今から33年前、橋本聖子さんの取材で、山梨県の富士急行を訪れたとき、コニファーフォレストの周囲をひたすらジョギングする色白のぽっちゃりとした女の子が目に留まりました。それが岡崎朋美さんとの初めての出会いでした。18歳から40歳まで、まさかこれほど長い付き合いになるとは思いませんでした。折に触れ取材をさせていただき、今回も、バンクーバー五輪の後、妊娠、出産を経て、現役復帰するまでを追いました。
今年の1月16日に報道ステーションで放送したものをウェブ用に原稿を直しました。
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2010年秋、東京世田谷にある産婦人科クリニック。
ドクッ、ドクッという音が診察室に響きます。
医師の「赤ちゃんの心音ですよ」という声にうなずき、自分のおなかに当てられたエコーの画像を食い入るように見つめているのは、岡崎朋美さんです。
岡崎朋美さんが妊娠したのは2010年のバンクーバーオリンピックのシーズンが終わったときでした。
5度のオリンピックに出場し、銅メダル獲得、日本選手団主将や旗手を務めるなどして、今や岡崎朋美さんは日本の女性アスリートを代表する存在になっています。
22歳 リレハンメル五輪、
26歳 長野五輪500m銅メダル獲得、
30歳 ソルトレークシティー五輪、
34歳 トリノ五輪(日本選手団主将)
38歳 バンクーバー五輪(日本選手団旗手)
診察を終えた朋美さんに聞いてみました。
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宮嶋:「子供を生むと女は強くなると言われますけれど、それがアスリートの場合、本当の強さになるのかどうか、どう思われますか?」
岡崎:「それを証明できるかできないか、私にかかっていると思うので、頑張りたいと思います」
最後は、いつものおおらかな笑い声を響かせて、悲壮感などまったくない答えが返ってきました。
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39歳で、無事、出産したのは、今から一年あまり前のことでした。
2010年12月23日、天皇誕生日に生まれた女の子は杏珠(あんじゅ)と命名されました。
岡崎:「ようやく退院できました。いま、朋ミルクを飲ませたのでぐっすりです。やっぱり出産は大変ですね。うれしいんですけれど、あれを経験したらどんなトレーニングも出来るなと思いました。はははっ」
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出産からおよそ11ヶ月後、11月12日、帯広で行われたレース、ジャパンカップで岡崎さんは見事現役復帰し、2014年にロシアのソチで行われるオリンピックを目指し始めたのです。
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宮嶋:「出産後もスポーツを続ける女子の選手は少しずつ増えています。でもわからないことだらけです。現役復帰をした岡崎朋美さんにも予想外のことがおきました」
いまや欧米のスポーツ界では、女性が出産の後も第一線で活躍するのは当たり前になっています。
2009年世界水泳ローマ大会のソロ銀メダリスト、スペインのジェマ・メングアルも、
岡崎朋美さんと同じ時期に身ごもりました。
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メングアル:「赤ちゃんが動いているわ」
メングアルは臨月になるまでプールに通い、無事男の子を出産。
そして、出産から10ヵ月後には、チームの一員として試合に復帰ました。
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体操競技で、異色のママさん選手として知られているドイツのチュソビチナは、なんと33歳で、北京オリンピック種目別・跳馬で銀メダリストとなりました。今年37歳でロンドンを目指します。これまでの常識では考えられない快挙です。
チュソビチナ:「家庭があり、子供がいるからこそ安心して体操に励めるんですよ」
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出産からわずか2年でトリノオリンピック500m、金メダルを獲ったのは
ロシアのスベトラーナ・ズロワ。当時34歳でした。
欧米でママさん選手が活躍する裏には、女性アスリートの出産前後のトレーニング方法がしっかり確立し、環境も整っているからと言われています。
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日本では、どの程度、研究が進んでいるのでしょうか。女性のスポーツ医学を専門とする
帝京平成大学 目崎 登教授に伺ってみました。
宮嶋:「パワーを必要とするスポーツで妊娠・出産を経た人の研究と言うのはどの程度進んでいるのでしょうか?」
目崎医師:「いや、今まで全然なされていないのが現状なんですね。現在やっと始まったと言うレベルなんですね」
アスリート向けの出産プログラムが確立されていない日本。
岡崎さんはすべてを手探りで行っていかねばなりませんでした。
問題は体重のコントロールと筋肉の変化でした。
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岡崎:「年齢が年齢なので、動きたいんですけれど安静にしていなくちゃと、ぐうたらしています」
臨月に入った岡崎さん。
岡崎:「こんなになっちゃいました。はははっ!」
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高齢出産を気にして安静にしていたこともあり、妊娠前と比べて体重は15キロも増えてしまいました。妊婦の適正体重は+10キロといわれているだけに、医師から注意を受けたほどです。
ところが、出産から6ヵ月たった2011年6月には、驚くほどスリムになっていたのです。
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宮嶋:「身体、ずいぶんとしぼれましたね」
岡崎:「筋肉も落ちているんで、多少ぶかぶかなんですけれど、スーツも・・・」
かつてパンパンだったパンツスーツの腿の辺りの生地をつまみながら話す岡崎さんの体重は一気に20キロ減り、例年の夏より5キロも少ない55キロになっていました。 特に太ももの筋肉がなくなっているのが気にかかりました。
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トレーニングを開始するために、夫と暮す東京の家を離れ、富士急行スケート部がある山梨県富士吉田市に生後6ヶ月の子連れで移動してきた岡崎さん。
北海道で酪農を営む忙しい親に子育てを頼むわけにも行かず、どこへ行くのも子供と一緒です。
ソチオリンピックを目指していよいよ始動、とは言っても、
1年3ヶ月も休んで、体力は一般の主婦と同じ程度にまで落ちていました。
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かつて、ハードトレーニングで知られ、スクワットでは120キロを上げていた岡崎さんですが、その面影はどこにもありません。
岡崎:「軽すぎて申し訳ないくらい。リハビリみたいな感じ・・・ふふっ」
子供の面倒をスケート部のマネージャーに託すことでトレーニングに集中できる環境を整えました。
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しかし、どんな時でも手を抜くことを知らないその性格が 実は、思わぬところで災いしていました。育児でも完璧を目指し、一人で格闘していたのです。
岡崎:「子供の世話から何から何まで、全部一人でやらなくちゃいけなくて、自分のものを作ろうにも簡単なものしか作れなくて、途中で火を止めて、また泣き止ませて、食べようと思うと、わあって泣かれていたから・・・」
練習の合間につぶやいた言葉は思いもかけないものでした。
出産から5ヶ月は、育児に振り回されて、食事もろくにとれず、栄養不足に陥っていたのです。
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さらに、アスリートとしてトレーニングを再開してからは意識的に食事を摂るようになったものの、出産後9ヶ月たっても体重は一向に増えず、筋力アップも思うように進みませんでした。
練習後、マッサージを受けながら、つぶやいた言葉・・・。
岡崎:「やせていく一方と言うか、私もそうなのかなって半信半疑だったんですけれど、こうやって母乳あげて、食べていはいるんですが、ぜんぜん太らないっていうのはやっぱりそうなのかなあと思って・・・」
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