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Vol.5 (2001/05/22) 
待望の日本代表左サイド!清水エスパルス アレックス選手インタビュー
アレックスが高知・明徳義塾高校に入学した94年は、
華々しくJリーグが開幕した、その翌年である。

高校野球名門校に押し寄せるサッカーブームの波。
サッカー部強化を図ろうと、明徳義塾はサッカーの国ブラジルでのスカウティングを決行した。
アレックスと日本との絆。すべてはここから始まった。

 

ブラジルから明徳義塾へ

 

萩野 その、アレックスさんが日本に来てだいたい8年ぐらいになるわけですよね。
最初にいらした時は、何か、こうギャップってありました?
アレックス え、ギャップですか?
萩野 うん、ブラジルと日本の。「ああ、こりゃ困ったなあ、全然違うなあ」っていうの
ありました?
アレックス うーん…、そうですね。ま、ブラジルにいた時に、朝、高校行って、で家帰って、
その後クラブチームで練習してたんですよね。
で、あまりその…、自由があって、こう、楽しくやってたんですけど、
日本に来てからやっぱり、生活が変わってきて。
明徳についてから、生活が変わって。全寮制だったし。
朝から夜まで時間がこう…、たとえば、朝礼があって体操があって、で、食堂
行く時も時間決めてて。全部時間が…
萩野 そうですね、日本の学校ってねえ、
アレックス そう、決めてたんですよ。で、「なんだ?」と思ったんですけど、
ま、慣れてからは…。まあ、慣れるのはちょっと時間かかったんですけど。
そこがちょっと、うまくいかなかったですね。
萩野 ちょっと苦しかったですね。
アレックス そうですね。最初はまあ、言葉もね、全然通じなかったし。
誰と話せばいいかわかんなかったし、ごはんもあんまり食べれなかったし。
で、やっぱりこう、「帰った方がいいのかな、ブラジルに。」
最初の3ヶ月、何回か思ってたんですけど。
うーん、最初の3ヶ月がもちましたね、はい。
萩野 フッと乗り越えられた時期っていうのにはキッカケがあったのかしら。
アレックス うーん…。来た時にひとりじゃなかったんですよ。
4人で来て、一緒の15歳16歳、友達と、ブラジル人(の)。
で、1年たって1人帰ったんですよブラジルに。
もう学校、この生活に「もうダメだっ」て言って帰ったんですけど。
で、3人ずっとその3年間がんばったんですけど。
なんかその3人でよくがんばってた。
やっぱ、友達が落ち込んでた時に、自分がいてサポートとかして、
自分が落ち込んでた時に友達が来てがんばろうというか。
うーん…それが良かったなあっていうか。
で、やっぱりその、ちょっと言葉を、日本語をちょっと話せるようになって、こう、
友達ができて。できたから良かったなって…。
萩野 いやあ…、私、もう想像できないくらいですもん。これだけお話できるけど、
最初はねえ、わからないですもんねえ…
アレックス そうですね。うーん。
萩野 すごい精神力ですね。
アレックス 厳しかったですね、ほんとに。はい。
萩野 乗り越えた今、日本の見え方って変わってきましたか。
アレックス はい。やっぱり、高校出て、まあ、厳しかったんですけど、
今考えるとこう、プラスになったんですね。
もう、あれがあった、ああ言う時があったから、
今もっと大事に、自分、生活、いろいろこう大事にしていこうと思うんですね。
 

 

 

練習の合間、エスパルスの仲間たちとはしゃぐ彼の表情はとてつもなく明るい。


時に手荒いボディーアタックをくらわし合いながらの戯れはまさしく少年そのもので、
チームメイトとのフランクな仲の良さが伝わってくる。
明徳義塾から清水エスパルスへ。

清水という街はアレックスにとって、もはや来訪した場所ではない。
プロサッカー選手アレックスが真の意味で生まれた郷。

 

 ハングリー

 

萩野 日本で…日本に来てから、
アレックスさんが自分のスタイルを築き上げたときって…。
ごめんなさいねわかりづらいですよね、何て聞いたらいいんだろうなあ。
ブラジルの、そのサッカーの国から日本に来て、ずっといろんなことがあったと思うんですけど、そこで見出した自分のスタイルってありますか?
アレックス そうですね、高校に来て、最初はちょっとディフェンスだったんですよ。
で、ディフェンスで、こう何ていうんですかね。
はっきり言うと、チーム強くなかったんですよ。でもそれを見て、強くなるために、
自分だけじゃなくて、自分がそのチームを引っ張ろうと思ったんです。
引っ張ろう、成長したいというか。
強くなるためにどうすればいいっていうか。
自分で考えて、監督にも聞いて、
そこから、自分が…成長しつづけたのかなって。
もっとこう何て言うんですかね。…うん、早く、成長が伸びてきた。
自分が、サッカーをやってたけど、それ以上に、
もっとみんなを引っ張って行く気持ちとか、それが結構高かったし。
それ以上に、試合に勝ちたい、自分の得点を入れたい。
なんかほんとに、こう何ていうんですかね、
「ハングリー」だったんですよ高校時代。
それもプラスになったんですね。
でやっぱりブラジルと違って。
任せてたわけじゃないんだけど、みんなでやってたんですよね。
で、日本に来てからは、一人でやるんでなくて、一人でみんなを引っ張ろうって。
萩野 じゃあ、寂しくても、孤独になることはなかったですか。
アレックス なかったですね。
やっぱり、その寂しいときに、練習に行って忘れてたんですね、その寂しさ。
結構練習で楽しかったし、楽しんでたし。
萩野 ほんとに、サッカーがあってのアレックスさんなんですね。
アレックス そうですね。(微笑みながら)サッカーなかったら、俺、何してたのかなって思うんですけど(笑)
萩野 常に一緒(笑)
アレックス ずっと一緒です。
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萩野志保子のGrassWorld
  サッカー中継、「速報!スポーツCUBE」のサッカーコーナー担当。サッカーを愛してやまない萩野志保子が、Jリーグ・日本代表取材記はもちろん海外サッカーなど、萩野ならではという視点で綴っていきます。  
 
    
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