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特集

2019年4月30日

天皇陛下“象徴”めぐる模索

確かにこの年は春先から、被災地訪問を含めた“新しい皇室”を批判する週刊誌の記事が出始めていた。批判の矢面に立たされていたのは美智子さまだった。それは同時に、陛下の新しい“象徴”像への批判でもあった。名指しで批判された美智子さまは記者団からの質問に文書で『どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。しかし、事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません』と回答された。これが美智子さまにとって、精一杯の反論だった。 文書が公開された同じ日、美智子さまが突然、倒れられ、声が出なくなった。原因は強いストレス。奥尻島で陛下がワイシャツ姿ではなく、昔に戻ったかようなスーツ姿で被災者を励まされていたのは、皇室批判が吹き荒れたこの年、1993年だった。山下さんは「昭和天皇がおやりになっていた様々なご活動がイコール天皇のあるべき姿だと、私も含めて凝り固まっていた。だからそこと違うと、それは天皇の姿ではない、そこまで天皇がやるべきではないとなり、威厳がないとかという評価につながっていく」と語る。 そして、この2年後、阪神・淡路大震災が起きた。両陛下は現地をご訪問。この時ヘリから降りてこられた陛下の服装は、セーターにジャンパーという出で立ちだった。ワイシャツ姿で初めて被災者を励まされた4年前と同じスタイルに戻っていた。一時、声が出なくなった美智子さまは、これまで以上に積極的に被災者の中に入って行かれていた。被災者の一人は「『頑張って行きましょうね』と声をかけていただきました」と話す。避難所の外では、大勢の被災者が両陛下待ち構えていた。この時、陛下が模索してこられた新たな象徴のあり方を、国民もまた受け入れたのかも知れない。阪神・淡路大震災以降、陛下がネクタイ姿で被災直後の現地を訪問されることはなかった。天皇陛下は在位30年記念式典で「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、さらに次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と述べられている。

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