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Vol.5 (2001/05/22) 
待望の日本代表左サイド!清水エスパルス アレックス選手インタビュー
 
清水エスパルス アレックス選手インタビュー
2001年3月15日、エスパルス練習グラウンドをたずねてのインタビュー。今回のGRASS WORLDは長編ですので、項目別にページを分けてお届けします。NEXTでジャンプ、どうぞ全ページお楽しみ下さい。
 
「2002年日韓共催ワールドカップ」を目前に控えた今。
日本代表左サイドの強化のため、[アレックス待望論]は更に加熱する一方だ。

Alessandro Dos Santos、通称アレックス。
帰化申請手続きが最終段階に入ったとの報が伝えられたのは、まさにその渦中であった。
94年。高知・明徳義塾高校にスカウトされ、ブラジル南部、パラナ州マリンガの地から彼方日本にやってきた16歳のアレックス。
練習参加していた清水エスパルスに認められ、97年入団。

来日8年目。
言葉の壁・文化の壁を、
努力、信念、そして何よりサッカーへの愛をもって乗り越えてきた彼が語る言葉達。
耳を澄ませば、故郷ブラジルの家族への思い、日本への愛着、サッカー選手としての誇り。
彼の深慮が伝わってくる。

 

 帰化申請 

 

萩野 さて、アレックス選手の帰化申請にみんな注目しています。
アレックス はい。
萩野 その帰化申請、照準はやはり2002年ですか。
アレックス そうですね、2002年にもちろん日本人になってからのことなんですけど、
今まで集めてた書類とか全部出してますんで…
待っているだけですね。どんな結果が来るか、まだわかんないですけど、
とりあえず、うーん…、やれたことをやって、サッカーだけに集中して。
別に(許可が)おりるかおりないかは別としてで、日本人になってから、
そこから考えようと思っているから。
萩野 3月8日に申請なさって…
アレックス え?
萩野 違うの?ニュースで申請終了は3月8日って…
アレックス ま、申請っていうか、うーん、よくわからないんですよ。いつ申請に出したか。
去年からその書類を出してるから、いつそういう申請を出したっていうか、
そういうのはないと思うんですよ。
色々こう、何ていうんですかね、
萩野 段階ふんでるんだ、
アレックス そう。
段階でこう、分かれてありますね。はい。
萩野 じゃあ、積み重ねで、今正式に申請してる段階だと。
アレックス はい。そうですね。
萩野 その帰化申請をする決心をした一番の理由ってなんですか。
アレックス 日本好きだから。日本に生活していきたいから。
別に今だけじゃなくて、サッカーの人生終わったあとに、
日本で活躍して…活躍というか、生活していきたいなっていう。
うん、そういう気持ちがありますね。
萩野 サッカー選手としてだけでなく、日本の魅力、アレックスさんにとっては
どんなところですか。
アレックス うーん…、むずかしいですね…。え、例えば、どんなところですかね。
萩野 例えばね、その、サッカー選手として終了してからも日本に暮らして行こうとい 
う決心をするに至るまで、いろんな理由があると思うんですけれど…
アレックス はい。そうですね。
ま、もちろんサッカーでがんばって、
そのあとはまだ何するか全くわかんないんで。
とりあえずサッカーの繋がり、あると思うし、
監督とか、そういう考えでいこうかなと思っているんです。
子供達も結構好きなんで、子供達を育てて行こうかなとか、そういう気持ちも 
ありますし。うん、やっぱり、サッカーですね!
萩野 じゃあ、ずうっと日本でサッカーをしていってくれると。
アレックス はい。
萩野 ふるさとのお父様お母様ですが、この、日本に帰化するっていうのには
どんな反応でしたか。
アレックス うーん、結構前のことなんですけど、最初言った時、ちょっとびっくりして、
「何やってるの!」って聞いたんですけど。
まあ、お母さんもお父さんも全然日本の雰囲気とか知らなくて。
日本っていう国を全然知らなくて。
そこで、自分が家族を連れてきて、日本はこういう国だよって見せてあげて。
それでちょっとずつわかってくれて。
最初ちょっと難しかったんですけど、どんどん理解してくれたんですね、はい。
萩野 じゃ、お父さんお母さん、こちらに連れてきたんですか。
アレックス はい。今はいないんですけど。
向こうの、まあ、ブラジルにいて、休みの時にここに来てます。はい。
萩野 エスパルスのこのチームを見て、どんな風に言ってらっしゃいました?
アレックス え、家族ですか?
萩野 うん。
アレックス まあ、ブラジルで、プロ…、あんまりやんないで、若い時から日本に来て、
日本でプロサッカーやって。
で、98年か…、家族98年か99年に来て、
日本平、ちょうど日本について次の日が試合だったんですよ。
ジュビロ戦だったのかなあ。で、その日に日本平に連れて行って、
結構満員で。日本平すごかったんですよ。
萩野 静岡ダービーっ!!
アレックス はい。ダービー。で、お母さんも「すごいすごい!!」と言って、
お父さんも昔サッカー選手だったし。で、「いいクラブにいるな」って言って。
で練習にも結構見に来てたし、
「ここに来て良かったな」って家族言ってたんですね。
萩野 もしこの先、アレックスさん、日本代表の選手になるとすると、
左サイド、ライバルいます。どう?
アレックス 今、何とも言えないですね。とりあえず、申請してるんで、日本人になってから、
代表のこと考えたいんで。
とりあえず、その結果を待つまでに、サッカーでがんばります。
はい、それしか言えないですね。
萩野 私達日本のサッカーファンも心待ちにしているんです。
アレックス はい。
萩野 その気持ちだけ伝えたくて。
アレックス はい。わかりました。がんばります。
 
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萩野志保子のGrassWorld
  サッカー中継、「速報!スポーツCUBE」のサッカーコーナー担当。サッカーを愛してやまない萩野志保子が、Jリーグ・日本代表取材記はもちろん海外サッカーなど、萩野ならではという視点で綴っていきます。  
 
    
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