オズワルド『M-1』決勝戦を終えて。「芸人になったときから、人生どうにでもなれと思ってる」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#10(前編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

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昨年の『M−1グランプリ2021』、1stステージで最高得点を叩き出すも、最終決戦で錦鯉に惜しくも破れたオズワルド

2019年のM-1で初めてファイナリストになり、M-1での順位が上がるのに比例して、活躍の場を広げているふたり。

このインタビューでは「初舞台」をキーワードに、オズワルドの歩みを振り返ってもらった。「オズワルドになってそこまで苦労してない」と語る、彼らの快進撃──。

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

目標が「決勝」から「優勝」に変わったM−1決勝初進出

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オズワルド。左から:畠中悠、伊藤俊介

──初舞台について聞く企画なんですが、やはり『M-1グランプリ』の話も聞きたいなと。決勝初進出は2019年ですね。

畠中 当時は決勝に行くことが目標だったので、浮かれてましたね。入り時間もめちゃくちゃ早いし、楽屋弁当がいっぱいあるし、「これが決勝の舞台か」って浮足立ってて。でも、かまいたちさんだけは、ほぼ誰とも話さずに何回もネタ合わせしてて、これが決勝常連の緊張感かと思いましたね。

伊藤 俺たちは決勝行ったら自然と売れるんだと思ってて。オズワルドって特殊なキャラとかエピソードがあるわけじゃない。俺は、妹が天才女優・伊藤沙莉というのがありますけど、それだけで仕事はもらえないじゃないですか。だからやっぱり漫才で目立つしかない。そんな俺たちが世に出るためには、M-1ファイナリストになるしかないなと思ってた。でも実際にM-1の決勝に進んで、目の前で優勝の瞬間を見ると、話が変わってくる。

畠中 目標が「決勝に行く」から「優勝する」に変わった。

──ミルクボーイが優勝した年ですね。

伊藤 そうですね。出順がちょうど俺たちの直前で(当時の)史上最高得点を出して。ちょうど昨日もルミネ(theよしもと)の出番が久しぶりにミルクさんの直後で、ちょっとあのときのこと思い出しましたよ。

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──とんでもない漫才を見せつけられた直後の出番は大変ですよね。荒れ果てた場に出ていく。

伊藤 そうっすね。でも、ランジャ(タイ)さんとか、トム・ブラウンさんとか、そういう系の人たちに場が荒らされるのと、ミルクさんみたいなタイプの超絶正統派が焼け野原にしたあとでは、わけが違う。正統派が大ハネしたあとのほうが、俺たちはムズいっすね。

──お客さんが「いいもの観たなぁ」と余韻に浸っている場に出ていくほうが大変。

畠中 これは審査員の方も言ってましたけど、やっぱミルクボーイさんがすごすぎて、俺たちのネタが最初は入ってこなかったみたいで。めっちゃいい映画観たあとって、2本目は観たくないじゃないですか。あれと同じ。

伊藤 2019年以来ミルクさんの漫才をしっかり観るのは少し抵抗あったんですけど、昨日改めてミルクさん観て、すっごいなと思いました。

──同じ漫才師として、オズワルドのおふたりが、ミルクボーイに感じるすごみはなんでしょうか。

伊藤 漫才ってシンプルなことで笑わせるほうが難しい。自分たちはどっちかっていうと、バラシというか「そういうことか!」っていう驚きで大きい笑いを狙うタイプですけど、ミルクさんは、超真正面からおもしろいことを言い合って、その繰り返しだけでバカみたいにウケる。あれが漫才師の理想なんですよ。ブラマヨ(ブラックマヨネーズ)さんとかもそうですよね。そのふたりのしゃべりがおもしろいという。

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元相方との約束「お互いのネタは観ない」

──ここからは、おふたりの芸人の原点について聞きたいです。伊藤さんは大学時代、教師になる予定だったんですよね。そこからどうして芸人を志したんですか。

伊藤 ずっと心の内では芸人への憧れはあって、それが21歳のとき再燃するんです。地元のヒップホッパーの先輩のライブの前座で漫才をして死ぬほどスベったんですけど、むしろお笑いやりたい気持ちがあふれ出しちゃったんですよね。

その先輩には今もお世話になってて、YouTubeの撮影場所も貸してくれて。
俺が飯食えないときもごちそうしてくれたり、服もいっぱいくれたりしたんですけど、そういうのもたぶん、「俺のせいで伊藤が芸人になっちゃった」っていう負い目があるからだと思うんですよね。

──初舞台で芸人になったんですね。その前座で漫才をやった人とNSCに入ったんですか。

伊藤 そうです。小学校と中学校、あと大学が同じだったヤツで。

──なぜNSCを選んだんですか。

伊藤 特に理由はないですね。お笑いといえば吉本っていうのと、一番学費が安かったから。でもNSCはあんまりまじめに通ってなかったんですよ。根拠もなく「俺たち絶対売れるだろ」と思ってて。とてもよくないトガり方をしてたかもしれないですね。

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──なぜそのコンビは解散したんですか?

伊藤 『THE MANZAI』に3回出て全部1回戦落ちだったのと、NSCから4年くらい続けて、2カ所しかウケなかったからです。ツカミでなんかウケたのと、パワープレイで無理やり笑わせた感じの2回だけ。

俺たちの年から東京校で教えてたNSCの本多(正識)先生が「3年やって、ひとつも結果が出なかったら解散したほうがいい」って言ってたのを思い出して、まさにそうだなと。相方はおもしろいヤツだったので。

でも、俺がお笑いに誘ったのに、俺から解散を告げたので……ちょっとエグいことしたなとは思いましたよ。そいつには結婚を考えてる彼女もいたんですけど、芸人やるってことで別れたりもしてて、完全に人生変えちゃったので。あの解散はキツかったから、次のコンビは絶対解散したくないなと思いましたね。次のコンビでは、絶対売れなきゃな、と。

──当時の相方は、解散後どうしてるんですか?

伊藤 数年は続けてましたけど、もう辞めましたね。解散するとき、「別の人とコンビ組んでも、お互いのネタは観ないようにしよう」って言ってたんですよ、恥ずかしいから。でもさすがにM-1は観てると思うんで、俺らの漫才をどう思ったのか気になりますね。

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畠中、芸人になって気づいた同級生への違和感

──畠中さんも同級生とコンビを組んでたそうですね。

畠中 24歳のときに高校の同級生とNSCに入りました。

──少し遅いですね。

畠中 でも同期でも(鈴木)もぐらとか、コットンのきょんが同い年なんで、そんなに意識してないです。

──お笑いをやろうと思ったのは社会人になってから?

畠中 そうですね。最初、チョコレート工場で働いてたんですけど、夜勤とかつらすぎて。転職して金物屋さんで働いたんですけど、今度はつらくないけど、おもしろくもない。このまま一生終わるくらいなら、もうどうなってもいいから好きなお笑いをやろうと思ったのが22〜3歳です。

──お笑いはずっと好きだったんですね。

畠中 中学校のころ、友達が貸してくれた『オンバト(爆笑オンエアバトル)』(NHK)のビデオで衝撃を受けて好きになりましたね。それまで漫才とかネタっていうものを観たことがなかったんですよ。あのとき初めて「世の中にこんなおもしろいものがあるのか……」って気づきました。

陣内(智則)さんとかおぎやはぎさん、スピードワゴンさんの給食のネタとか、今でも強烈に覚えてますね。『オンバト』は、3倍録画でテープに録って、繰り返し観てました。あと、『(ダウンタウンの)ごっつ(ええ感じ)』(フジテレビ)を観て、「ダウンタウンさんってやっぱりすごいんだ」って気づいたり。

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──どういった経緯でNSCに入ったんですか。

畠中 最初は幼稚園からの幼なじみとやる予定だったんです。そいつがまだ大学に通ってたので「卒業したら一緒に行こう」と。でも、そいつのお父さんが亡くなって、お母さんとふたり暮らしになり、「芸人になるなんてギャンブルできない」と言われて、それもそうだなと。

でもお笑いやりたい気持ちは消えなくて、そのことを高校の同級生に話したら「俺と一緒にやろう」って言ってくれて。その同級生ともいろいろあってNSC在学中に解散したんですけど……。

伊藤 20万くらい貸したまま飛ばれてるんだよな。

畠中 そうですねぇ。一緒に上京して、同じ部屋に住んでたんですよ。NSCのある神保町に通いやすい巣鴨に住んで。でも、一緒に暮らしてるうちに「こんなに嫌なヤツだったのか」と気づいちゃって。好きなお笑いから性格まで、まったく合わない。

これは書かなくてもいいんですけど……部屋割りを決める時点で「あれ?」と思うことがあって。巣鴨のアパートが、2Kで8.5万円。部屋は4.5畳と6畳だったんです。で、6畳のほうにエアコンがついてる。そこで俺は譲歩して「俺が4.5畳の部屋で4万2千円で払うよ」って提案したんです。これ、条件としては破格じゃないですか。相手は千円多めに払うだけで広くて快適な部屋に住めるわけだから。なのに、「お前ケチだなぁ〜。お前は千円でも得したいんだ」って言われて。

伊藤 何が? あいつやっぱりヤバいな。

畠中 そういう違和感がありつつ、一緒に住み始めたんですけど、やっぱり嫌な部分がどんどん見えてくる。解散したあとも同居は続けてたんですけど、元相方はギャンブル好きだったんで、お金も貸してて。3年くらい経って伊藤と組んだタイミングで同居やめたんですけど、「月1万円ずつでもいいから返すわ」という言葉を残し、音信不通です。

伊藤 向こうから「月1万ずつでもいいから」って言うのも意味がわからない。

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畠中 まぁそいつも芸人辞めて、社会人なりたてでお金なかったんでね。もうあれから何年も連絡取ってないですけど。あいつはM-1で俺たちの漫才観て、どう思ったかな……。

伊藤 俺のエモい話と一緒にするな。

畠中 伊藤とやり始めたころって、ライブがちょっと増えてきて、バイトの時間も作れなかったので、月10万をどうやってやりくりするかみたいな生活だったんです。「あの20万があれば……」って何度も思いましたね。でも、お金にもある程度余裕が出てきたので、今となっては、まぁいいかって感じですね。

伊藤 俺はまだめっちゃムカつくけどな。聞いてるだけで胸クソ悪くなりますよね?

──そうですね、畠中さんの懐が深い。ちなみに畠中さんの初舞台は、その元相方と?

畠中 NSC生が出る『RUSH』っていうライブがあって……それに出た気がしますけど、あんまりウケなかった気がしますね。人前で何かやる経験が初めてだったので、めちゃくちゃ緊張しました。でもネタは記憶にないですねぇ……全然手応えがなかったことだけ覚えてます。

芸人になったときから、人生どうにでもなれと思ってる

──畠中さんは元相方と同居しながらピン芸人として3年間活動してました。伊藤さんは当時の畠中さんを見て「地獄みたいな状況でも楽しそう」だと思ったとか。

伊藤 そうっすね。こいつはどうして笑ってられるんだろうと思ってました。

畠中 俺は芸人になったときから、人生どうにでもなれと思って生きてるので。そもそも好きなことやれてるし、バイトも嫌いじゃないし、「この先どうなるんだろう……」って不安もまったくない。

伊藤 畠中と組んだ一番の決め手はそこですよ。絶対何があっても芸人辞めないだろうなというタフさ。良くも悪くも鈍い人間だから。

──伊藤さんから誘われて、畠中さんはすぐに快諾したんですか。

伊藤 即答でしたよ。ようやく就職決まったみたいな顔して。俺も正直絶対断られないだろうなと思ってましたから。

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畠中 初めて人から「コンビ組もう」って言ってもらえたんで素直にうれしかったですね。もともと漫才が好きでお笑い芸人になったので、それならちょっとやってみようと。伊藤と組んでどうなるかまったくわかんなかったですけど、そもそもどうなるかわからない人生を送ってますし。それが2014年末ですね。

──伊藤さんは、畠中さんのおもしろさに惹かれたというよりは、人間としての胆力を見込んだんですか。

伊藤 いや、もちろんおもしろいのは前提ですよ。畠中と絡んだことのないヤツは、畠中の何がおもろいのか、まったくわかってなかった。近くにいないとわからないんですよ。だから畠中は掘り出し物でしたね。

あと、なんかね……「こいつほんとにお笑い好きなのかな?」っていう同期のほうが圧倒的に多かったんですよ。メシ食えてないし、ライブシーンでもパッとしないのに、合コンで「俺、芸人やってんだ」とかよく言えんな……と。そいつらに比べると、畠中はまともでしたね。

結成当初のオズワルドはボケとツッコミが逆だった

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──オズワルドとしての初舞台って覚えてますか?

畠中 これは覚えてます。吉本のランキングシステムの最下層ライブが初めてだったんですけど、15組中のトップになって。これは何かが変わるかもしれないと思いましたね。

伊藤 トップ狙って実際勝てたんで、めっちゃうれしかったな。

畠中 最初めっちゃわかりやすいネタしたよな。俺がヒーローになりたいヤツで、伊藤が助けに来てほしい子供みたいな。子供役の伊藤がボケて、俺が困るみたいな、超ベタな展開のネタ。

伊藤 ボケツッコミも今と逆で、畠中はツッコミ的な……。

畠中 ツッコミというか、説明。そのあと、2015年にオズワルドとして初めてM-1に出たときは、3回戦まで行ったんですよ。同期にも知られてないコンビがそこまで行くのは革命的だったんじゃないですかね。

伊藤 いや、これはほんとにそう。同期で行ったのが、俺たち含めて3組だけだった。

畠中 ラフレクラン(現・コットン)と、すごい論(2020年解散)。俺たちはそこで初めて観てもらえるようになった気がしますね。

──ボケツッコミを入れ替えたきっかけは、なんだったんですか?

伊藤 2016年のM-1で1回戦落ちしたときですね。負けたタイミングで、ダンビラムーチョの原田(フニャオ)さんに「ツッコミとボケが逆だろ」って言われて。まさに、本多先生がナイナイ(ナインティナイン)さんに言ったみたいなことですよね。たしかに、俺は普段すごいツッコんでたんで当然ですよね。

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──ネタ作りも変化しましたか?

伊藤 今は畠中がネタのテーマを持ってくるけど、2017年ごろまでは俺もネタに手を出してましたね。俺のツッコミがハッキリしていくのに比例して、畠中に任せるようになって。畠中が自分で思ってることをネタにしてボケたほうが、本当っぽいだろうなと。

──畠中さんが持ってきたネタを伊藤さんがおもしろいかどうかで判断するところから……。

伊藤 いや、おもしろくないとは思わないですよ(苦笑)。よくなりそうかどうかですよね。これでいこうって決まったら、そのテーマからふたりで揉んでいきます。

──こうやって聞いても、2014年末の結成から、オズワルドの歩みってすごく順調ですよね。

伊藤 んなことない……と最近まで思ってたんですけど、冷静に考えたらM-1決勝も早いは早いですよね。結成5年で芸歴8年目くらいか。

畠中 オズワルドではそこまでの苦労ってしてないかもしれないですね。

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オズワルド
2014年結成。伊藤俊介(いとう・しゅんすけ、1989年8月8日、千葉県出身)と畠中悠(はたなか・ゆう、1987年12月7日、北海道出身)のコンビ。2020年、『マイナビ Laughter Night』第6回チャンピオンLIVE優勝。2021年、『第42回ABCお笑いグランプリ』優勝。2019年、M−1決勝に進出し、7位に。以降、2020年は5位、2021年はファーストラウンドで最高得点を獲得し、ファイナルラウンドに進むが惜しくも敗退。YouTubeチャンネル『オズワルドのおずWORLD』。TBSラジオ『ほら!ここがオズワルドさんち!』は毎週金曜日24:30-25:00に放送中。

文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽

【前編アザーカット】

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【インタビュー後編】

オズワルド「この問題を解くまで次に行けない。それがM-1」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#10(後編)

 

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