障害を持つ子どもたちにスポーツの楽しさを教えたいとあるNPOが動き始めました。
この様子は12月11日のニュースステーションで放送する予定です。
ここではその概略をお伝えしましょう。
夢は漠然と持っていたけれど、たくさんの壁に阻まれ、実現をあきらめてしまったという事は結構あるものです。夢を実現させる人は、何かとても不思議な力を持っている人なのかもしれません。
千葉雅昭さんは18歳の頃にサーフィン中の事故で首の骨を折ってしまい、以来、車椅子で生活をするようになりました。私が千葉さんと出会ったのは今から11年前のことです。
当時はまだ珍しかった車椅子の陸上競技の選手として練習を重ね、バルセロナパラリンピック出場を目指していました。千葉さんの得意種目は100メートル。
一瞬のスタートダッシュに命をかけて練習をしていました。バルセロナ、アトランタ、シドニーと3回のパラリンピックに出場し、その後引退をすると、千葉さんは「若手の指導」を自分の新たな夢としました。
シドニーパラリンピックで競技を終えた千葉さんが、競技場の隅にあるインタビューコーナーで、「ああ、終わった、これからは若手の育成ですよ。もっと頑張らないとね。」と言っていた様子は今でもとても印象に残っています。
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20代の頃の千葉選手 |
面倒見がよく親分肌、誰とでもすぐ仲良くなってしまう千葉さんは、仲間を作る天才と
言ってもいいかもしれません。
若者や子供たちに車椅子で競技をする楽しさを知ってもらえるような組織を作りたいと
呼びかけるとたくさんの人たちが集まってくれたのです。頚椎損傷で入院していたときに病院で知り合った仲間は弁護士になっていました。クラブのイラストをデザインしてくれた仲間もいます。経理を担当してくれる人、広報担当、写真の専門家・・・様々な人々が千葉さんの夢に賛同してくれたのです。
こうして、2001年11月にNPO特定非営利活動法人として認可を受け、バラエティクラブジャパンが正式に活動を始めました。
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1月に行われたNPO法人バラエティ・クラブ・ジャパン創立記念パーティー |
2002年はバラエティクラブジャパンが本格的に始動開始した一年でした。
先日私はオータムフィエスティバルと銘打った「車椅子バスケット講習会」を取材に行き
ました。立教大学新座キャンパスで行われたこのフェスティバル、ボランティアの多くは
立教大学の学生さんたちでしたが、彼らにとってもいい経験だったようですよ。
まずは千葉代表のご挨拶。
「今日一日楽しく、子供たちと一緒に、子供たちと同じ目線で、しかも子供たちの可能性をひっぱりあげるように、しかも甘やかさないように、頑張りましょう。」
いい挨拶でした。
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初めてバスケットボールの車椅子に乗りかえる。 |
参加者は20人。中にはなんと北海道から来た少年もいたんですよ。普段生活で使って
いる車椅子から、バスケットボール用のスポーツ車椅子に乗り換えると、みんなぱ
っと顔が輝くんです。ブレーキがなくて、タイヤも少し大きめです。自由自在にジグザ
グ走行。おっとあぶない、そっくり返ると後ろにひっくり返ってしまいそうになります。
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ゲームは面白いね! |
ドリブルも出来るよ! |
ボールを持ってドリブルしていく子供たちの表情は、本当に生き生きしていました。
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人生初めてのシュート |
ボールをはじめて手にしてニコニコ! |
千葉さんはそんな子供たちの表情を見ながら終始にこやか。
「出来ないことが出来きたって変わった瞬間、自分の力で出来たとき、すごく、出来たよああいうの聞いたときうれしいですよね。たまらないですよね。」
次のページでは、12月1日に行われた車椅子レース講習会の模様をお伝えします。
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