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「オランダ撮影日誌1」

アムステルダム中央駅は改築中だった。フランスからTGVが乗り入れてくる計画あって、オランダの大きい駅は、工事中が多いとか。赤レンガの外装とファサードの様式で、東京駅とよく比べられるアムステルダム中央駅だけれど、構内の雰囲気や駅周辺の猥雑さから、上野駅を思わせた。東西に線路が延びていてそこから町が広がっている印象。その線路の下も、駅の裏側もすべて運河になっているから、たとえ工事中でも町全体を懐深く束ねているような、堂々たる<世界の名駅>に感じられる。ここから始まり、ここへ帰ってくる、オランダ・ベルギー・ルクセンブルク周遊のロケが、愈々スタートだ。

勿論この番組は車窓からみる「世界」がテーマだけれど、水上ボートから見る「世界」も、そのゆっくりしたスピードといい、静かさといい、味のあるものだった。14世紀から運河交通が発達したというアムステルダムの町だから、水上バスという視点から見ると、町を別な角度から見られるし、運河沿いの人々の生活が垣間見られて、新鮮だった。橋をくぐる毎に橋の上で繰り広げられる、小さなドラマも興味深い。ズボンのベルトをぎゅっと締める老人の姿、別々の方向を向いて、きっと別れ話をしているであろうカップル。「世界の運河から」という番組企画も浮かんだりしたのだけれど。
                        
旅行記やガイドブックのどこかにきっと書いてあったのだろうけれど、オランダのロケ撮影が始まってすぐに目に付いたのは、アムステルダムの町でも、地方の小さな村でも、自転車で走る、その人の多さだ。「ここは中国か!」こんなに<自転車王国>だとは思わなかった。撮影に夢中になって、周りを気にしないでいると、自転車に轢かれそうなこともある。通勤スーツの男女も、小さな子供も、老人も、実にシャンと背筋を伸ばして姿勢よく、スイスイと走り回っている。日本のママチャリとは全く違う。オランダでは国の政策により、自転車道路が必ずどの道路にも設けられているそうで、相当成功している制度のようだ。映画が好きで、ずいぶんたくさんのオランダ映画を観て来たはずだけれど、こんなに多くの自転車が走っているシーンは観たことがなかった。これからオランダ各地を廻るのだから、注意しないと……。
 
ディレクター 宮崎 祐治
工事中のアムステルダム中央駅
アムステルダムの運河
自転車が多いオランダの交差点
「オランダ撮影日誌2」

ほぼ朝8時にホテルを出発して、列車と歴史ある町を巡る日々。ロケ・スタートから1週間もしないで、昼食は概ねガソリンスタンドかカフェのサンドウイッチになってきた。時間がかからないし、第一、これが結構おいしい。ヒートホールン村は運河の国オランダを象徴するような名所だ。運河が村じゅう至る所に流れる水郷の地。750年前の茅葺の民家が何軒かそのままに残っている。ボートでそのなかをゆっくり進むが、案内してくれた観光局の人が盛んに環境問題を話されていた。一時期、観光客が集まり過ぎてモーターボートの排ガスや騒音で村が荒んだことがあっとか。年間100万人が村を訪れるそうで、この日は金曜日だったけれど、確かに人が多い。私たちが乗ったボートは電気モーターで動き、静かそのもの。忙しい撮影の中、しばらくはのんびりとした気分で過ごすことができた。

フリースランドの州都レーワールデンには、オランダの少数民族フリースランド人が大勢住んでいると知って、興味を抱いて取材した。フリース博物館館長自らの案内で、フリースランド人の歴史と文化を丁寧に教えてもらえた。展示の仕方も素晴らしい。第1次世界大戦中の美貌の女スパイ、マタ・ハリの展示室で、「グレタ・ガルボ主演の映画を観た」と言うと、館長が目を輝かせて「ジャンヌ・モローやシルビア・クリステルもやっているんだ」と話し出す。私と同じ映画ファンで、撮影もほどほどに、いつの間にか二人で映画談義に…。オランダの映画監督ポール・ヴァーホーベンや俳優ルトガー・ハウワーの話しをした後、彼はアキラ・クロサワのことは知っているけれど、映画を観たことはないのだという。日本とオランダは遠いんだなあと改めて思った次第。フリースランド人は少数民族として、オランダの国ながら独自の〈国歌〉や〈国旗〉を持っている。確かにブルーのラインと蓮の葉をデザインしたような〈国旗〉を街中で何度か見かけた。誇りをもって、違う文化や言語を使っているというところまでは、わからなかった。

レーワールデンから西へ1時間足らず、アイセル湖に臨むスタフォレンの港町へ。駅前の屋台で鰯の酢漬けやイカのフリットが売られていたので、早速買い求めて、撮影した。こういう食べ物は、面白いネタになる。撮影して、一瞬でスタッフみんなで食べてしまった。港で売られている物だから〈トレタテ〉で、ほんとにおいしかったけれど、あまりに一瞬の出来事で、味も何も忘れてしまいそうだ。
 
ディレクター 宮崎 祐治
ヒートホールン村
フリースランド州の馬
スタフォレンの港
「オランダ撮影日誌3」

ホールンからメーデンブリックまで走る、蒸気機関車の撮影。朝9時には、もうボランティアの人が何人かで車体を磨いていた。どこの国でも蒸気機関車というものは、よく磨きこまれていると思う。徐々に集まってくる乗客は老人グループと、親に連れられた子供たち。これもどこの国でもだいたい同じだ。老人といってもみんな、ものすごく元気。オランダの列車は乗り口とホームの高低さが相当あるが、ヒョイヒョイと乗り降りしてしまうような気がする。まあ、今日の乗客はドイツからの観光客がほとんどだったけれど。

ホールン・メーデンブリック蒸気鉄道は、路線の途中で、大きなチューリップ畑の横を通る。チューリップの中の走りと、トゥイスクという駅の近くの美しい村の中の走りを、カメラに収めたいと思うが、一日一往復の走りもあって、私たちが機関車を追い抜かなければならないという無理がある。車掌にダメもとで相談すると、「待っててあげるよ」とあっさりの返事。こちらからケータイで連絡するまで、蒸気機関車は途中でしばらく停車してくれると言う。それでもなるべく迷惑かけないように、地図で最短距離を確認してから、村のA地点から、チューリップ畑のB地点までの撮影はスタートした。こういう場合、ロケバスはエンジンをかけて待機、A地点が終わるとみんなダッシュで飛び乗り、B地点へぎりぎりのスピードで辿り着くというサスペンス溢れる撮影になる。赤いチューリップの中を走る蒸気機関車が、今回のロケのいちばんの目玉。それをなんと4分近い長いワンカットで撮影できた。けれど、撮影とは欲張りなもの。私たちはさらに併走しながら蒸気機関車の走りが撮れる、C地点までロケバスを飛ばしていった……。

メーデンブリックは本当に何も無い港町。蒸気機関車が連絡するはずのエンクハイゼン行きの遊覧船も、この日は運行なしと聞いて、さてさて何を撮ればいいのか。メーデンブリック駅の建物も改装中でとてもアップには耐えられない。蒸気機関車がホールンに戻った駅は散歩する人がいるぐらいで、ガラ―ンとしている。「あるがままを撮影すればいいんじゃないですか」。VEの鈴木さんの、いつもの的を射た一言で、「そうだった。メーデンブリックは何も無い町ということ表現すればいいんだ」と当然のことを思い出した。

町のはずれにあるラドバウト城は歴史あるお城だけれど、外観だけを撮影するつもりだった。しかし、入り口に地元の管理人の方がふたり、鍵をもって待っていてくれた。こうなると内側も撮影しないわけにいかない。一応博物館にはなっているが、人がいない古城に入っていくのは、少々怖い。暗い城のドアを開けると、古い衣服を着た人形が立っていたりしてドッキリさせられる。鳩の巣がたくさんある城の屋上は、鳩の糞も尋常ではなく足の踏み場もない。こうやって、アイセル湖に望む「何も無い町」は撮影されていった。

ディレクター 宮崎 祐治
ホールンの蒸気機関車
メーデンブリックへ
チューリップ畑を走る
「オランダ撮影日誌4」

ハーレムからライデンの間は、チューリップが咲き誇る色鮮やかな地域。球根造りのため、満開の花の命は、10日ぐらいと短い。北海からの強風の中、チューリップ畑の向こうを走る列車を出来る限りたくさん撮影した。畑の中で外国人労働者を何度か見かけたが、ポーランドからの出稼ぎだとか。機械で花を刈った後の、細かい仕分け作業が彼らの仕事だそうだ。風に揺れるチューリップは、肥沃な大地に敷かれた赤やピンクの絨毯のように見える。
                
リッセ村に春の花パレードの撮影をしにいく。しかし村の手前5キロぐらいで道路は大渋滞。この季節、〈花の王国〉を訪れる観光客が隣のベルギーやドイツからもやって来て、各地は大賑わいだそうだ。ロケバスで、パレードの近くまで行くのを諦め、リッセ村まで徒歩に。それでも町中は屋台や自転車が溢れ、歩くのも容易ではなかった。丁度日本の花火大会の、打ち上げ場所まで歩いて近づいて行く感覚だ。朝9時30分に北海沿岸のノールドワイクを出発し、北海沿岸地方の40キロを行進するパレードは、チューリップやヒヤシンスなど春の球根花で作られた山車が練り歩く。それがハーレムに到着する夜の8時過ぎまで続く。どうにかパレードに間に合ったと思ったら、道路の両側は大勢の観客で溢れかえっていた。警察の許可をもらって道路の真ん中へ。行進の先頭にやって来たのは花をたくさん積んだ白バイだった。そして企業のロゴや宣伝の入ったセダン車が続いて来る。鼓笛隊が登場すると、大きな花の山車がどんどんやって来る。見事な山車やアイデアのある山車が近くを通ると観客から拍手がおこった。日本の祭りの山車や、ディズ二ーランドのエレクトリックパレードに似ているが、鳴り物やテーマ曲など、音楽の演出がないのが惜しい。とりとめなくパレードは続く。
                 
〈物を集めてしまう〉というのがオランダ人の気質の一つだと、物の本で読んだ。確かにどこの町にも、何かの博物館が必ずといっていいほどある。ライデンの町にあるシーボルト・ハウスを訪れた時も、成る程と思った。ライデンは、日本と関わりの深い町。幕末の長崎にやって来たシーボルトゆかりの地だ。ライデン大学にはシーボルトが日本から持ち帰った植物による日本庭園があり、町には「出島通り」まである。シーボルト・ハウスは彼が日本で集めた種種のジャンルに渡ったコレクションが所蔵されている。その展示の素晴らしさと、日本語べらべらのオランダ人キュレイターによる解説に感心させられた。シーボルトも〈ものを集めてしまう〉人だったということが、とてもよくわかる。
 
ディレクター 宮崎 祐治
春の花パレード
ライデンの街
チューリップの絨毯を走る
「オランダ撮影日誌5」

ハーグの町は、ガイドブックなどでは、デン・ハーグと紹介されているけれど、デンはTheみたいなものだそうで、「ハーグと言うのが正しい」とコーディネーター女史に教えてもらう。午前中、オランダの国会議事堂や国際司法裁判所など政府関係の建物を撮影した後、町全体が見渡せる大きな公園にカメラを据えた。なんだか日比谷公園から霞ヶ関の官庁街を撮っているような気分。午後はハーグ郊外にある「スヘフェニンゲン」へ、トラムに乗って向かう。北海に臨むオランダ最大のリゾート地には20分ほどで到着。あっという間にその規模の大きさと来客の多さを誇る素晴らしい観光地が目の前にひろがって来る。5月で、まだ風が少々冷たいせいか海に入る人は少ないが、みんな楽しそうに日光浴をしていた。霞ヶ関官庁街のすぐ近くに、江ノ島か熱海があるような不思議な感覚だった。
                            
サッカーファンとしては、オランダサッカーを取材しないわけには行かない。ロッテルダムを紹介するのに、スパルタのサテライトチームの試合を撮影する。ロッテルダム郊外のグラウンドへ行くと3面全部でそれぞれ2軍3軍4軍という試合がおこなわれていた。私が日本でやっている草サッカーと比べてはいけないけれど、若いプロ選手の真剣さは相当なもの。汗だらけの彼らの顔は迫力があった。グラウンド脇で観ている一般の客も応援というより、誰もが厳しく選手のプレイを見守っているようだった。小野伸二がオランダ時代に在籍したクラブ〈フェイエノールト〉のスタジアムがロッテルダム中央駅近くの線路沿いにみえる。勿論サッカーファンなら誰もが憧れる、その姿を車窓からしっかりカメラにおさめた。

キンデルダイクは250年以上の歴史ある風車、19基が保存されている地区。川をボートで下って、そのなかの一基の風車を訪ねる。風車の生活はどんなものなのか、取材させてもらった レオさん親娘の生活に魅せられてしまう。レオさんが5歳の娘のために集めた〈自然〉は、番組では紹介しきれないほど豊かに思えた。風車の周辺には犬や猫は勿論ウサギや豚、ハチミツをとる蜜蜂まで飼われている。植物も川沿いの畑に多種多様のものが植えられ、それに親子二人で水をあげるなどの世話をしていた。風と水と光に溢れた自然教育としては最高の条件。いつまでもその場にいて自然に触れていたいと思う、気持ちのいいロケだった。
 
ディレクター 宮崎 祐治
スヘフェニンゲン撮影風景
キンデルダイクの風車
オランダサッカー
「オランダ撮影日誌6」

この日、オランダは「女王の日」で休日にあたる。朝、テレビでベアトリクス女王が国民の輪の中に入っていくところが中継されていた。私たちはオランダの西、北海に近いミデルブルクで町の様子を撮影した。ミデルブルクは中世の雰囲気が残る美しい町。駅を降りて住宅地を歩いて行くと、子供たちが自分たちの持ち物をレンガ道に並べてフリーマーケットをやっている。広場では500人を超す老若男女が集まって、楽団の演奏にあわせてオランダ国歌や女王を讃える歌を大合唱している。オランダ王国のシンボルカラー、鮮やかなオレンジを身に着けている人も多く見受けられた。

ミデルブルクよりさらに列車に乗って、フリッシンゲンの海岸へ。時刻はもう夕方の7時に近い。日没まではまだ2時間近くあるが、この時間、いちばん光がきれいだからフル回転で撮影しまくる。運河沿いの並木道の横を通過する列車の走り。踏切で列車の通過を待つ人々。海岸線でビール片手に佇む人々など。そんな中、〈自転車ギター男〉に街角でばったり出会った。彼は両手離しで自転車を運転しながら走り、ギターに合わせて歌っている若者だった。自動車などは気にしない様子で、歌声もなかなか魅力的。勿論カメラに収めた。自転車の国オランダのハイライトみたいな奴だ。北海に沈む日を撮影して本日は終了。

オランダからベルギーへの国境は、ローゼンダールからアントワープへの路線で越えた。国境に線が引いてあるとはまさか思わないが、本当に何もない。車掌が交替するとか、制服を着替えるとか何か目に見えるものがあれば絶対撮り逃さないけれど、全く何もない。列車の走りを撮るため、ロケバスでも道路の国境を通過したけれど、EUのあの星が12個並んだ看板が一個ぽつんとあるだけだった。国境に近い踏切で、列車が来るのを待っている間、オランダ人のコーディネーター女史に聞いた話。親戚のオランダ人が国境に近いこの辺りに住んでいるが、税金が安いベルギーのほうを選んだとか。つまり税金が大切なのであって、国境なんてどちらの国でもそんなに重要なことではないというのだ。ベルギーの北半分はオランダ語圏で、風景もほとんどオランダの牧草地と同じなのだから、まあ確かにどちらでもいいのかもしれない。島国の日本人とは違う国境感覚なのだろうと思ったりした。
 
ディレクター 宮崎 祐治
ミデルブルクへ
リングステーケン
フリッシンゲンの夕陽
「ベルギー撮影日誌1」

アントワープでは、「鉄道の大聖堂」と呼ばれるアントワープ中央駅をメインに撮影した。一部改修工事がされていたけれど、高いドームと濃いエンジ色の内装で統一された堂々とした建築。駅前広場には隣にある動物園に向かって、行進する象の彫刻が並んでいるが、どうも歴史ある駅の建物にはそぐわない。今回のロケでは、教会など歴史を誇る建造物とモダンアートが、ちぐはぐで何か噛合っていないと思われるものがいくつか見られた。「美意識」の違いだから、あれこれ言えないけれど……。アントワープには世界のダイヤモンド取引所が集中している。来る前にレオナルド・ディカプリオ主演の映画「ブラッド・ダイヤモンド」を観たばかり。この地の取引によって、遠くアフリカの原産地が酷いことになっているという内容だったので、町を歩いていてダイヤモンド商の看板をなんとなく憎々しく見てしまったりする。
                         
メッヘレンでカリヨン学校を取材していると、ここの校長先生がなかなか面白いキャラクターの人だった。子供たちが女性の先生に習っている教室へやってきて、ドアから白い髭の顔を出し、「君たち、この後、聖ロンバウツ教会の上に登るんだろ」とニヤニヤ笑いながら聞く。我々が子供たちの演奏の撮影を終えて、市庁舎前の聖ロンバウツ教会514段の石段をフウフウいいながら漸く登ると、校長先生が涼しい顔をして待っていた。「遅かったね」と言い、「さあ弾くよ」と全くのマイペース。校長先生はメッヘレンの町に鳴り響く、教会の鐘を毎日必ず一回はここに登って弾いているそうだ。元気なはずだ。見事な演奏を披露してくれた後、日本語で「アナタタチ、ガンバンナサイ」という言葉を残してサーッと階段を下りていった。すごい。
                          
ブリュッセル南駅に到着して、すぐにグラン・プラス広場へ。360度見事に立ち並ぶ建築が夕日に映える美しさは、まさに息を飲むほど。広場が世界中からの観光客で埋め尽くされているのも当然と思えた。広場の近くにある小便小僧なども有名だけれど、建物の秀麗さだけでも魅力十分。横丁のレストラン街「イロ・サクレ地区」を取材した後、再び夜景のグラン・プラスを撮影した。巧みなライティングが施されていて、観光客をロマンチックな気持にさせているようだった。
 
ディレクター 宮崎 祐治
アントワープ中央駅
カリヨン学校の校長先生
グラン・プラス広場
「ベルギー撮影日誌2」

ベルギーは美食の国といわれる。ワッフルやチョコレート、ビールのほか郷土料理をいくつか撮影するスケジュールになっている。まずゲントで「ワーテルゾーイ」という料理を、街角のレストランの厨房にまで入れてもらって、つくり方から取材した。ワーテル(水の)ゾーイ(雑煮)という意味だそうで、魚介類や鶏肉を煮て、牛乳と野菜を加えたシチュウのようなもの。昔は魚だけの料理だったそうだけれど、ベルギーの漁穫量が少なくなって、現在のようにいろいろ入れるレシピになったとか。料理にはベルギーという国の複雑な歴史も反映しているというのが、うまく取材できるかどうか。
                           
北海に面したオステンドの駅に到着したのは夜8時30分過ぎ。陽が落ちてから訪れた町は寂れた港町の印象だった。宿泊したホテルも長い歴史を持っているせいか、少々くたびれている。翌朝は風の強い、肌寒い日だったけれど、町を撮影して回ると、なかなか充実した由緒あるリゾート地ということがわかってきた。日本でいうと伊豆の熱海や九州の宮崎のようなところかな。
                           
オステンドからトラムに乗ってクノック・ヘイストの町へ。ここでは地元の観光協会の女性に案内してもらう。しかし、どうやら、この町は金持ちの多い高級リゾート地のようで、有名ブランドが並ぶストリートや高級別荘が林立する場所に連れて行かれる。高級車が〈いかにも〉の感じで走る通りや300万ユーロもする高級マンションには興味ないから、早々にオランダ国境に広がるズウィン自然保護公園にむかった。ズウィンは塩という意味。コウノトリなどの鳥類が北海に面した広大な草原の上を飛んだりする姿のほうが撮影していて気分がいい。 
                           
元炭鉱の町といわれるモンスは、一部で貧しい地域が見受けられた。石炭産業が廃れた後、未だに産業改革が進んでいないそうで、モンス郊外では炭鉱に働きに来ていたイタリア移民などがまだ多く残っていて、貧しい暮らしをしているとのこと。我々は旅人として短い時間この地を訪れただけだから、そういう社会的な状況は、十分理解することは難しい。けれど、ベルギーの北半分フランドル地方と、モンスのある南半分ワロン地方に「経済格差が生まれている」というコーディネーター女史の話は、確かにそのとおりに感じられた。
 
ディレクター 宮崎 祐治
クノック・ヘイストの町で
トゥルネー近郊
モンスの街並
「ベルギー撮影日誌3」

森や丘陵が続くワロン地方に入ってから、天気にはあまり恵まれていないが、それにめげず、浪々の撮影は進めてられていく。ムーズ川に沿って上流の町、ディナンへ。シタデル(城砦)のそびえる断崖の下たまねぎのような塔をもつノートルダム教会が目を引く。こじんまりまとまった町並み。ここアルデンヌ地方は古城が多く残っているとされるので、いくつかの城を撮影するため山道を走った。ところが最初に訪ねた古城がほぼ崩壊状態で出端をくじかれた。古城を維持するのには大変な経費がかかるため、有名な古城でも少しずつ、大きなレストランや外国資本に買われて、壊されたり大改修されたりしているそうだ。どこの国でも、昔のいいものは、徐々に失われていく運命にあるようだ。

フランス国境に面した小さな村トルニーは花で彩られた、ベルギー観光局オススメの場所。ヴィルトン駅から観光局の方がわざわざ車で案内してくれた。人口およそ220人の小さな村は19世紀から美しい家並みが保持され、ベルギーでは珍しいワイン作りが行なわれている。ローマ帝国時代の古い石材による貴重な住宅も残されていて、ほんとうに撮影し甲斐があった。
                             
ルクセンブルク市内は、渓谷による高低さのある地形で、見事なパノラマ風景が列車の目前に広がる。しかし、ルクセンブルク駅も残念ながら工事中、やはりTGVがパリから伸びて来るそうだ。我々は駅近くのホテルに宿を取ったが、夜になると酔っ払いがウロウロして騒ぐ下町のような雰囲気だった。ヨーロッパセンターと呼ばれる地域では、ロンドンに迫る金融市場が新たに展開されつつあって、各国の銀行が多く進出してきているとか。なるほどダークスーツのビジネスマンが町では多く見られたし、工事中のクレーンが軒並み立っていた。〈渓谷と緑の国=ルクセンブルク〉は、国が様変わりする真っ最中のようだった。

ディレクター 宮崎 祐治
城砦とノートルダム教会
トルニー村
ルクセンブルク駅で
「ルクセンブルク撮影日誌1」

ルクセンブルクの北、山の奥にあるエッシュ・シュル・シュール村を訪ねる。ルクセンブルクの取材は、観光局からガイドの男の人に来てもらった。この人は所謂〈鉄っちゃん〉と呼ばれる鉄道マニアで、ルクセンブルクのどこででも「次の列車は、後どれくらいで来る?」と聞くと時計をチラッと見るだけであちらから2分後、こちらから7分後とすぐに答えてくれる。しかも神奈川県とほぼ同じ面積の、この国のことはほとんどわかっていて、エッシュ・シュル・シュール村の全体を俯瞰できる絶好の場所にあっという間に連れて行ってくれた。正に「世界の車窓から」のためにいるような人だった。エッシュ(村の名前)・シュル(上の)・シュール(川)、つまり川の上流にあるエッシュ村という意味だそうだけれど、撮影中、なかなか正確に発音することはなかった。
                            
リエージュはこのベネルクス3国周回のロケでベルギー最後の町。中庭の柱廊が美しい君主司教宮殿、373段の階段の先にあるビューラン山、ムーズ川岸で日曜日に開催される朝市、850種に上る世界のビールを出してくれるビール店、ベロンの噴水など、「車窓」からは少々遠い、町の名物を勢い撮影していった。そのなかでベロンの噴水前にあるワッフル屋が一番印象的だった。魔女のような低い声のマダムは、ここで120年間ずっとワッフルを売っているとか(年齢不詳)で、ワッフルの生地の状態から、焼き上がるまでの過程を丁寧に見せてくれた。大きめなワッフルは1ユーロ50セント。味はバニラ味とシナモン味、他にチョコレートをかけたものとフルーツを混ぜたものがあった。12月のピーク時には1日500枚売れることもあるとか。
                             
ドイツとベルギーの国境に近い、マーストリヒトでも町の風物を多く撮影した。聖セルファースの誕生日を祝う宗教祭りのパレードは小雨のせいで、なかなかやって来ない。道一本は離れた橋の上では市民マラソンが大々的に行なわれていて、そちらも撮影しようと思う。まずマラソンを追いかけていると、遠く向こうからパレードの鼓笛隊の音が聞こえてくる。こういう時「二兎追うものは…」でどちらかに絞ったほうが賢明なのだけれど、ロケは最終盤。とにかく「何でも撮ってやろう」と思う気持ちの方が勝ってしまう。幸いパレードは延々と続き、無事両方撮影できた。マーストリヒトでは、聖ピータースベルグの洞窟の壁画や、聖セルファース教会、名物のパイの店、旬のアスパラガス料理など、実に盛りだくさんの撮影はできたけれど…。

ディレクター 宮崎 祐治
エッシュ・シュル・シュール村
創業120年のワッフル屋
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ボリビア編の撮影日記が、狩野ディレクターから届きました!
 
チェコ・スロヴァキア編撮影日記
チェコ・スロヴァキア編の撮影日記が、
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