

2013年9月20日
1990年に公開された黒澤明監督の『夢』の中に『赤富士』という作品がある。これは、黒澤監督自身が見た夢を映画化したものだ。原発が爆発し、逃げ惑う人々の姿が描かれている。『夢』の製作に携わったスタッフや関係者が、今年で没後15年になる黒澤監督の原子力に対する考えを語った。
福島県白河市には、双葉町の仮設住宅がある。この仮設住宅の近くに住む熊田雅彦さん(67)は、『夢』の制作に携わっていた。映画の撮影が行われたのは1989年。その22年後、福島第一原発で次々と爆発が起きた。熊田さんは「黒澤さんが一番恐れていることが起きた。もし生きていたら、たまらない気持ちだろう」と話す。予言じみた『赤富士』という作品。黒澤監督は、なぜ、この映画を撮ったのか。黒澤監督の長男・久雄さんは、「父の中で、原子力が大きい位置を占めていた」と話す。今回、埋もれていた黒澤監督直筆のノートを発見。そこには、黒澤監督の率直な思いが綴られている。
【人間は、間違いばかり起こしているのに、これだけは、絶対間違いは起こさないなんて、どうして云えるのだろう。もし、間違ったらおしまいだと云うのに、どうしてそんなことが云えるんだろう。高い木に登って、自分のまたがっている木の枝を一生懸命切っている阿保に似ているね】
久雄さんは「(父は)人間は愚かでいっぱい失敗をするから危ないものは持たせてはいけない、と心配していた」と話す。黒澤監督の初期の作品から携わってきた野上照代さん(86)は「黒澤さんの場合、原発を問題にしないことを恥と思うようなモラルがあった」と話す。黒澤監督が原子力の問題に取り組み始めたのは1950年代からだ。最高傑作ともいわれる『七人の侍』の翌年、当時45歳の黒澤監督が撮ったのが『生きものの記録』だ。ある老人が、水爆や放射能の脅威から逃れるために全財産を投げうち、海外に移住しようとする話だ。この作品の背景には、昭和29年、ビキニ環礁で、アメリカが行った水爆実験がある。このとき、日本の第五福竜丸も被ばくした。多くの黒澤作品で音楽を担当していた早坂文雄さんが、このニュースに「こんな時代では、安心して仕事ができない」といったことがきっかけになり、黒沢監督は、この映画の制作を決めた。『生きものの記録』の共同脚本は、『羅生門』や『七人の侍』などを書いた橋本忍さん(95)が担当した。
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