、その温度差が原因じゃないかと同期に言われましたね。

──初舞台のコントは吉住さんが書いたんですか?

吉住 はい。なんだっけなぁ……。メイドさんの服着てたことしか覚えてないです。ネタの内容は覚えてなくて、すごくスベったという感触だけが残ってます……。ネタ見せでの感触もよかったし、自信満々で臨んだら、鼻をへし折られたって感じでした。

──コント中に「ウケてないなぁ」って気づくものですか。

吉住 はい、あんまり反応ないなと思いました。終わってからも「私たちダメなんだなぁ」ってだいぶ落ち込みましたね……。結局、ネタ見せは内輪ウケだったんですよね。そこで初めて「自分が何をおもしろいと思っているのか」を、見る人にもちゃんと伝える努力をしないとなと思いました。

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──内輪ウケするってことは、同期には人気があったんですね。

吉住 今思えば、ネタの内容じゃなくて、普段大人しい女が大きい声出してるってのがギャップがあって、おもしろかったのかも(笑)。同期は普段の私たちのキャラを知ってるからおもしろがってくれますが、もちろんお客さんは知らないわけで。だから、初見のお客さんは笑わせられない。あれは完全に内輪ウケでしたね。

──河田さんとコンビ解消されて、すぐピンに?

吉住 いえ、しばらくは何度も相方を変えてコンビを続けました。養成所のラストライブでは別の男の子と組んだんですけど、事務所に上がれませんでした。それで、もう1年養成所に残ってダメだったら諦めようという覚悟で、JCAで2年目を迎えました。

──ザ・マミィさんにお話を聞いたときも思ったのですが、人力舎は所属のハードルが高いんですね。

吉住 そうなんですかねぇ。私はもともと女性同士でコンビ組みたかったので、2年目のスタートは、いかちゃんと組みました。でも、囚人のコントを一緒にしたら、講師の先生に「いかちゃんにそんなことさせるな!」って言われて、すぐ解散しました(笑)。

吉住 それでのちに一緒にデビューする、かわえなつきとムテンカナンバーを組みました。その子とも、コントやったり漫才やったり試行錯誤しましたね。

私は最後まで相方を活かせなかった

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──人力舎所属後の、初舞台はいつですか?

吉住 5月の『バカ爆走!』っていう事務所ライブです。養成所時代に一番自信あったネタをやったんですけど、キンキンにスベったわけじゃないのに、「こんなんじゃダメだ……」と悔しかったのを覚えてます。

そのときに出られてた先輩は、小屋が揺れるくらいウケてたんですよ。巨匠さんとかトンツカタンさん、真空ジェシカさん、リンゴスターさん、フルパワーズさんとかですね。あれくらい笑わせないと「ウケた」ことにはならない。アンケートを見ても、結局一番笑わせた人しか記憶に残らないってわかるんです。挫折でしたね。

──ムテンカナンバーはどれくらい続きましたか。

吉住 1年半くらいです。最後まで相方のキャラに合ったネタを書けなくて、それで解散しました。いかちゃんに囚人のコントさせちゃうような人間ですから(笑)。漫才もコントもやりましたが、相方のキャラクターを活かしたネタが書けないっていう悩みは解消できないまま、私はピンになったんです。

──吉住さんが漫才作ってたっていうのが意外なんですが、どんなネタを書いていましたか?

吉住 『ストーカー』と『牛になりきる漫才』はよく覚えてます。

『ストーカー』は、私が「ストーカーされるのって怖いよね」って言うと相方が「大丈夫だよ。ズミさんはたぶんストーカーとかされないよ」ってなだめてくれて。でも、そこで私が「考えてみて。かわいい子をストーカーするヤツより、私みたいな女をストーカーするヤツのほうがヤバそうじゃない?」というネタでした。

『牛になりきる』やつは、「『食べちゃいたいくらいかわいい』って言葉あるけど、あれって、牛のことだよね……」っていうやつなんですけど。はしょりすぎて意味わからないと思いますが、とにかく、牛になってみるって漫才でした(笑)。

──今振り返って、なぜ吉住さんは短期間に何度もコンビを組んでは解散してきたと思いますか。

吉住 まぁ、養成所はお試しという感じが強かったので、いろいろ試したくてという感じですかね。ムテンカナンバーに関しては、賞レースで結果が出せないことが大きかったです。今振り返ると、「1〜2年目で結果出なくても全然焦る必要なかったな」って思うんですけどね。

全部自分の責任だから、ピンは性に合ってる

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──結局吉住さんはコンビではなく、ピン芸人として活躍することになります。

吉住 ムテンカナンバーの解散が決まってからも、いろんな人に声はかけたんです。でも結局相手に合ったコントが書けなくてうまくいかない。

そんなときにトンツカタンのお抹茶さんが「相方は焦って決めるもんじゃないよ」って言ってくださって、我に返りましたね。じゃあ今は、ネタを書く技術を上げようと。でも同時に、舞台に立たない期間が長くなると、人前に立つとき恐怖心が出るかもしれないと思って、ピンで出るようになりました。

──自分にはピンが合っていると思いますか?

吉住 自分のやりたいことを気を遣わずにやれるので、性に合ってますね。あと、人のせいにできないのも自分の性格に合ってるかな、と。友達と旅行に行くときは友達に全部頼っちゃうんですけど、ひとり旅だったら自分でやらなくちゃいけない。もし相方がいたら甘えちゃうので、よかったかな。ちょっと大人になった感じもあるし。31歳の女が「大人になった」って何言ってるんだって感じですけど……。

──東京03に出会って物心ついたということなので、最近大人になったというのも、あり得る話です。

吉住 たしかにそうですね。ふふふふ(笑)。

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吉住
(よしずみ)1989年11月12日生まれ、福岡県出身。2015年デビュー。2016年ムテンカナンバー解散後、ピン芸人として活動開始。『女芸人No.1決定戦 THE W 2020』優勝、『R-1グランプリ2021』ファイナリスト。『吉住の聞かん坊な煩悩ガール』(ラジオアプリGERA)は毎週土曜日更新。第4回単独公演『生意気なトルコ土産』は9月24日、25日に開催予定。
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文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽

【前編アザーカット】

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【インタビュー後編】

吉住「憧れは満員なのに出待ちのない芸人」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#5(後編)

 

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>