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2024年6月15日水無月の参

静岡・沼津市
~漁師になったパン屋さん~

舞台は静岡県沼津市。パン屋を営みながら、故郷にかつての活気を取り戻したいと漁師になった鈴木華子さん(49歳)が主人公です。
沼津市で海運業を営む家庭に生まれた華子さんは、両親が仕事で留守にすることが多かったため、小学生の頃から祖父母と暮らしていました。高校卒業後は俳優を目指して上京。映画学校で学びながら芝居に打ち込みますが夢かなわず24歳で帰郷。その後、地元でアルバイトを転々とします。そんな時期にパン職人の仕事をまじかに見て、自分も手に職をつけたいと再び上京。専門学校で1年間パン作りを学び、沼津市内のパン屋さんで職人として働き始めました。そんな中、大好きだった祖父・競一さんが、病気のため帰らぬ人に。漁師を生業とし、厳しくも優しかった競一さん。口癖のように「華子は仕事をちゃんとやる人間なんだから、仕事を頑張れ」と励ましてくれていました。この言葉を胸に華子さんは、競一さんが亡くなった翌年の2014年に『はなぱん』をオープンしたのです。
『はなぱん』を開いて丸10年。コロナ禍で店を閉めようと考えたこともありましたが、その危機を乗り越えるきっかけになったのが、地元漁師の釣ったタチウオを使った「魚サンド」です。その後「魚サンド」は店の看板商品になりました。そして魚を使い始めると自分が暮らす漁師町・我入道の漁師が減り、活気が無くなっていることに改めて気が付いたのです。「今のままでは我入道の漁師町が消えてしまう」と危機感を覚え、「それなら私が漁師になる!」と決意。釣りの経験すらなかった華子さんは、知人の漁師に志願して一本釣り漁の修業を始めます。現在はパン屋さんが休みの日を中心に週に1度は師匠と一緒に漁に出ています。
パン屋と漁師の二足の草鞋は朝も早く大変な日々ですが、華子さんは「楽しくやる!」をモットーに頑張っています。そんな華子さんの日常と支えてくれる家族の姿、そして常連客や近所の人たちとの心温まる触れ合いを紹介します。

『はなぱん』では1日に30種類、多い日は100種類ものパンを焼いています。メインは3種類の小麦粉をブレンドして作るフランスパンなどのハード系。どれも美味しいと評判ですが、一番人気は華子さんが釣り上げた魚をフライにして挟んだ「バケットサンド」。一緒にパンを作っているのが秋山美津穂さん。そして、レジなどを手伝ってくれているのが、田代純子さんと鈴木千春さんです。3人は華子さんを「自由でかっこいい」と尊敬しています。

華子さんが『はなぱん』を開いたのは、家主の鈴木ちさ子さんが以前スーパーマーケットを営んでいた場所です。15年前に閉店し空き店舗になっていたので「華子ちゃんのお爺ちゃんお祖母ちゃんに世話になったから」と鈴木さんが快く貸してくれました。また『はなぱん』の常連客で親戚の後藤房雪さんは「華子のお爺さんは漁師の鏡。漁を教えてもらった。だから自分にとっても華子は孫みたいな存在だ」と言い、華子さんが漁師になると聞いて、漁船も譲ってくれたんです。みんなに支えられている華子さんです。

1週間に1回は漁に出る華子さん。いつも祖父・競一さんのトレードマークだったタオルの鉢巻をして出航です。この日は、夜中からパン生地を仕込み、お店はスタッフに任せてきました。師匠・松下一男さんと漁師になって間もない原信二さんと一緒です。一本釣り漁の仕掛けを海に投入しておよそ10分、師匠の号令でリールを巻き上げます。釣れたのはデンデン(シロムツ)です。その後もアカムツやクロムツが次々に釣れました。釣り上げた魚は市場に出荷し、出荷しない小さい魚は、『はなぱん』で使います。華子さんは「競一爺ちゃんや先輩漁師が築いて来た漁師町・我入道の歴史を繋ぎたい」その強い思いで頑張っています。

2級船舶免許を持っている華子さん。次は1級船舶免許の取得に向け只今特訓中です。操舵を教えてくれるのは、かつて外国航路貨物船の船長だった父・信一さんです。緊張の面持ちで舵を握る華子さんに、信一さんは「上手いぞ!良くなった!」と声を掛けます。華子さんが幼い頃は一緒に居る時間が少なかった分、信一さんの喜びもひとしおです。華子さんは、「1級船舶免許を取って“漁師の鏡”とまで言われた競一爺ちゃんのような漁師になりたい」と決意を新たに。華子さん、これからもパン屋さんとして、漁師として夢に向かって突き進んで行って下さい!

楽園通信

はなぱん

鈴木華子さんが営むパン屋さん『はなぱん』

055-931-2080
営業時間 午前6時~完売次第で終了
定休日 火曜日

お魚のバケットサンド 570円~
ハード系パン 350円~
菓子パン 240円~