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「ボリビア撮影日誌1」

(1日目)
ボリビアのサンタ・クルスにやって来た。この国を訪れるのは初めてだが、南米諸国の独立に尽力したベネズエラの英雄シモン・ボリーバルの名を冠していることと、チェ・ゲバラがその最後を迎えた国ということで、昔から興味があった。
南米の国々を考える時、かつてこの大陸の殆どを支配したスペインからの独立が大きな意味を持つ。何故なら、スペインからの独立は、この大陸に入植した人々にとって、自らの祖国に弓を引くという行為だったからだ。ボリーバルもゲバラもこの大陸に暮らし始めた人間たちの、正当な権利を主張して戦ったのだった。そして、先住民インディヘナの存在も忘れてはならない。ボリビアはインディヘナの人口が55%を占めており、他の国と比べて土着的な文化が多く残っているという。今回の撮影で、その辺が垣間見られればと思う。
昼食後、鉄道会社に打ち合わせに赴く。明日から撮影を予定している、13時15分発のキハーロ行きの列車は、道路事情が悪い小さな村々に停車するため『村人たちの列車』と呼ばれているそうだ。そして、今この国は雨期の最中で、列車は大雨の影響を受け、現時点で5時間遅れており、明日はどれだけ遅れるのか見当がつかないが、運行することは確かだという。一体どんな撮影になるのか…、期待と不安が頭の中で交錯する。

(2日目)
市場を撮影後、駅で乗車予定の列車の発車時刻を確認。列車は15時に到着して、19時に出発とのこと。そこで、リオ・グランデの鉄橋へ。この鉄橋は列車が通らないときは、自動車に使われている。降り始めた大雨に濡れながら鉄橋を渡る自動車を数カット撮影。昼食後、サンタ・クルスに向う列車が鉄橋を渡るシーンを撮影し、一度ホテルに戻り、ずぶ濡れになった衣服を着替えてから再び駅へ。列車が大幅に遅れているせいで構内は混み合っている。19時05分列車はようやく出発。一通り車内を巡ると、親しみ易いモンゴロイドの顔が並んでいる。途中の駅で停車する度に、次々と人が乗って来て、押し合い圧し合いの状態になる。乗車率は160%位だろうか。しかし、ボリビアの人々の国民性なのだろうか、どこか和やかな雰囲気が漂う。
午前3時20分、サン・ホセ駅に到着。ここで、かなりの乗客が入れ替わった。ホームで食べ物の屋台を発見。牛の串焼きが、一本約45円で売っていた。深夜食にと串を頬張る乗客を撮影した後、味見をしてみる。結構旨い。26分の停車の後、発車。夜行列車の旅はつづく。
 
ディレクター 狩野 喜彦
サンタ・クルス近くを走る
サンタ・クルスの市場にて
リオ・グランデの鉄橋
「ボリビア撮影日誌2」

(3日目)
5時半を過ぎた頃、夜が明け始め一瞬だが空が赤く染まる。小さな駅で若いお母さんと少女が列車を後にしていった。何となく朝の空気みたいに爽やかな光景だった。その後、霧に包まれた奇岩が並ぶ風景に遭遇。まるで小規模なギアナ高地のようだ。本来ならこの辺りの通過時間は夜中で、この風景を見ることは出来ない。ラッキーと言うべきか。
その後、運転席を撮っていると雨が降って来たがすぐに止んだ。雨期特有の天気が続く。8時40分ロボレ駅に到着。この駅では停車時間が長いため、乗客たちは並んだ屋台で朝食を食べる。女性たちも食欲旺盛。やはり朝食は一日を生きて行く為のエナジーなのだ。この一帯はご飯が主食らしく、日本人の口にも合うのでは…。
午後になると、乗客たちの表情にも疲れが見えてくる。天気はブラジルに近づくにつれて晴れ始めた。17時過ぎ、車窓にパンタナールの水面が見え始め、終点キハーロに到着。本来なら、この列車がサンタ・クルスへと戻るのを撮影する予定だったが、あまりに遅れ過ぎたため運休となり、明日の定刻に発車とのことで、撮影を終える。

(4日目)
ブラジル、パラグアイにまで広がる大湿原パンタナール。その一角で朝の風景を撮る。ブラジル側を撮ったのはいつの事だったか、思い起こせば2000年だったか…。時が経つのは本当に速い。
ブラジルとの国境へ。国境の橋、二つの国旗、行き交う人々…。何故か国境を越えるだけで、風景はおろか匂いまで変るような気がする。その後フリーポート、商店街を撮影。客は殆どブラジル人で物価は三分の一位らしい。
昼食後、定刻通りの発車となった列車の走りを撮った後、海軍の船に乗せてもらい、パンタナールを巡る。穏やかないい風景だ。
夕景を撮った後、FERROBUSという最新鋭の特急列車に乗り、サンタ・クルスへと戻る。この列車は飛行機を意識しているらしいが乗り心地は…?とにかく撮影をしないで列車に乗るのは気が楽だ。でも満席で窮屈なのには参った。

(5日目)
9時サンタ・クルス駅到着、すぐに普通列車の走りを撮りに町中の線路際へ移動。昨日キハーロで撮った列車が無事定刻に到着する。ホテルにチェックイン。シャワーを浴びてリフレッシュ。休憩後リオ・グランデの鉄橋へ。空は晴れ渡っているが、強風が吹き、砂塵が舞う。1.5キロの川幅を持つ大河は、昨日までの雨で増水し、濁った水が凄い速さで流れて行く。13時40分、ほぼ定刻通り列車が鉄橋を渡るのを撮って、午後は休み。
 
ディレクター 狩野 喜彦
赤茶色の岩肌を抜けて
途中のリベロ・トレス駅にて
パンタナール
「ボリビア撮影日誌3」

(6日目)
午前中、リオ・グランデ河畔のコロニア・オキナワへ出掛ける。ここはその名のとおり、第2次大戦後まだ沖縄がアメリカだった時代に、海を渡って来た移民たちが築いた集落だ。街道の上に掲げられた『めんそーれ、オキナワへ/Bienvenidos a OKINAWA』の看板が印象的だ。集落に入ると、農業共同組合、小学校といった建物には日本語が表示されており、広場には鳥居もある。遠い異国で遭遇した小さなニッポン。ふと郷愁を誘われる。日本人会の会長さんの話では、荒れ地を耕し、畑を作っても、川の氾濫で、一瞬にして荒野に逆戻り。開拓はリオ・グランデとの闘いだったということだった。
午後の飛行機で標高3650メートルに位置する首都ラ・パスへ。丁度アラシタという先住民の祭りが催されていて、広場には人々が溢れていた。夕方、町を見下ろす高台へ。ここの標高は4000メートルに達していて、空気が薄く、深呼吸を繰り返しながらの撮影だ。町の上を黒い大きな雲が覆い、雷鳴が轟く。そして雲の隙間から射す夕陽が赤い色彩を投げかける。何とも幻想的な光景に圧倒させられる。

(7日目)
朝、ティワナク遺跡へ向う。『白き神々の座』ともいうべきアンデスの風景が続く。行き止まりとなった線路の脇に。ティワナク遺跡があった。かつては列車が走っていたが今は運休中だ。この遺跡は、紀元前2世紀頃から1000年以上に渡って栄えた宗教都市の跡と言われている。この地の文明は文字が残されていないため、まだまだ謎だらけだ。昼食後、オルーロへ移動。

(8日目)
オルーロは、ボリビア中西部の標高3700メートルの高原にある、鉱山の町だ。鉄道はこの地で採掘された銀や錫を運ぶために敷設されたという。町を見守るかのように丘の上に立つキリスト像から撮影を始める。ここからの眺めは、町の後方にウル・ウル湖が見えてなかなかの絶景だ。町へと降りて、大通りに並ぶ大きな現代美術の彫刻、カーニバルの衣装を売る店、20軒近い生ジュースのスタンドが並ぶ通りを撮影。どれもみないい被写体だ。ふと気がつけば空気の薄さが気にならなくなっている。身体が高地に順応してきたということか…。
昼食後、駅へ。列車は15時30分発だが、もう人々が集まっている。列車に乗る前にアルゼンチンの女性に声かけられる。何かと思えば、昨日ティワナク遺跡で、僕たちの写真を撮ったとのこと。写真には確かに僕たち3人の姿が写っている。普段とは逆の状況に、ちょっと照れくさい気分だ。
列車は定刻に発車。ウル・ウル湖畔を抜け、高原をゆっくりと走って行く。車窓を、草を食むリャマの群れや小さな村々が通り過ぎてゆく。人は何故こんな所に暮らすのか…、改めて考えさせられる。やがて、夕暮れが始まった。この一帯では、夕陽そのものもさることながら、夕焼けに染まる雲が特に美しい。夜も更けた22時40分、ウユニに到着。
 
ディレクター 狩野 喜彦
ラ・パスの夕暮れ
ティワナク遺跡
オルーロ駅にて
「ボリビア撮影日誌4」

(9日目)
夜が去り、朝がやってくる。夜行列車に乗って朝を迎える度に思うのは、永遠に今日だけが積み重なっていくのではないか…、ということだ。東の空が少しずつ明るさをとり戻し、やがて太陽が昇り、辺りに光を投げかける。また今日が始まっていく…。気がつけば風景は高原から、山間部に変っていた。
山肌に並ぶサボテンの花が印象的だ。通り過ぎていく風景と、目覚めた乗客たちの表情を撮影しているうちに、終点ビジャソンに到着。大勢乗っていたアルゼンチンからの乗客は、駅を後に歩いて国境へと向う。
ホテルチェックインし、シャワーを浴びてしばし休憩。昼食後、ビジャソンの町の俯瞰を撮り国境へ。ヨーロッパ系のアルゼンチン人と、先住民のボリビア人が入り混じって歩く様は、この国境独特のものだ。昼食後、山間部で列車の走りを撮って終了。

(10日目)
6時30分ホテル出発。自動車でオルーロへと向かう。途中素晴らしい風景の渓谷を通る。よく見ると線路が見える、列車が夜中に通過した一帯だ。山間の鉱山の町の駅も何処か郷愁を誘う。この一帯の車窓と、走る列車の姿を撮りたかったが、それは次回ということにしよう。
14時過ぎウユニ着。駅前、広場、町の俯瞰を撮った後、ウユニ塩湖の畔にある蒸気機関車の墓場へ。真っ青な空の下、荒野に並ぶ朽ち果てた機関車たち。かつてはこの高原を、煙を吐きながら勇ましく走っていた姿を想像すると、少しセンチメンタルな気分になる。夕刻、空は赤と藍が入り混じった不思議な色に変わり、それを写す湖面をも染める。あたかも宇宙を思わせる夕景を撮って今日を終る。

(11日目)
ウユニ塩湖の畔の村にある小さな駅を撮った後、4WDの自動車で湖上へ。塩を採集する人々の働く姿を撮り、湖面に建てられた塩のホテルへ向う。このホテルは、壁はおろかテーブルやベッドといった家具まで塩のブロックで出来ている。決して快適とは言えないが、旅の思い出を飾るのには面白いのでは…。

(12日目)
オルーロ近郊で標高3700メートルの高原を走る列車を撮る。この一帯は線路と道が平行して走っているので、並走したり、先回りしたりを繰り返し、沢山のカットを撮る。気がつけば150キロ以上の距離を撮影していた。

(13日目)
ラ・パスへ移動。取り残していた古い町並、広場を撮ってボリビアでのすべての撮影を終る。振り返れば、この国で感じたのは地球という星そのものの呼吸と、そこで生活を営む人々の呼吸だったような気がする。人々はアンデスの山懐で暮らし続ける。ずっと昔から、そしてこれからも…。
 
ディレクター 狩野 喜彦
ビジャソンへ向かう車内にて
岩山が聳えるダイナミックな風景
高原を走る列車を追って
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